第6話 永遠―10

 意識して年数を数えていたわけではなかったが、店に置かれたカレンダーを見て、永遠はその月日が人にとって短いのか長いのか、ぼんやりと考えた。


 今、永遠は知り合いの手伝いで、久我家の近くを訪れていた。初めは断ったが、時間はかからないから、と押し切られてしまった。


「時間、かかってるじゃないですか」


 一人待ちぼうけをくらった永遠は、独り言を零しながら、街を見渡した。変わらな

い景色の中にも、少しずつ変化は見られた。この土地にも十年の時が流れたのだ。


 近くに美味しい菓子屋があったことを記憶の中から引っぱり出し、行ってみることにした。メイド服を着ていない永遠を一目で見抜く人はそういないだろうが、念のため慎重に歩き出した。


「うわあ」

「あ、すみません!」


 歩き出した途端、男の人にぶつかってしまった。ワンテンポ遅れて花が数本、足元に落ちてきた。その人が持っていた花束からこぼれ落ちたようだった。


「申し訳ありません……! 花は弁償させていただきます。これは、ミモザですよね」

「はい。ですが、お気になさらずに。少し減っても彼女は怒らないでしょうから」

 人の良さそうな雰囲気とともに、男性は永遠に頭を上げさせた。


「贈り物でしたか。それは、なおさら……」

「いえいえ。これはお墓に添えるためのものです。怒られることは、ありませんから」


 男性は困ったように、また悲しさをたたえながら眉を下げた。そして、本当に気になさらずに、と付け加えた。永遠は、もう一度頭を下げてその言葉に甘えることにした。


 会話の中で、一つ気にかかることがあり、永遠は一瞬迷ったが、聞いてみることにした。


「あの、失礼を承知でお聞きしますが、この近くに墓地はありましたでしょうか……。以前この付近に暮らしていましたが、覚えがなくて」

 男性は嫌な顔をすることもなく、答えてくれた。


「墓地というか、あの屋敷の中に若いご夫婦のお墓があるんです。そちらにお伺いするんです」

「そう、でしたか。すみません、立ち入ったことを、聞いてしまって」

「いえいえ。では」

 軽く会釈を残して、男性は去っていった。


 永遠は、自分の呼吸が荒くなっていくのを感じていた。背中には嫌な汗が伝う。先ほどの男性が指さした『あの屋敷』は――――久我家の屋敷。それから、何と言った? 若い、夫婦、の墓。


「何かの間違い、ですよね。お嬢様?」

 かつての主人に問いかけるが、それに答える声はない。


「――っ」

 永遠は駆け出した。ここから白川家までは距離がある。が、ただひたすらに、かつて勤め、暮らした、あの屋敷を目指した。


 ――奥様に会って、お嬢様のことをお尋ねしよう。久我家の方々にお許しをいただいて、お嬢様と伊吹様に会わせていただこう。きっと美しくなられている。もしかすると、お子様もいらっしゃるかもしれない。ご一緒に久我家に行けなかったことを今も怒っていらっしゃるかもしれない。それから、伊吹様にいただいたサザンカを枯らしてしまったことも謝らなくては。


 走りながら、永遠の頭の中は言葉で溢れかえっていた。息があがり、膝が悲鳴を上げ始めたころ、ようやく白川家の屋敷にたどり着いた。しかし、いざ前に立つと足がすくんでしまった。


「あれ……もしかして、永遠?」

「!」


 すぐ横から懐かしい声が聞こえてきた。トレードマークのツインテールは耳の下まで下がっていたけれど、一目で分かった。


「あの、私、その」

 息が整っていないままに話そうとしたために、上手く声を発することが出来ない。


「どうしたの、落ち着いて話し――」

「お嬢様は!? 今どちらに、いらっしゃるの、ですか? お会い、したくて」

 その瞬間、璃子の顔が温度をなくしたかのように、変化していった。


「やっぱり、知らなかったのね」

 その言葉で、永遠は血の気が引いていくのを感じたが、止められず、その場にへたり込んでしまった。




 十年ぶりの屋敷の中で、永遠はソファに横たわっていた。天井がひどく遠くに見えた。

 璃子から、何があったのかを聞かされた。今から八年前、つまり結婚から二年後の夏、美鶴と伊吹は旅行先の事故に巻き込まれて亡くなったという。二人の間に子どもはいなかったが、とても仲睦まじく微笑ましい二人だと評判だったらしい。葬儀には多くの人が訪れた。久我家の敷地にある二人の墓には今も花が絶えないという。


「永遠」

「奥様!」


 慌てて飛び起きた永遠は、深々と頭を下げた。今更尋ねてきた元使用人に、いい気はしないだろう。出ていけ、と言われることを覚悟して言葉を待つ。が、一向に何も言われない。おそるおそる顔を上げると、穏やかな表情の奥様と目が合った。


「久しぶりね、永遠。全然変わらないわね」

「お、お久しぶりございます」

「ねえ、紅茶を淹れてくれないかしら?」


 以前より少し皺の増えた笑顔で、奥様はそう言ってソファに腰を下ろした。永遠は戸惑いの視線を璃子に送るが、静かに頷かれただけ。


「かしこまりました」

「美鶴が好きだったのは、どの銘柄なの?」

「そう、ですね。こちらの甘い果実の香りがするものがお好き、でした」

 美鶴を語るのに、過去形を使わなければならないのは、思った以上に堪えた。


「お待たせいたしました」

 テーブルにティーカップを置いたときに、カチャリと音を立ててしまった。メイドの振る舞いとしてはあってはならないことだが、奥様は咎めることはしなかった。


「永遠。またここで働いてもらえない?」

「あの、しかし……」

「今お世話になっているところには、こちらから連絡しておくわ。あなたが一番美鶴のことを知っているでしょう。話を聞かせてほしいの。小さい頃のことでも、女学校の頃でも、何でもいいの、お願い」


 哀願するその瞳を見て、奥様の時間はずっと止まったままなのだと、理解した。頷く以外の選択肢などなかった。それに、永遠はまだ二人がもういないことを飲み込めていなかった。今はどこかに出かけているから会えないだけで、しばらくすれば会えるような心地でいた。お久しぶりです、と言う準備をしていたのだから。






 再びメイド服を身にまとい、ティーセットを扱う日々が始まった。奥様の休憩時間に紅茶を淹れ、お菓子を用意し、美鶴の話をする。それが新たな永遠の仕事であった。思い出話をするたびに、美鶴と伊吹に会いたいという想いが強くなっていった。


「少し、買い物に行ってきます」

「いってらっしゃい。……あのさ永遠、無理してない? 大丈夫?」


 ちょうど玄関近くですれ違った璃子に、顔をのぞき込まれる。十年経って、メイド長になっていた璃子はいつも忙しそうで、それでもこうして永遠を気にかけてくれる。


「ほとんど紅茶係みたいになっているので、以前ほど忙しくないですよ」

「いや、そうじゃなくて――」

「行ってきますね」


 後ろから、自分の顔を鏡で見てみなさい、少し休みなさい、などと声が投げられたが、聞こえないふりをした。


 私用の買い物なので、身につけているのはメイド服ではなく、普通のワンピース。

「そこのお姉さん、いい果物が入ったんだ。一つどうだい?」

「たくさんありますね。でも今は大丈夫です」

「そうかい、またよろしくな」

 片手を上げた店主に軽く会釈だけして、永遠は通りの奥へと足を向けた。


 お姉さん。店主は永遠のことをそう呼んだ。十年経てば、ヒトはそれぞれに年を重ねていくが、付喪神である永遠は、見た目が変わらない。永遠はまるで、自分だけが取り残されたような心地になった。……いや、美鶴も伊吹も年を重ねることがないという点では、同じかもしれない。


「どこが、同じなの」


 馬鹿な考えを否定する言葉は、わざと口に出した。

 一度、口に出してしまえば、止まらなかった。


「お嬢様も伊吹様もいない世界で、私は何をしているの」

 

 ――その名の通り、ずっとあたしの傍にいなさい!

 ――君のその名に誓って、永久に愛するよ


 左右から、二人の声が耳に触れた気がした。気のせいだと、幻聴だと、分かっている。頭では。しかし、心はもう、とっくに限界を超えていたようだ。


「お嬢様との約束も、伊吹様との誓いも守れない私なんて。『永遠』なんて……いらない。消えてしまえばいい……」


 口にした言葉は真理のように思えた。光の消えた瞳は、もうこの世界の何も映してはいなかった。永遠は、自分の内側がガラガラと崩れていく音を聞いた。腕時計として生まれたこと、白川家のメイドになったこと、美鶴や伊吹と出会い惹かれたこと、その全てを、『永遠』としての全てを、彼女は手放した。


 壊れていく心を、小さく微笑みながら、彼女は享受した。


「……空が、とても、綺麗」

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