第6話 永遠―6

 その後、伊吹がたびたび訪問してくることが、白川家にとって次第に習慣化していった。伊吹は、毎回贈り物を持ってくるというわけでもなく、来て、ただ話していくだけだったり、庭を散歩しながらどの蕾が一番に咲くか、と予想して回ったりと、様々なことを楽しんでいるようだった。


 ただ、一つ毎回変わらないのは、必ず美鶴が女学校から帰る前に訪れること。伊吹は、いつも永遠へ好意のこもった笑顔と言葉を投げかけていた。永遠の方も、それがからかっているだけではないことがだんだんと分かってきた。が、所詮は名家の跡取りと使用人、それ以前にヒトと付喪神である。知らないとはいえ、付喪神に恋愛感情をもつなど憐れとさえ言える。ヒトと付喪神では流れる時間が違うのだから。どちらにしても、戯れの域は出ないのだ。


 そのようなことを、永遠は一人考えながら自室のベッドに腰掛けていた。その首元には、上品に輝くパールのペンダント。




 ふと、ドアをノックする音が響いた。

「永遠? 入ってもいいかしら?」

「はい。お開けいたします」


 ドアを開けると、美鶴が両手で枕を抱えて、立っていた。

 美鶴が幼い頃は、眠れないときにこうしてこっそりと永遠の部屋にやって来て、一緒に眠ることもあった。今ではほとんどその習慣はなくなっていたので、少し驚いてしまった。


「いいかしら?」

「もちろんです。私は床で寝ますので、ベッドをお使いください」

「え、いやよ。一緒に寝るのよ」

「さすがに、もう二人は狭いかと……」

「きっと大丈夫よ」


 なぜか自信満々にそういうと、美鶴は飛び乗るようにベッドに腰掛けた。スプリングがその衝撃を吸収する。自分の隣をぽんぽんと手で叩いて、永遠に座るように促す。


「では、失礼します」

 指示通り永遠が横に座ったというのに、美鶴は両手に抱えた枕に、顔を半分埋めたまま前を向いている。意識的に深呼吸を繰り返しているように見える。


 ここで、永遠はやっと気が付いた。美鶴は眠れないからここに来たのではなく、何か話したいこと、おそらくは悩みごとがあって来たのだ。決して急かすことはせず、美鶴が話し出すのをそっと待つ。


「あたし、お慕いしている方がいるの。…………伊吹さんじゃない方」

「!」

 思わぬ告白に、言葉を失ってしまった。何を、言うべきなのだろう。


「あたしが勝手に想っているだけで、先生には何も伝えてないわ。何も」

「先生? もしかして、女学校の先生ですか」

「あっ! ……ええ、そうよ」


 思わず想い人のことを呼んでしまったらしい。いつだったか、自分が変われたのは女学校の先生のおかげだと言っていた。きっと同じ人物なのだろう。


「どんなお方なのですか」

「古典の先生で、授業も分かりやすいわよ。他の子たちはあまりかっこよくないと言うけれど」

「どういうところがお好きなのですか」


「そうね。ちょっとぼんやりしてて、よく教壇にぶつかったりしてるけど、専門の話になると、目が輝くのよ。その真剣な目が、好き」

「お嬢様は、その方とご結婚されたいのですか」


 飛躍した質問だったかもしれないが、婚約者のいる美鶴にとっては現実的な問題である。それを美鶴も分かっているから、真剣な顔をして数秒考えていた。


「いいえ。あたしは伊吹さんと結婚するわ。それがこの家に生まれたあたしの役目だもの。たとえ先生があたしを見てくれたとしても。これは白川のプライドよ」


 きっぱりと、美鶴はそう言った。凛とした佇まいは、白川家の女主人である奥様を思わせた。しかしすぐにあどけない少女の表情に戻り、大事そうに呟いた。


「でも心はずっと先生のものよ」


 本当に、大切に想っているのだということが、この一言で伝わってくる。軽はずみな想いではないと、永遠は理解した。だからこそ、不思議に思ってしまった。


「お嬢様、どうしてこの話を私に?」

 誰かに知られてしまったら問題になりかねない。たとえ、何もなくとも。


「誰にも言わないつもりだったのよ。でも、やっぱり誰かに聞いて欲しくて。この想いがなかったことになってしまうんじゃないかって、少し不安になったの」

「私は決して誰にも言いません。ので、私で良ければたくさんお聞きいたします」

「ありがとう。でも、そうね、伊吹さんには話してもいいかもしれないわね」

「え!? お嬢様、それは……」


 夜も深いということも忘れて、永遠は大きな声を発してしまった。婚約者に別の慕う人の話をするなんて、とんでもないことだろう。永遠に話すよりも、もっと大変なことになってしまう。


「伊吹さんは優しいし、とてもいい方だわ。でもあの方はあたしと同じよ。分かるの。あたしじゃない、愛しく想う人がいる。たぶんそれは――」


 美鶴は体をひねって、永遠に向き合った。まっすぐな瞳で永遠の顔を見つめ、そしてその視線が、永遠の首元を彩るネックレスで止まった。


「やっぱり、あなたね」


 責める様子もなく、優しく美鶴は笑いかけた。永遠は、さあっと血の気が引いていくのを感じた。このパールのネックレスは、伊吹が学校の課題で作ったもので、美鶴が女学校から帰る前に贈られたもの。受け取れないと言ったら、永遠のために作ったから、いらないのなら捨てる、と言われてしまい、結局受け取ってしまった。


「いえ、そんなことは」

「違わないわ」

 永遠の言葉を遮って、美鶴は断言してみせた。


「そのネックレス、永遠が自分では選ばないようなデザインだもの。でも、すごく似合っているわ。あなたを愛しく想う人からプレゼントだわ」

 永遠は観念して、静かに頷いた。


「永遠も、伊吹さんが好き?」

 シンプルな問いに、すぐに答えられなかった。


「大切な方、ではあります。が、好きという感情は、よく分かりません。それ以前に、私は一介の使用人です。伊吹様が本気であのようなことをおっしゃっているとは、とても」

「まあ、あの人は手に入らないと分かっている方が、欲しいと口に出せるんじゃないかしら、きっと」


「どういうことでしょうか」

「跡取りの男子というのは、恵まれているけれど、けっこう不自由なのよ。家のために与えられるものしか許されない。自分のためのものは得られないの」


 美鶴は眉を下げて微笑んだ。それ以上の質問をやんわりと遮断した。

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