第6話 永遠―5
何度目かの訪問は、甘い香りを纏っていた。自然と伊吹の持つ白い箱に視線が向く。
「今日はケーキを持ってきたんだ。美鶴ちゃんが好きそうだと思ってね」
「はい、お好きです。ケーキは久しぶりに口になさると思いますので、お喜びになるかと」
「良かった」
「ところで久我様」
「ん、何?」
ごく自然に客室に入り、ソファに腰掛けた伊吹に、永遠は一瞬ためらいながらも問いかけた。
「この時間はまだお嬢様は女学校からお戻りにはならないので、もう少しゆっくりお越しになっても大丈夫でございますよ」
「そうしたら、君と二人で話す時間がなくなってしまう」
平然とそう言ってのけた。どう返すのが正しいのか、判断がつかなかった永遠は、聞こえなかったふりをして、紅茶の準備のため伊吹に背を向けた。どこかでその答えを期待していた自分に気づき、頭を振ってそれを追い出した。
「それと、僕のことは久我じゃなくて、伊吹って呼んで」
「なぜ、でしょうか」
二度も聞こえないふりはさすがにまずいと考え、なんとか答えた。
「僕はまだ久我家を継いではいない。今、久我というと父のことを指す。だから、僕のことはただの伊吹で呼んでほしい」
「そうお望みであるなら」
永遠の返答を聞き、伊吹は満足そうに笑った。
「甘い香りがするわ!」
帰宅するなり、美鶴は目を輝かせて永遠を見つめた。
「伊吹様がお越しです。ケーキをお持ちくださったそうです」
「まあ!」
さらに笑みを輝かせて美鶴は、客室のドアをノックした。
「伊吹さん、素敵なものをお持ちくださったとか」
「ああ。一緒に食べようか」
楽しげに笑い合う二人の横で、永遠はティータイムの準備に取り掛かっていたが、あることに気が付いて手が止まる。
「永遠? どうしたの?」
永遠の背中から、美鶴が顔を覗かせる。
「あ、苺のケーキがあるのね。あたし、これがいいわ」
「僕はチーズケーキを」
二人がそれぞれ希望を口にしていったというのに、なぜかケーキはもう一つ残っている。
「そのチョコレートケーキは、永遠さんの分だよ」
ソファに座って、こちらを見ないままに伊吹は永遠の疑問に答えた。
「そんな、いただけません」
「美味しい紅茶のお礼のつもりなんだけど」
「それは、仕事でございますから」
「あのツインテールの子に、永遠さんはチョコが好きって聞いて買ったのにな」
璃子とそんな会話がなされていたのかと、息をのんだ。
「しかし……」
「だめかな、美鶴ちゃん」
伊吹は交渉の相手を美鶴に替え、用意されかけているケーキたちとティーカップを指さしてみせた。
「許可するわ。いいえ、私たちと一緒にケーキを食べなさい。これは決定事項よ」
姫の命令のような口調でありながら、弾けるような笑顔で美鶴は人差し指を立てた。永遠が少し困っているこの状況を楽しんでいるようにも見える。
「かしこまりました。お嬢様がそうおっしゃるなら」
永遠が折れたのを見て、美鶴と伊吹は顔を見合わせてにこにこと笑った。似た者同士なのかもしれない、と思いながら、ティータイムの準備を手際よく終えた。
「じゃあ、いただくわね。ほら、永遠もここに座りなさい」
「は、はい」
通常、使用人と主人が同じテーブルで食事をすることはない。永遠はどこか落ち着かない心地のまま、チョコレートケーキを口に運んだ。
「……!」
こんなに美味しいチョコレートの菓子を食べたのは初めてだった。思わず顔がほころんだ。
「喜んでもらえたみたいで、嬉しいよ」
伊吹は、言葉のまま心底嬉しそうに微笑んだ。
自分が笑っただけでこんなに喜ばれたのも、初めてだった。永遠はそのふわふわした妙な感覚に戸惑いながらも、美味しいチョコを堪能した。
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