第2話 ルーチェの居場所が決まる。

 良質な木材でできたどっしりとした扉に、鳥と木の葉の模様がついた壁紙。部屋の中央には、赤い布張りの椅子と、広い丸テーブル。自分の向かい側にルーチェを座らせたマイラは、召使いに運んでもらったお茶を飲んで、ルーチェにも飲むよう促した。

「どうぞ。甘くて美味しいよ」

「甘い?」

「そうだけど?」

「あ……いただきます」

 ルーチェは一口だけカップに口を付け、目を丸くした。

「本当ですね。美味しいです」

「でしょう」

「こんなに立派な茶器で、こんな風味の飲み物を飲んだのは、生まれて初めてです」

「そうなの? それは、良かった」

 そんな会話をしていると、ノックの音がして、父が客間に入って来た。

「お待たせしたね」

 ちょっと太り気味の中年男性だけれど、清潔感はあるし、厳格さと優しさを併せ持っている性格なので、マイラは父のことがそんなに嫌いではない。

 父はマイラの隣、ルーチェの向かいの席に座った。

「初めまして、マイラの父のメルン・トゥクだ。ルーチェさんだったかな。随分若いね。おいくつかな」

「あの……だいたい十五です」

「そうか。うちの子とあまり変わらない。……しばらくはこの屋敷に留まると良い。面倒を見てあげよう」

「……いいのでしょうか」

「構わないよ。これも何かの縁だ」

「ご、御迷惑をおかけします」

「気にすることはない」

 父は微笑んでから、「さて」と椅子に座り直した。

「かといってずっと匿っているわけにはいかない。帰れるようになるまでの、身の振り方を決めなければいけないね。だが異界人のことを行政上どう扱うべきか、残念ながらわたしにも分からない」

 それなら、とマイラは気軽に言った。

「わたしが州都に行って直接聞いてこようか? 少し時間がかかるかもしれないけど」

「お願いできるか」

「了解」

「ならばちゃんと着替えてから行きなさい。その格好では失礼に当たる」

「はーい。じゃあ、ルーチェ、後でね」

「あ、あの、わざわざありがとうございます」

「気にしないで」

 マイラはお茶を飲み干すと、客間を後にし、自室に向かった。召使いに、目上の人にお会いする時に相応しい、女物のゆったりしたシャツとズボンを出してもらう。シャツは薄紅色の花柄で、ズボンは濃い紅色の無地で裾にはひだがついている。これはこれで可愛くて好きなのだが、動きやすさで言うとやはり男物の方が優っている。

 それから、無造作に一つに縛っていた黒髪も、綺麗に結い直してもらう。編み込んでくるりと巻いて整えられる。これも、崩れはしないかと気になって動きづらい。

「それじゃ、行ってきます」

「お気をつけて」

 マイラは空高く飛んで、州都を目指した。州都には、スーリャ人の働く行政地区がある。

 ハルジャ地方はもともとはハルジャ王国という立派な国だった。ところが百年ほど前、東からスーリャ帝国が攻めてきて、ハルジャを征服し、直轄領にしてしまった。現在、ハルジャはスーリャ帝国の一地方に過ぎない。ハルジャの行政はスーリャ人の軍人が担当している。ハルジャは幾つかの州に分割され、それぞれにスーリャ人の州長が就任しているのだ。

 ハルジャ人の貴族はあくまで土地の管理を任されているだけで、政治的な決定権は持ち合わせていない。ハルジャ人には重い税をかけられているので、マイラは州長らを嫌っていた。まあ、住民の新しい登録ごときで州長に面会することなどないだろうが、それでもスーリャ人官僚たちに会うと思うと気が重い。

 州長や官僚は大抵、州都の町にある館に居座っている。その外観はスーリャ風に装飾されていて、朱色と青緑の外壁が目に痛々しく、屋根の大きな彫刻も悪目立ちしている。ハルジャの伝統的な建物の、白と灰色が基調の落ち着いた建築物とは、相容れないとマイラは思う。

 マイラはそのスーリャ風の派手な館の入り口まで行き、受付で身分と要件を告げた。受付の官僚はやや慌てた様子だったが、滞りなく奥へと連絡を繋げた。異界人の到来など珍しい事態ではあるが、ハルジャではありえないわけではないので、ちゃんと手続きの方法は整っているらしかった。その後半刻ほど待たされたが、マイラは向かって右側の一室に通された。

「異界人には農民として土地を与えることができます。ただし、場所を希望することはできません」

 官僚は長机の向こう側に座ったまま、スーリャ訛りの堅苦しい口調で言った。

「もしくは、どこかの屋敷や店で住み込みで働くという合意が互いになされれば、そのように住民票には登録できますが」

「へえ」

 思ったより寛容だな、とマイラは思った。まあ、スーリャの統治は、税収と兵役こそ厳しいけれど、それ以外のことは要求しない。西の国では農民が領主に対して奴隷のように隷属していると聞くが、ハルジャではそのようなことにはなっていない。だがいかんせん、税収の重さがその良さを打ち消して余りある。結局農民は馬車馬のように働かないと食い扶持を稼げないし、貴族だって他国に比べるとずっと質素な生活を強いられている。

 遭難して独りぼっちで異界にやってきた十五歳の女の子に、重労働をさせるのは何だか忍びないな、とマイラは思った。

「ありがとう。持ち帰って本人に聞いてみるよ。結論は手紙で送っても?」

「いえ、確認のためご本人様をこちらまでお連れください」

「ふうん、分かった。じゃあ、失礼」

 マイラはさっさと館を出ると、鳥のように体を横倒しにして、快速で実家まで帰った。

「ただいまー」

 客室に戻ると、テーブルには茶菓子が出されていた。ルーチェは先ほどよりは気を楽にしているようだった。

「お待たせして悪かったね。ちゃんと聞いてきたよ」

 マイラは言われたことをそのまま伝えた。父は「ふむ」と唸って、ルーチェを見た。

「わたしは、うちで召使いとして雇うのはどうかと思ったんだけど」

 マイラは付け加えた。

「それがいいかもしれない」

 父は頷いた。

「正直に言って、ここハルジャでの農民の生活は楽じゃない。右も左も分からない異界人を放り出すのは心が痛む。それよりも、うちで勉強しながら働くというのはどうかな。もちろん、きみの合意が得られればだけれど」

 ルーチェは緑色の目を真ん丸にしていた。

「よろしいのですか。余所者のわたしが、そんなに良い待遇を受けさせていただくなど」

「別に、大したことじゃない。それにマイラにも友達が出来て楽しかろう」

「うん」

 マイラは言った。

「わたし、ルーチェと友達になりたい」

「と、友達……? 召使いなのにですか?」

「そうだよ。駄目?」

「わ、わたしは、構わないのですが……」

「決まりだな。まあ、丁度うちにはマイラと近い年齢の女の子もいなかったし、ちょうどいいだろう」

 父は言った。

「では、うちの召使いとして雇うということで、改めて州長に報告しに行こう。マイラ、州都までの馬車を出すように、召使いに伝えてくれないか」

「了解!」

 そういうわけで、その日の夕方にはルーチェは正式にメルン家の召使いとなった。彼女にはハルジャ風の袖の細い白と黒の服が与えられ、召使いの寝室の一角もあてがわれた。

 翌日から、ルーチェは屋敷で働き始めた。


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