神鳥リル

白里りこ

第1章

第1話 クナーシュからの迷い人。

 遙か昔、ハルジャの地では、金色の怪鳥リルが暴れて民を苦しめておりました。

 ある時二人の英雄が現れて、リルと対決しましたが、あえなく敗れてしまいました。

 しかし、戦いを通じて二人の勇気と絆に感銘を受けたリルは、改心して二人を癒やしました。

 二人の英雄とリルは仲直りをし、共にハルジャの地を平和に治めることを誓いました。

 それからというものハルジャは、神鳥リルの守護する神の国となったのです。


 ――ハルジャ王国建国神話より


 ***


 その日の午後、マイラは、男物のシャツとズボンとベルトを着けて、風起こしを使い、気ままに自宅の領内の空を飛んでいた。実家のメルン家は中小貴族だからそれなりに家の敷地は広い。丘あり川あり森ありと言った調子だ。季節ごとに表情を変えるこの庭の散歩をするのは、気晴らしにはもってこいである。今は初夏で、新緑が目に眩しい時期だった。

 マイラは直立の姿勢のまま足元に風を起こして、森の中に入っていった。木漏れ日の光る常緑樹の森で、地面に敷き詰められた落ち葉が、マイラの魔法でかさかさと舞い上げられては落ちて行く。その音に耳を澄ませていると、突然、人の声が耳に入って来た。

「ひっく」

 女の子の泣き声だった。マイラは首を傾げた。領内の農民がここまで入り込んできたのだろうか。珍しいこともあるものだ。何故泣いているのか聞いて、なぐさめてあげようか。マイラは声のする方へ飛んで行った。

 大樹の陰に、声の主はいた。マイラと同じ、十五、六歳くらいの女の子。何故か両手で耳を覆うようにして、すすり泣きをしている。その動作よりも、彼女の姿にマイラは注目した。まず、肌の色がとても白く、髪の色は橙色だ。それに、ここら辺では見ない服を着ている。紺色で、波のような模様がついていて、袖口が広くて長い。こんな風変わりな農民は、この領地にはいないと思う。

「ねえ」

 とりあえずマイラは声を掛けてみた。

「あなた、誰? どうして泣いてるの?」

 マイラがいることに気づいていなかった様子の彼女は、びくっとしてマイラを見上げた。マイラは風起こしをやめてすとんと地面に降りた。

「あの、わたし……ひくっ」

「ああ、焦らないで」

 マイラは優しく言った。

「ゆっくりでいいから、事情を話せる?」

「ええと、はい、多分……」

「うん」

 女の子は深呼吸を三回した。それまでずっと耳に当てていた手を下ろした。それから、思いがけないことを言った。

「わたし、クナーシュ界からやってきたんです」

 マイラは一瞬意味が分からず、呆然とした。

 クナーシュ界。それは……異界のことだった。

 この世には二つの世界がある。マイラたちが住まうペルーク界と、異界のクナーシュ界。両世界間の行き来は容易ではない。こちらの人間がクナーシュ界へ渡る方法はまだ見つかっていない。だが、クナーシュ界の人間は、稀にこちらへ迷い込んだり帰って行ったりすることがある。何の前兆もなく忽然と現れては消えるのだ。それは決まって、この辺りの地域で起こることだった。とはいえ、まさか自分の家の敷地に現れるとは、マイラは考えたこともなかった。だからマイラは束の間、ぽかんとして女の子を見ていた。

「へえ……本当にあるんだね、こういうことが」

「……はい」

「あなた、名前は? どうしてこっちへ来たの?」

 興味津々で質問する。

「名前は、ルーチェです」

 彼女は言ってから、目を泳がせて俯いた。

「こちらへ来た理由は……ええと、調査のためだったんですけど……」

「調査?」

「ペルーク界を調査するために探検隊が結成されたんです。でも、世界間の通路の途中でみんな遭難しちゃって……。あの……」

 ルーチェの目にわーっと涙が集まって、こぼれた。

「生き残ったの、わたしだけだったみたいです」

「……ありゃ」

 マイラは何と言っていいか分からず、間抜けな声を出していた。ルーチェはそれ以上何も言わずぽろぽろと涙を落としていた。

「ど、どうすればいい? 一人で帰れる?」

「帰れません」

「そっか……。こっちの世界で行く当てはあるの?」

「……無いです」

「だよねえ。うーん……じゃあ、一旦、うちに来る?」

「え」

 ルーチェは洟をすすって、袖で涙を拭いた。

「いいんですか」

「これからどうするかはさておき、お茶でも飲んで落ち着いた方が良いよ。こっちの世界のお茶が口に合うか分かんないけどさ」

 マイラは言って、ルーチェの手を取った。ルーチェはまたびくっとした。

「遠慮しないで」

 マイラは微笑んだ。

「こっちにおいで」

 手を離して、森の出口へと歩き出す。ルーチェは、恐る恐るといった様子で、後をついてきた。

「あっ」

 マイラは立ち止まって声を上げた。

「えっ?」

「自己紹介がまだだった」

 そう言って振り返る。

「わたしの名前はマイラ。メルン・マイラ。十六歳。この辺の領地を治める小貴族の娘だよ。よろしく」

「え、あ……よろしくお願いします」

「ねえ、クナーシュ界ってどんなところ?」

 マイラはまた歩き出しながら尋ねた。

「どんな……。ええと、普通、です」

「えーっ? ここと似たような感じ?」

「いえ、かなり違います」

「どんな風に違うの?」

 ルーチェは考え込む素振りを見せた。

「……例えば、さっき使われていた風の魔法……」

 風の魔法?

「ああ、風起こしのことか。あれがどうしたの?」

「クナーシュ界には風の魔法はありません」

「ええっ」

 そんなことがあり得るのか。それでは生活様式もだいぶ違ってこようというものだ。

「じゃあ他の魔法はあるの? どんな?」

「……種類が多いので、何とも……」

「へえ……」

 マイラたちは森を抜けた。

「それじゃあさ」

 マイラは言った。

「歩くのも面倒だし、ここから屋敷まで風起こしで運んであげる」

「……そんなことができるんですか」

「簡単、簡単。ルーチェはまっすぐ立っているだけでいいから。ほら、手を繋いで」

 マイラがルーチェに手を差し出すと、ルーチェは遠慮がちにマイラの手を握った。

「よし、行くよ。三、二、一」

 ふわっとマイラとルーチェの体が浮いた。

「わあっ」

「ふふん。ここから一気に向かうよ」

 二人はすいすいと空を飛んだ。畑を越え、川を越え、丘を越え、四角い壁に三角の屋根がついた屋敷の入り口まで、あっという間に辿り着く。

「……すごい、便利なんですね」

 ルーチェは言った。

「そうかも。私は風起こしが得意な方だから」

 マイラはちょっといい気になって言った。それから呼び鈴を鳴らして、召使いに扉を開けてもらった。

「お帰りなさいませ、マイラ様。……そちらの方は?」

「ルーチェ。クナーシュ界からの迷い人」

「え?」

「森で見つけたんだ。父さんに伝えてくれる? 迷い人に出会ったんだけど、すぐには帰れないそうだから連れて来たって。それからお茶を用意して」

「う、承りました」

 召使いはばたばたと廊下を駆けて行った。ルーチェはその様子を穴が空く程見つめていた。

「どうしたの?」

「……今のは、召使いの方ですか?」

「そうだけど」

「いえ、随分とマイラさんに対して気さくでいらっしゃるのだな……と」

「え? あれで?」

「はい」

「普通に会話しただけだけど」

「そうですか……」

 ルーチェは困惑したように、召使いの消えた廊下の先を見つめていた。

「そんなことより、中へ入ろう。客間はこっち。ついてきて」

「はい」

 マイラはルーチェを連れて、屋敷に入っていった。

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