第6話 永遠―3
屋敷がいつもよりも華やかで、皆がどこか浮足立っている。その理由は言うまでもなく、美鶴の婚約者の訪問。美鶴は、襟元の刺繍が美しい、水色のワンピースを身に纏っている。昨日二人で決めた洋服だ。
「お嬢様、婚約者の方はどのようなお方なのですか?」
「
「以前お会いになったことがあると聞きましたが……」
美鶴は少し困ったように笑いながら、首をふるふると振った。
「会ったと言っても、あたしが三歳のときよ。ほとんど覚えてないわ」
「そう、でしたか」
ようやく叶った再会、というわけでもないようで、永遠は口をつぐんでしまった。それを見て美鶴はあっけらかんと言った。
「きっと向こうも覚えてないわ。家が決めたことだもの、こんなものよ」
無理をしている様子でもなく、美鶴にとって本当にただそういうもの、なのだろう。
「では、今日はとても大事な日ですね。初めてお会いするようなものですもの」
「そうね。……そう言われると、なんだか緊張してきたわ」
「それはそれは。余計なことを申しました」
おどけた口調で腰を折る永遠に対して、美鶴は、もーっと頬を膨らませて怒ってみせる。
いつものようにふざけ合ってはいるが、永遠は内心焦っていた。ほぼ初対面ということは、美鶴の人見知りが出てしまうのではないか。そうなると、永遠は本当に余計なことを言ったことになる。
「永遠、そろそろ」
控えめに、一人のメイドが声をかけてくる。ツインテールをふわりと揺らしている彼女は、頼りになる先輩であり、友人である。
「あ、
永遠は時計を見て、焦った声をあげる。伊吹を出迎え、部屋まで案内するのは永遠と璃子の役目だ。
「ではお嬢様、行ってまいります」
「ええ」
背すじを伸ばし、そう答えた美鶴の横顔は少し硬さがあるように見えた。
玄関で待っていると、約束の時間ぴったりに一台の車が到着した。現れたのは、グレーのスーツを身に纏った青年だった。まだスーツよりは学生服の方が似合う年頃のように見える。
「ようこそ、お越しくださいました。久我様。本日は旦那様もご一緒とお伺いしておりましたが……」
「ああ、実は直前に仕事で呼ばれてしまってね。今日は僕一人で」
「そうでございましたか」
永遠は、そっと璃子に目線を送る。受け取った方は小さく頷き、奥様へ伝えるため、足早に、決して走らず部屋へと向かった。
「では、ご案内いたします。客室にて、奥様とお嬢様がお待ちです」
永遠が先導して屋敷の廊下を歩いていく。壁に飾られた絵画や装飾品を興味深そうに眺めている様子は、ここに来るのが初めてに近い、ということだろうか。
「君は美鶴ちゃんの専属かな?」
「はい。お嬢様付きのメイドを務めております」
「名前は?」
「永遠と」
そう、と伊吹が呟いて会話は途切れた。美鶴たちが待つ客室に着き、扉を開ける音で沈黙は去っていった。
「こちらでございます」
「お久しぶりね、伊吹くん。大人っぽくなったわね」
「お久しぶりです、白川夫人。変わらずお綺麗ですね」
「あら、お世辞まで上手になって。ほら、美鶴もご挨拶を」
「……ご機嫌よう、伊吹さん」
立った状態でのやり取りが一段落したところで、永遠はその間に用意していた紅茶をテーブルの上に差し出す。
やはり、少し美鶴の声と雰囲気に刺々しさが見られる。が、永遠は部屋の外で待機しておくことになっていた。後ろ髪を引かれるが、静かに退出をしようとした。
「永遠」
奥様に呼ばれ、それを制されてしまった。何かしてしまっただろうか、と一瞬の間に頭をフル回転させる。
「この紅茶、最近気に入っているの。すぐに二杯目が欲しくなるだろうから、用意しておいてちょうだい」
「……! かしこまりました」
次が飲みたければ、また呼べばいいこと。つまり、ここに留まれ、ということだろう。美鶴のために。
「ところで今日は、久我さんは急なお仕事だそうね。残念だわ」
「はい。父も残念がっていました。代わりを務めてこい、とも言われました」
「それは頼もしいわね」
留まれ、と言われはしたが、奥様と客人の会話に入ることをメイドがしてはならない。永遠は少し離れたところで待機していた。当の美鶴は、時々相槌を打ってはいるようだが、初対面の者が見れば不機嫌な少女に見えるだろう。
三十分ほどそのまま談笑をしていたが、話の狭間で、奥様がすっと立ち上がった。
「少し席を外すわ。二人で話していてちょうだい」
「え」
戸惑いの声をあげた美鶴を置き去りにして、奥様は部屋をあとにした。その直前に永遠にそっと言葉を残していった。
「あとはお願いね」
紅茶のことか、美鶴のことか、一瞬悩んだがその両方だと判断し、腰を折って答えた。
「かしこまりました」
冷めてしまった紅茶をさげて、新しいティーカップを差し出す。
「美鶴ちゃん、でいいかな。昔一度だけ会ったことがあるけど、僕のこと覚えてる?」
「……いいえ」
「夫人の後ろに隠れて顔を覗かせてた。らしいんだ。実は僕もそんなに覚えていなくて」
「そう」
伊吹は、相手を和ませるような笑顔をもって話しかけているが、人見知りが発動した美鶴の素っ気ない返答に一蹴されている。
気まずい間を埋めるようにティーカップに手を伸ばした伊吹が、おお、と声をあげた。
「これ美味しいね。君が淹れたの?」
「はい。お嬢様は紅茶がお好きなので」
永遠は、美鶴と目を合わせていつも通りに微笑んでみせた。私はここにいます。いつも通りで大丈夫ですよ。と伝わるように。
「そうよ。永遠の淹れる紅茶はとても美味しいのよ」
「優秀なメイドなんだね」
「ええ。あたしが小さいころからずっと傍にいるんだもの。あたし専属のメイドは永遠しかあり得ないわ」
得意気に、美鶴は答えた。棘が抜けたような美鶴の表情を見て、伊吹はほっとした様子だった。ちらりと永遠を見て、わずかに口角を上げた。感謝、の笑みだろうか。
「この服も永遠と一緒に選んだものだもの。なんだかんだ揉めたけれど」
「そう聞くと、まるで姉妹のようだ」
「そんな、差し出がましいことです」
思わず話に入ってしまい、永遠は口元に手を当てて目を伏せた。
「そうね。もしあたしに姉がいたら、永遠みたいな人がいいわね」
無邪気な笑顔と共に、美鶴は言ってのけた。
「じゃあ、連れてくるのも彼女の予定かな?」
「何のことかしら」
「美鶴ちゃんが久我家にお嫁に来るとき、使用人を一人連れてきていいっていう、あれ。まあ、慣習みたいなもので強制ではないけどね」
ああ、とすぐに美鶴は頷いた。両家では周知のことらしい。
「永遠にはまだ言ってなかったけれど、あたしはそのつもりよ。来てくれるわよね?」
こてん、と小首を傾げて聞いてくるが、答えはもう分かっている口ぶりである。
「もちろんです。私は、お嬢様のお傍に」
「この美味しい紅茶がこれからも飲めるとは、僕も嬉しいな」
「恐縮でございます」
その後、自然な流れで永遠も会話の中に誘いこまれ、三人での談笑が穏やかに続いた。
「そろそろお暇しようかな。また来るよ」
「ええ」
空になったティーカップを指で弄んだあと、伊吹は時計を見てそう言った。永遠がすばやく動き、伊吹が歩き出す前に扉を開ける。
「玄関までお送りいたします」
来たときのように、廊下を永遠が数歩先を歩いていく。ふいに、何の前触れもなく、伊吹が言葉を投げかけた。
「永遠さん、綺麗だね」
唐突な言葉に、永遠は思わず一瞬立ち止まってしまったが、聞き間違いだと思い、振り返ることもしなかった。
「そうやって歩く姿は百合の花のようだ。綺麗だよ」
聞き間違いではなかったらしい。目を伏せたまま、振り返り膝を折った。
「ご冗談でもそのようなお言葉、使用人にはもったいなきことでございます」
目を合わせないまま、永遠は再び前を向き、歩いていく。後ろで小さく笑う気配がした。やはり冗談だったのだと、永遠はため息をついた。
玄関にて車に乗り込む伊吹へ、見送りの定型文と共に頭を下げた。
「お気をつけてお帰りくださいませ」
閉じた窓からこちらに振られている手には気が付かないふりをした。
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