第4話 大輪の泡沫―1

「イツ先輩! また一人でどこかに行ってましたね!」

「ごめんって、そんなに怒らないで」

「この前ミイ先輩から、昔の話を聞いた時に言いましたよね? これからは気を付けるって」


「たぶん、とも言った」

「もう!」


 確かにあの時イツは、たぶんと濁した返事をしていたような気がするが、それをその通りに言ってしまうから、余計にムツを怒らせてしまっている。


 ミイとしても、イツが一人でどこかに行っている間に思い出す、なんてことは避けたいので、助け船は出さずに見守ることにした。


「そういえばさ、こんなのを貰ったんだ」

「話を逸らそうとしてもだめで――何ですか、これ」

「この近くで花火大会があるらしいんだ。あちこちでチラシ配ってたよ」

「へえー、このあたりで花火大会なんてあったんですね」


「ずいぶん久しぶりの開催らしいよ。川の付け替え工事が完了した記念だってさ。新しく付け替えたわけじゃなくて、昔に氾濫して形が変わってしまったのを、今の技術で昔の姿を取り戻した、って書いてある」


 イツが、チラシに書かれた文面を読み上げている。ムツは、興味津々な様子で夜空に大きな花火が打ちあがったイラストが描かれたチラシを見ている。イツの話を逸らす作戦が見事にハマってしまっている。


「ねえ、これ行かない? 三人で」


 イツは、ただ話を逸らすためだけにチラシを見せたわけではなかったらしい。こちらの様子を窺いつつ、にやりとそう言ってきた。


「えっ、でも花火大会に行っちゃったらお祈りの仕事出来ないですよ……?」

「向こうでお祈りしたらいいんだよ。いつも、花火の音が聞こえてきたら、ここからお祈りしてるし。それなら、その場に行って祈るのも悪くないんじゃないかなーって」

「それは、一理あるわね」


 ミイがイツの言葉に同意をしたら、イツが、だよね、と嬉しそうに何度も頷いた。まだ少し迷いを見せるムツに、イツはチラシの裏側を見せた。


「出店もいっぱい出るらしいんだ。祭りの定番のりんご飴とか、かき氷、金魚すくいとか、ヨーヨーつりとかもあるって。楽しそうじゃない?」


 ムツの瞳がキラキラと子どもみたいに輝いていく。ムツは祭りには行ったことはない。だから興味津々なのは見ていてよく分かる。


「ミイ先輩、その、行ってもいい、ですかね」

「お祭りではたくさんの物が役割を果たして消えていくわ。無帰課として、祈りを捧げに行かないとね」

「ってことは」

「三人で花火大会、行きましょう」

「やったー!」


 イツの押しに負けてしまった感もあるが、せっかく近くで祭りがあるなら、行ってみたい。イツとムツと三人で行くなら、きっと楽しくなる。




 ある日女郎花から、二階の会議室に来てほしいと言われ、階段を色付けながら降りていた。三人全員で来てほしいとのことなので、何か急ぎの手伝いでもあるのだろうかと、ドキドキしつつドアをノックした。


「入っていいわよ~」

 部屋の中から何やら楽しげな女郎花の声が返って来た。伽羅色に色付くドアを開けて、中に入ってミイたちは目の前の光景に驚いた。


 絵の具の全ての色をパレットに出したかのような、様々な色が部屋中に広がっていた。よくよく見れば、それらはたくさんの浴衣たちだった。


「女郎花さん、これは……」

「警備課の知り合いが、花火大会の主催にいてね、当日の警備の手伝いをすることになったのよ。それで、浴衣を用意したのよー」


「こんなにたくさん?」

「ついつい楽しくなっちゃって。ミイから無帰課も花火大会に行くって聞いて、せっかくだから着てってちょうだい」


 浴衣を着ていくなんて、考えていなかった。あくまで祈りをするのだから、ケープも持っていくつもりだったし、普段の恰好でいいと思っていた。女郎花にそう伝えて断ろうとした。


「あら、いつもの服でケープを付けていたら、祭り会場では目立つわよ? 変に注目を集めるのは本意ではないでしょ」

「それは、そうですけど」


「そうねえ……知り合いに頼んで浴衣にも似合うケープを作ってもらいましょうか。レースや薄い生地を使えば、浴衣でも着こなせるわ」

「本当ですか?」


 ムツがぱあっと顔を輝かせてそう言った。ミイの横で、ムツは目線をせわしなく動かして浴衣を見ていた。着てみたいのだろう。ここまで言ってもらったのだから、女郎花の言葉に甘えることにする。


「では、よろしくお願いします」

「ええ、任せて。ほらほら、好きな浴衣を選んでちょうだい」


 ざっと見ただけでも三十着ほどあるだろうか。店のような品揃えに目移りしてしまう。とはいえ、いつも白を着ているからか、白地の浴衣に自然と視線が向く。


「あ、僕これがいいな」

「イツ先輩決めるの早!」


 イツが手に取ったのは、淡い青色でストライプの入った浴衣。一番星が見えるくらいの暗くなり始めた空の色をしていて、絶妙な色合いが綺麗だ。


「なんとなく、ピンときたから。帯ってどうやって選べばいいんです?」

「そうねえ、この色ならシンプルに紺色を合わせたらどうかしら。ちょっと着てみましょ」

「今ですか――って力強い、行きますから、引っ張らないで」


 わくわくしている女郎花に腕を掴まれて、半ば引きずられるようにして、イツが衝立の向こうに連れていかれた。わざわざ衝立も用意してあったとは、着せる気満々じゃないか。


「ムツは、どれにするか決まった?」

「いえ。ありすぎて迷うというか。自分に何が似合うのかもよく分からないですし」

「ムツなら何でも似合いそうだけれど、普段着ないような色を選んでみてもいいかもしれないわね。新しい自分、みたいな」

「新しい自分……」


 ムツは、じっと一着一着を順に見ていって、真剣に吟味していた。すると、ある一着で視線がぴたりと止まった。若葉みたいな可愛らしい黄緑色に、白い花が散っている浴衣だった。地が黄緑なのは浴衣では珍しいように思う。


「これ、わたしに似合いますかね?」

「可愛いと思うわ。少し羽織ってみたらどうかしら」


「服の上からですか?」

「ムツの着ている服は、そんなにボリュームのあるものじゃないし、羽織って仮で結んで、帯を合わせてみるの」


 昔、フウに教わって浴衣くらいなら着付けが出来る。ムツに浴衣を着せて、長さを調整して腰紐を軽く結んで固定した。ムツは背が高いから、調整分は少なくて済む。そして、帯には白っぽいものを合わせてみた。茶色や紺を合わせても色合いが引き締まって綺麗だろうけれど、ムツの雰囲気に合わせるなら爽やかに白がいい。


「か、可愛い……」

 ムツが感激したような声音で言った。鏡に映る浴衣姿はよく似合っていて可愛い。


「あらー、帯を白色にするなんて、ミイもいいセンスしてるわね」

「ありがとうございます。イツも似合ってるわね」


 女郎花の後ろから、しっかり着付けされたイツが出てきた。青の浴衣がよく似合っている。普段よりも大人びて見えるのは浴衣の効果だろうか。


「ミイ先輩は決めた?」

「ええ。これにするわ」


 さっき、ムツが選んでいる間に、ミイも候補を決めて考えていた。白地にピンク色と薄紫色の花が舞っている。柄が派手過ぎないので、色は可愛らしいが子どもっぽくはない。


「おー、ミイ先輩って感じ」

「絶対似合います!」


 二人からの反応も良くて、ほっとした。似合わないとか言われたらさすがに落ち込んでしまう。


「じゃあ、ミイも羽織ってみましょ」

「自分で出来ますよ」

「いいのいいの。ワタシがしたいだけよ、だめかしら?」

「では、お願いします」


 この中で一番わくわくした表情をしている女郎花に仮の着付けをしてもらう。さすがというか、慣れているのか手際がいい。帯はこの色がいいと思うのだけど、と大人っぽい臙脂えんじ色を提案してくれた。


「あら、とても素敵だわー」

「ありがとうございます。当日、この浴衣たちをお借りします」

「どうぞどうぞ。浴衣たちも出番が回ってきて嬉しそうだものね」


 女郎花の言う通り、浴衣のツボミたちが両手を上げた、わーい、というポーズをしてあたりをふよふよしている。


「花火大会、楽しみね」

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