第6話 永遠―2



 桜の花びらが落ちて地面に積もるように、紅葉が枝を離れて道に真っ赤な絨毯を作るように、記憶は蓄積されていく。


 その膨大な記憶を整理するために、付喪神は夢をみる。

 夢は、記憶である。



 物としてこの世に百年在り続けると、付喪神となり、ヒトの姿形を得る。それを開化、と呼ぶ。そのタイミングと場所は、物であるために自身では決められない。とある洋風の屋敷の奥の部屋で、ふいに朝日のような光が生まれ、そして一人の付喪神が開化した。


「へー、開化ってこんな感じなのねー」


 開化した姿は、二十代半ばの女性で、身につけているのはシンプルな水色のワンピースだった。その場で腕を振って、くるくると回ってみる。彼女はここ、白川家の人間に大事にされてきた腕時計。自分の意思で動くことが出来る新鮮さに心を躍らせていた。しかし、はたと彼女は気が付いた。


「私の姿ってヒトに見えるのよね。ということは、ここにいたら、屋敷に侵入した不審者になってしまうわ」


 誰にも見つからず、ここから出なければならない。が、万が一見つかったとき、その手に腕時計を持っていたら、泥棒と間違えられるかもしれない。ひとまず腕時計はおいていき、屋敷の外に出ることを最優先にする。彼女は音を立てないよう、そっと扉を開ける。その隙間に体を滑り込ませるようにして廊下に出る。そこから、出口を探す。通用口や勝手口のようなものがあれば最適だった。


「あの、どちら様でしょうか……」

「!?」


 角を曲がったところで運悪くメイドと鉢合わせしてしまった。案の定、訝しげな目線が注がれる。彼女は、驚きで一瞬固まってしまった頭をフル回転させて、自分がこの場にいる理由を探す。


「ええっと、その、こちらでメイドを募集していると聞いて来たのですが、広いお屋敷の中で迷ってしまって……」


 この、とっさに思いついた言い訳が、彼女の未来を形作ることになるとは、彼女自身思いもよらなかった。


「そうでしたか。では、奥様のところまで案内します」

「あ、ありがとうございます」


 意外なほどあっさりと疑いは晴れたようだった。掃除にきたメイドが呟いていた、最近メイドがやめたという話を覚えておいて正解だった。前を歩くメイドは、少し後ろを振り返ったあと、前を向いたまま話し出した。


「旦那様は外国でのお仕事が主で、お屋敷のことは奥様が取り仕切っていらっしゃいます。メイドの人選に関しても、奥様がお決めになります」


 一つの部屋に到着して、彼女は促されるままに中へと入った。ここまで案内したメイドは部屋の中にいる主人に一礼すると、そのまま去っていった。


「あなたは?」

 部屋の中央に鎮座する一人掛けのソファに、一人の女性が腰かけていた。一言だけで聞く者の背筋を伸ばすような、凛とした雰囲気を纏う、屋敷の女主人。


「はじめまして、奥様。メイドの募集を聞いて参りました」

「そう。最近、美鶴みつる付きのメイドが辞めたから、新しいメイドが必要だったのよ。まあ、採用するかは美鶴次第ではあるけれど」


 奥様は、近くのメイドを手招きで呼び、美鶴を呼んでくるように言いつけた。美鶴とは今年八歳になる娘、だったはず。と、彼女は物だったころに聞いた情報を引っ張り出す。その娘次第、とはどういう意味なのか。わずかに首をかしげていた彼女に、髪をツインテール結んだメイドが耳打ちしてきた。


「お嬢様は、全くメイドたちに心をお許しにならないので、専属のメイドはすぐに辞めてしまうんです」

「そう、なんですか」


 つまり、美鶴に気に入られず、このまま不採用となるのが一番自然に屋敷から出る方法ということになる。しかし、そうなると顔を覚えられたことによって、腕時計を手にすることがより難しくなってしまう。


「どうしようかな……」

 彼女の誰に聞かせるでもない呟きが宙に消えたと同時に、美鶴が部屋にやってきた。むすっと頬を膨らませて、見るからに不機嫌そうである。


「美鶴、新しいメイド候補の人よ。挨拶なさい」

「……」


 思い切り顔を背け、彼女の方を見ようともしない。彼女は、美鶴の前に進み出て目線を合わせるためにその場にしゃがんだ。


「はじめまして、お嬢様」


 何もせず、そのまま不採用となるのを待っていても良かったのだが、なぜか彼女は美鶴に話しかけることを選んだ。理由は、彼女自身にもよく分からなかった。ただその少女に惹かれた。


「あたし……」

 美鶴は、彼女をまじまじと見つめ、そして、彼女の手を握った。


「あたし、この人がいい」

 奥様をはじめ、この部屋にいる者が息をのむ音がした。少しざわざわし出した部屋の中で、美鶴は彼女の手を離そうとしなかった。


「この子が初対面の人にこんなに懐くなんて、初めて見たわ。あなた、この屋敷でメイドとして働いてもらえるかしら」

「はい。奥様」


 自分自身である腕時計を持ち出さず、メイドとして近くにいることができるこの状況は、案外いいかもしれない、と彼女は考えていた。そして、手のひらの小さなぬくもりは、純粋に可愛らしいものと感じた。





永遠とわ!」

 美鶴の呼ぶ声に、はっとして持っていた花瓶から手を離しそうになった。


「お嬢様、驚かさないでください」

「永遠がぼーっとしてるのが悪いのよ。もう何度も呼んでたのに」


 美鶴は両手を腰に当てて、頬はぷくーっと膨らまして立っていた。わざとらしく見えてしまいそうな仕草でも、彼女がすると自然で可愛らしく思える。初めて会ったときから変わらない。


「申し訳ありません。少し、昔のことを思い出していました」

「昔のこと?」

「私がここに来たころのことを。もう八年経つのですね、永遠という名前をいただいてから」


 メイドに採用された日、美鶴に名前を尋ねられた。名前を持っていなかった彼女は、好きに呼んでください、と答えた。


「分かったわ。いい感じの名前を考えてあげるから、待ってなさい」

 その三日後、美鶴は自信満々にその名を告げた。


「あなたの名前は、永遠よ」

「とわ……」

「ええ。その名の通り、ずっとあたしの傍にいなさい!」


 姫が臣下に命令を下すように、無邪気な愛らしい笑顔で人差し指を突き立てた。その名前は、ただの腕時計だった彼女が、美鶴のメイドとしての存在を証明する証となった。


「そうね。八年前に比べたら永遠もメイドらしくなったわよねー」

 含みのある言葉を発する口元は、悪戯っぽく笑っている。その言葉の裏を分かった上で、永遠はにっこりと微笑んで膝を折った。


「お褒めいただき、ありがとうございます」

「本当に、成長したわね。埃を払うはずが花瓶を叩き落としたり、洗濯物を逆に汚したり、美味しくないミルクティーを淹れることも、もうないわね」


 開化したばかりの彼女は、見よう見まねでヒトとしての日常を過ごすことは出来ても、メイドとしての日常はまた別問題だった。言葉遣いは物だったころからの記憶でどうにかなっても、手先を使うことは慣れるところからだ。それでも、美鶴は永遠を解雇しようとはしなかった。


 からかうような口調で顔をのぞき込まれた永遠は、仕返しとばかりに微笑んだまま口を開いた。


「お嬢様も、近頃は攻撃的な人見知りが改善されたようで。女学校で素敵なご友人に恵まれたようで何よりでございます」


 美鶴が幼い頃、メイドたちを次々と辞めさせる原因になっていたのは、人見知りから来る刺々しい言葉だった。だが、一度内側に入ってしまえば、言葉にも態度にも鋭さはなく、まるで家族や友人のように接するのだ。美鶴がただ不器用なだけだと、永遠が気づくのに時間はかからなかった。


「あら、あたしは人見知りなんかじゃないわ。それに、どちらかというと友人より先生、ね」

「それは失礼いたしました。ですが、その先生には一度お会いしたいです。ぜひ人見知りを改善してくださったお礼を」

「だーかーらー、あたしは人見知りじゃないわ」


 まるで姉妹のように言い合う様子は、今では屋敷の日常風景となっていた。当初は成り行きや、腕時計の近くにいられるから、という理由で留まっていたが、ここで時間を過ごすうちにその理由が美鶴のため、に変わっていった。時の流れは、情を生む。


「ところでお嬢様、何かご用事があったのでは」

「そうだったわ! 明日着る服が決まらないのよ」

「それは一大事ですね」


 二人は急いで、クローゼットルームへと向かう。着物も洋服も、数え切れないほどある中から、一番ふさわしい一着を選ばなくてはならない。


「明日は、お嬢様の婚約者の方が来られるのですから」

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