第4話 大輪の泡沫―5(了)

 花火の打ち上げ時間が迫って来た。花火は川の向こう側から打ち上げられる予定で、多くの見物客は、川のこちら側、出店が並んでいるところから花火を見る形になる。出店で買ったものを片手に、河原に腰を下ろして、夜空を見上げるのだ。おそらく、ももやその母もここで花火を見るのだろう。


 ミイたちは、人混みを避けて、会場よりも上流にかかる橋に向かう。下流の方には大きく新しい橋があり、そちらには多くの人がいるようだが、上流の橋は古いのと離れているから、人はいない。


「ミイ先輩、いい場所知ってるね」

「女郎花さんに聞いたのよ。この橋がまだあるなら、穴場になるかも、ってね」


 ミイたちは、巾着から小さく畳まれている布を取り出した。それを広げると、真っ白な浴衣用のケープになった。ミイとムツのは、レース生地で、ケープを着ても浴衣の柄が透けていて可愛い。イツのは、麻で作られていて、涼しげで浴衣と合わせるとモダンな雰囲気になる。


「無帰課のお仕事よ。花火だけでなく、この祭りで使われて役目を終える、全ての物たちのために、祈りを捧げましょう」

「はい」

「はーい」


 三人は、胸の前で両手を組み、目を閉じた。ここにある、たくさんの物たちに想いを寄せて、祈りを捧げる。橋の周りは静かで、夏の虫の声が聞こえてくるだけ。


 ふいに、空気が震えた。


「!」

 始まりを告げる、大きな花火が空に一つ咲いた。その場の空気ごと震わせるような音に、空を覆うほどの花。夜空を見上げると、光が降ってくるようだった。


「すごい……」

 祈りに集中していなかったわけじゃない。それでも、一瞬で意識が持っていかれた。一発の花火がその場を支配した。そこから次々と打ちあがる花火に、目も耳も奪われた。


「目を閉じてしまうのはもったいないわ。しっかり見つつ、祈りましょう」


 花火の音に負けないように、普段は出さない大きな声で二人にそう言った。同じようなことを考えていたようで、口元に笑顔を浮かべながら頷き返してくれた。


 空に上がると綺麗な円を描く花火、真ん中だけ色が変わるもの、弾けるように色々な方向に光が飛ぶもの、葉が広がるように大きく咲くもの、上の方からゆっくりと孤を描くように落ちてくるもの。孤を描く花火がいくつも打ち上がり、会場のわああ、という歓声がここまで聞こえてきた。


「すごいわね」

「すごかったですね」

 ミイとムツはほぼ同時にそう言った。イツを挟んで二人は微笑み合った。


「……今のは、柳。柳の枝が垂れ下がるみたいに見えるから。その前のが、金椰子、広がる様子が椰子の葉みたいだから。あとは、菊とか、牡丹とか」

「イツ先輩、詳しいんですね」


 イツは、夜空を見上げたまま動かない。瞬きを忘れたかのようなイツの瞳に、花火が映っている。


「――――」


 イツが何かを呟いたが、ちょうど花火の音と重なって聞こえなかった。


「イツ、今何て言ったの」

 再び口を開こうとして、イツは巾着の中から何かを取り出して見せてきた。それは、ここにいる三人ともが肌身離さず持っている、鈴守神社の鈴だった。


「!」



 ――ヒビが、入っていた。



 それが何を意味するかは、よく分かっていた。イツは、思い出したのだ。そして、あと十五分。

 イツは、花火の音の合間を縫って、話し出した。


「僕は、下駄だったんだ。持ち主は男の子で、体が弱かった。花火を見るために頑張るんだって。花火が大好きで、本でたくさん調べてすごく詳しかった。傍で聞いてた僕が覚えるくらい」


 また、花火がたくさん上がった。さっき、イツが菊だと教えてくれた美しい円形の花火が、夜空を覆いつくす。


「でも、年々体調は悪化して、花火大会には行けなかった。僕は連れて行ってあげたかったんだ。あいつに、花火を見せてやりたかった。……僕さ、ずっと、どこかに行かなきゃと思ってたけど、ここだったんだね」

「イツ先輩……」


 おそらく、イツの元の持ち主が見たがっていた花火大会は、まさにこの花火大会だったのだろう、川の氾濫が起こる前の。元の状態の川で行なわれる、花火大会。それがきっと思い出す条件だった。


 そんなことを考えているミイは、自分が決して冷静なのではなく、ただ現実から目を逸らしているということを分かっている。イツが、消えてしまうなんて、すぐに受け入れられるわけがない。


「本当はさ、あの子の片方のサンダルを見つけた時に、予感はあったんだ。頭の隅で何かが目を覚ましかけたような。でも、気付かないふりをした」

 イツは、ミイとムツのことをゆっくりと、噛みしめるように見つめた。


「二人と過ごすのは、悪くなかった……いや、楽しかったよ、すごく。ねえ、二人で僕のこと、送ってくれる?」


 ムツが、大粒の涙をぽろぽろ流している。手の甲で拭っても、次々に溢れてきていて、止められない様子だった。何度も、イツ先輩、と震えた声で言っている。


「ムツ、そんな顔しないでよー。送り式だよ、無帰課の大仕事だ」

「ううっ……」


 ミイは、今にも溢れそうな涙や嗚咽を、ぐっと飲み込んだ。イツの言う通り、大切な仲間の送り式、きちんとしなければ。


「ムツ、祈るわよ。ありったけの想いを込めて」

「……はいっ」


 ミイとムツは、両手を胸の前で組んだ。打ち上がり続けている花火と、目の前のイツのために、手の甲に爪が食い込むほど、強く握りしめて、それを込める言葉は、いつもと同じ。


「わたしたちは、あなたを忘れません」

「わたしたちは、あなたを忘れませんっ」


 イツの体を透けて見える花火がとても美しくて、嫌になる。どんどん、終わりの時間が迫ってきている。


「最高の花火を見ながら、二人に送られるのは良かった。いい終わり方だと思うよ。でも、うーん、やっぱ、寂しいな」

「私も寂しいです……! 嫌です。イツ先輩消えないでください」


「それは、厳しいかな。もうだいぶ薄くなってきちゃったし。……ミイ先輩は、慣れてるから平気?」

 イツが、少し悲しそうにそう言ったことで、ミイの中でせき止めていたものが決壊した。


「平気なわけっ……ないでしょう……!」


 さっきのムツよりも子どもっぽく、ぼろぼろと涙を零して、それを拭うこともしなかった。イツは、驚いた顔をしてから、ほとんど見えなくなっている手でミイの手を握った。


「変なこと聞いてごめん。僕だけこんなに寂しいのかと思って、つい。でも、そっか、ミイ先輩もかあ。ちょっと嬉しい」


「絶対、忘れないわ。イツのこと」

「私もです」

 ムツがイツの上に手を重ねて、力強く言った。


 花火が、最後の盛り上がりを見せていた。たくさんの花火が同時に打ち上げられて、昼間かと錯覚するほど夜空が輝いている。連続する派手な音は、会場の歓声さえも飲み込んでいた。


 花火の音に飲み込まれる中で、ミイとムツにだけは、イツの声が聞こえた。



 ――――ありがとう、と。



 壮大で派手なフィナーレの後、名残惜しさを表すように、一つの大輪の花が咲いた。ゆっくりと光が消えていき、夜空が静かになったと同時に、無帰課は二人になった。





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