第6話 永遠―9

 結婚式当日、永遠でないと支度はしない、という美鶴の言葉から、部屋には永遠と美鶴だけがいた。真っ白なドレスに身を包んだ美鶴は、美しかった。が、どこか儚げで天使のように空へ消えてしまうのでは、という考えが膨らんだ。


「永遠」


 名前を呼ばれ、永遠は我に返った。寂しいからといって物思いに耽っている場合ではない。


「約束は覚えているわね? ずっとあたしの傍にいなさい、って」

「……はい」

 忘れるはずなどなかったが、これから破ってしまうことになる。


「永遠。その名前をつけたのはあたしよ。今は無理でも、必ずあたしの傍に呼び戻すんだから。いいわね」


 名を与えたあの日のように、美鶴は人差し指を突き立てた。姫の無謀なわがままのようなものだと分かっているが、それが永遠にとってはどんな言葉よりも嬉しかった。

 それでも、頷くことは出来ない。永遠は膝を折って頭を下げるだけに留めた。


「……もう少し、わがままになりなさい。それでも叶わないこともあるけれど、足掻くことが無意味だとは思わないわ」


 永遠へ向けた言葉の中に美鶴自身のことも重ねているのかもしれない。美鶴の顔には切なげな微笑みが浮かんでいる。


「さあ、支度が終わりました。とてもお綺麗です、お嬢様。いってらっしゃいませ」

「ええ。ありがとう」


 美鶴を送り出した永遠は、感傷に浸る間もなく、裏方の仕事へと動き出す。華やかな結婚式の裏では、使用人たちが慌ただしく動いていた。永遠は誰よりも動き、式を支えることに専念した。


 式が終わり、会食の時間となったとき、遠くから少しだけ二人の姿を目にした。並び立つ伊吹と美鶴はとても美しく、お似合いであった。珍しい白いタキシードに身を包んだ伊吹には、思わず見惚れてしまった。


 ふいに伊吹がこちらに気づき、微笑みながら小さく手を振ってきた。


「!」


 まさかこの距離で気づかれるとは思わず、永遠は驚いて一礼し、急いでその場を離れた。誰にも見られてはいないようで、胸をなで下ろした。


 わがままになれ、という美鶴の言葉が頭の中に響いてきた。頭を振ってそれを追い出そうとするが、一向に出ていってくれない。


 ――傍にいられないのなら、心だけは届けてもいいだろうか。わがままになっても、いいだろうか。


 部屋にある、サザンカの花を思い浮かべて永遠は考えを巡らせた。あの花を、忘れ物として、伊吹の元へ届ける。贈り物の花はたくさんあったはずで、迷惑になることはないだろう。その意味を知るのは、一人だけなのだから。


 しかし結局、永遠の手が空き、部屋にサザンカを取りにいける頃にはもう遅かった。式はお開きとなり、二人は白川の屋敷を出ていた。届けることは叶わなかった。


「これで、良かったのかもしれないですね。馬鹿なことをしてしまうところでした」






 結婚式のあと、屋敷の片付けを終えたタイミングで、永遠は白川家の屋敷を出ることにした。ただの噂とはいえ、自分の存在で美鶴にも伊吹にも迷惑をかけたくはなかった。自分自身であり、心臓である腕時計のことは気にかかったが、あの屋敷に置いている分には安心だと思った。家宝として、大事にしてもらっている。いずれ時期をみて取りにくればいい。


「長い間、お世話になりました」

 わざわざ玄関まで見送ってくれた奥様と璃子に深々と頭を下げ、屋敷をあとにした。通りに出てから一度だけ振り返った。荘厳なその建物はよそ者を拒むかのような雰囲気を持っている。たった今から、自分もその余所者になったのだと、痛感した。



 それから、いくつの土地を転々としただろうか。

 迷惑をかけないよう、遠くの土地へ。それだけを考えて、歩みを進めた。メイドとしての経験から、どの土地でも仕事は見つかった。屋敷を出る際に餞別としてある程度のお金は受け取っていたが、何か仕事をしていないと、落ち着かなかった。


 ――そうして、十年が経っていた。


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