第3話 マイラはルーチェを連れ回す。

 ルーチェの話はたちまち屋敷じゅうに広まった。みんな、仕事中だろうが何だろうがルーチェの周りに集まっては、物珍しげに話しかけている。ルーチェはというと、派手な髪色に見合わずどうにも引っ込み思案な性格らしく、しどろもどろになっていた。口数も少ない。

 だが最もルーチェにちょっかいをかけているのはマイラだった。軍の小部隊と共に行う風起こしと武術の鍛錬、および家庭教師との勉強が終わった頃に、マイラはルーチェを探して屋敷をうろついた。そして、掃除や皿洗いをしているルーチェを見つけては、「ちょっと借りていくね」と他の召使いに告げてルーチェを連れ出してしまう。マイラの奔放ぶりは召使い全員の知る所だったので、ルーチェはやれやれと苦笑いで送り出されるのだった。

 マイラは純粋にルーチェと友達になりたかった。同年代の貴族の令嬢とはあまり気が合わなかったから、なおのこと友達を欲していた。だから、毎日気軽に遊べる相手がいるのは刺激的で楽しかった。

 マイラは風起こしでルーチェをあっちこっちに連れて行った。大きな滝がある渓谷、どこまでも透き通った穏やかな海、小麦の実った広々とした穀倉地帯、奇岩の連なる巨大な山脈。ハルジェ地方のどこへでも、マイラは飛ぶことが出来た。

「こんなに美しくて珍しい景色は生まれて初めて見ました。噂ではたまに聞いておりましたが、ここまでとは」

 ルーチェはいつも感激した様子で言った。

「良かった。友達を喜ばせられてわたしも嬉しいよ」

「友達……。はい、そうですね」

 ルーチェは照れたように笑った。

 ただ、あんまり遊びに出かけてばかりなので、ルーチェは恐縮してしまうこともあった。

「雇われている身でありますのに、このように仕事を休んでも良いのでしょうか」

「雇い主の娘が良いと言っているのだから、気にしないでよ。それに友達だって言ったでしょう」

「それはそうですが……」

「それにこれはお使いの一環でもあるから。貴族の令嬢がお付きの者を連れて行くのはよくあることだよ」

 マイラは遊びがてら、各地の貴族に父トゥクからの手紙を渡しているのだった。貴族に大事なのは情報網だ。そして風起こしの名手であるマイラのいるメルン家がその中心となるのは自然な成り行きだった。

 ハルジェには中小貴族しかいない。大貴族は百年前にスーリャ人から追い出されて、西のオルカ帝国をはじめとする他国に逃げ込んでしまった。その後釜をスーリャ人の軍人や官僚が埋めているという次第である。ただし小さな領地を守る仕事はハルジャ人に任されているので、メルン家などの小貴族はこの地に残っている。

 ハルジャの貴族たちは結束力が強かった。

 各地の収穫高や漁獲高、商業での成果などの情報を細かく伝え合う。そうすることでハルジャの地をスーリャ帝国の重税から守るのに必死である。スーリャ帝国が不正に増税しようとすると、各貴族たちはこぞってそれに反発する。そうするとスーリャ帝国も強くは出られない。あまり貴族の機嫌を損ねると、貴族たちはオルカ帝国と接近してスーリャ帝国を脅かすようになるかもしれないからだ。オルカとスーリャは国境を接している大国同士なので、力の均衡を保つのは一苦労なのである。

 とにかく、ルーチェは決して仕事を怠けているわけではないのだと、マイラは説明した。

「そういうことでしたら……」

 ルーチェは不承不承と言った様子で言った。

 マイラはクナーシュ界がどんなところかをルーチェに尋ねて、お喋りも楽しんだ。クナーシュ界には魔法の力が満ち満ちているらしい。ペルーク界とは違って、雲は薄桃色で、恐ろしく高い山が沢山あって、海は暗くて深い色をしていて、家々は木造建築が主で、……クナーシュ界の話は、マイラには珍しく、幻想的に感じられた。ただ、ルーチェは口下手なせいか、あまり元の世界について多くを語ろうとはしなかった。

 またとある日は、マイラはルーチェと他の召使い何人かを、音楽会の付き人として連れて行った。ハルジェの上流階級には古来から、即興で楽器を演奏し合って交流をするという文化がある。マイラとトゥクは各々横笛を持って会場となる貴族の屋敷へと馬車で向かう。会場には縦笛奏者や弦楽器奏者、太鼓奏者など様々な貴族たちが、着飾って集まる。中には鳥の姿をかたどった首飾りや腕輪をしている者も多い。この地域の人々は本当に鳥の意匠が好きだ。かくいうマイラも鳥の彫刻がなされた髪飾りをしている。

 音楽会では、二つの組に分かれて即興演奏を比べあった後は、お互いを称え合い、そして主催者から酒や御馳走が振舞われる。この場においても、情報交換は重要な位置を占めていた。各地の統治方法の報告の他に、結婚相手の見繕いなども行なわれる。無論帰属にとって婚姻は重要な問題であるから、音楽会は大事な行事だった。

 マイラはまだ結婚年齢に達していないが、そろそろ相手を探してはどうかと言われる。その度にマイラは話をはぐらかす。変わり者だと思われても仕方がないが、マイラには結婚して子どもを産む前に、やりたいことがあるからだ。今は、異界人という恰好の話題があるので、話を逸らしやすかった。ルーチェはまたしても注目の的となった。豪奢な音楽会場の隅っこで、本人はいつも以上に縮こまっていた。

 そんなこんなで色々な体験をしながら、ルーチェのペルーク生活は軌道に乗り始めていた。クナーシュにいた頃も雑用はよくこなしていたらしく、掃除や洗い物や整理整頓などにはすぐに慣れた。唯一、料理の手順は知らないものばかりのようだったが、ルーチェの覚えは早く、月が一巡りする頃には一人前に厨房に立って、先輩たちの手伝いをするようになった。来たばかりの時は緊張した面持ちばかりしていたし、隠れて泣いている日もあったようだが、最近は笑顔を見せるようにもなってきて、着実にここに馴染んでいるのが窺えた。

「ルーチェ」

 マイラはある時話しかけた。

「ちょっと聞きづらいんだけど、……いいかな」

「何でしょう」

「クナーシュ界に帰れないこと、寂しい?」

「いえ、それほどでも」

 即答だったのでマイラは意外に思った。

「何で? 故郷には親しい人もいたでしょ」

「家族はみんな離散しましたし、数少ない友達も死にましたし」

 ルーチェは何でもないことのように言った。

「私は身分が低く、待遇も悪かったので。主人にはいつも怒られてばかりでした。でもここではとても良くしていただけて、いつも感謝しています」

「そっか。色々あったんだね」

 深くは聞かないことにした。

「じゃあ、ペルーク界で生きていく覚悟は、ついたのかな」

「まあ、そうですね。多分」

 ルーチェはそう言って笑った。

「故郷が懐かしくないわけではないですが、こちらの方が断然、仕事は楽ですし、食事も睡眠も取れますし。何より、息がしやすいのです」

 思ったより、ルーチェはこちらに馴染んでいるようだった。もしかしたら、マイラに気を遣って嘘をついているのかもしれないが、普段の態度からしてルーチェは素直そうな子だったし、あまり疑るものでもないだろう。

 もし、とマイラは考える。

 ルーチェにこの地で生きていく覚悟ができていて、そしてマイラに多少なりとも親しみの情があるのであれば、ルーチェにもメルク家の計画に参加してもらうのも悪くないかもしれない。

 全く関係のない異界人を巻き込むのはあまりにも可哀想だと思っていたが、ここで生きていくとなれば、話は違う。近いうちに巻き込まれることになるのは必至だ。だとしたら、使える人材は最大限に活用したい。

 そこで、マイラは父によく相談をした。父はしばしの間唸っていたが、やがて頷いた。

「お前から話をしてみなさい」

 父は言った。

「ルーチェはお前を頼りにしているようだからね」

「了解」

 マイラは覚悟を決めた。


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