第3話 一番目と二番目―6(了)

「あの娘――ヒイと呼ばれていたらしいから、わたしもそう呼ぶことにしよう。ヒイをここにしばらく置いていたが、記憶は戻らず、物すらない。仕方がないから、本部に連れて行ったのじゃ」


 ここでは調べられることも限られるからな、と付け足して、桜子はパクっとチーズケーキを頬張った。ミイもフォークで小さく切ったケーキを食べた。爽やかな甘さで美味しく、知らず知らずのうちに入っていた力が抜ける。


「ヒイは、管理課の保護下に入ることになってのう。少しして、灯のやつが同じように記憶のない者を見つけたらしい。二人とも管理課に置いていたが、何も分からないままじゃった」

「ヒイ先輩もフウ先輩も、管理課にいたんですね」


「うむ。ヒイはたまにここへ来ておったのう。からかうつもりで、暇なのか? と聞いたら、そうだ、と何とも悲しそうに笑いおってのう……。記憶がない状態は、ずっと貧血状態で頭がふわふわしているようだと言っておった」


 記憶がない感覚を説明する時は、人によって色々な言い方をする。地面に足がついていないと言ったり、もやがかかったままだとも言う。ヒイは、貧血のようと表現したのは、傍からは見えず、本人にしか分からない苦しさが伝わってくる。


「じゃが、それよりも、何もすることがない、出来ることがない日々が苦しいと言ったのじゃ。ただ、本部にいるだけの日々が苦しいと」

「……」


「だから、わたしから灯に、あやつらに仕事をさせよと言ったのじゃ」

 その言い方が得意げなものではなく、淡々としていたから、本当にヒイとフウのための言葉だったと理解する。


「管理課の手伝いのことか、と聞かれたが、それでは遠慮して他の者と同じように仕事を触れないじゃろう、と返すと図星の反応をしておった。気を遣ってのことが、本人たちには窮屈であった。まあ、どちらが悪いということでもないが」


「それで、えっと、桜子さん、が祈ることを仕事にしようと、提案してくださったのですか」

 ムツが少したどたどしくも、桜子へ尋ねていた。


「いや、そこは灯のアイデアじゃよ」


 そう答える桜子はどこか悔しそうだった。聞いてはいけないことだったのかと少し不安になったが、傍にいる柳が呆れながらも慣れた様子で、まあまあ、となだめているのを見て、大丈夫そうだと判断して、続きを待った。


「本部の中で、ツボミのために出来ることはないかと前々から話があったらしくてのう、そこからツボミのために祈ること、が仕事に決まったのじゃ」

「付喪神になれることが奇跡に近いことですからね。付喪神よりも、ツボミの方がたくさん存在していますし」


 柳は、グラスの近くにふよふよと飛んでいるツボミに語りかけるようにそう言った。そして、空になっていたミイとムツのグラスに、さり気なくおかわりを入れてくれた。


「ああ、そうじゃ、ヒイ、フウ、と名前を付けたのも灯じゃ。呼ぶ名がなくて不便だから必要だが、名で縛るわけにはいかぬ。来た順番でいいんじゃないか、と、灯が言った一言で決まってのう。ネーミングセンスのなさが役に立った唯一の瞬間じゃった」


「ある意味では、灯さんがわたしたちの名付け親ってことですね」

「あんなのを敬わんでもよいぞ! そうそう、課の名前は私が付けたのう。消えゆくツボミのため、無に帰す、と書いて無帰課」


「改めて聞くと、無に帰すって縁起悪くない?」

 店と桜子たちの雰囲気に慣れたイツが、いつもの調子でそう言った。桜子は、気を悪くした様子はなく、一つ頷いた。


「それは灯にも言われたのじゃ。じゃが、無に帰すこと自体は別に悪いこととは思わぬ。そこから始まるものもあるしのう。無に帰す数々のツボミを送る。かの言い伝えにある”人の心を誑かす”ことのないように、のう。……ただ無に帰す、がまさか課の本人たちに当てはまるなんて、思ってもいなかったのじゃ。すまなかったのう」


 桜子が、最後は俯きぎみにそう言った。ミイたちはお互いに顔を見合わせて、微笑んだ。三人とも、無帰課という名前に不満はない。無に帰すことは、この課の者がいずれ行き着くべきところでもある。それを肯定されていることは、むしろ安心するというもの。


「いいえ。わたしたちに、居場所と仕事を作ってくれて、ありがとうございました」





 話を終えてからは、桜子、柳、ミイたちの五人でティータイムとなった。チーズケーキの後に出てきた少し苦みのあるチョコクッキーもまた美味しかった。


「ねえ、柳さん、だっけ? そこにある本って読んでいいの?」

「はい。ご自由にどうぞ。もし何かお好みがあれば、案内しますよ」

「スカッと面白いやつ読みたいな、ムツも一緒に見ようよ」

「いいですよ」


 柳の案内で、イツとムツが店内にある本棚を見て回っている。ミイは、座ったままその様子を見ていた。今日は昔の話をたくさん聞かされて、疲れてしまったのでは、と思っていたが、いらぬ心配だったようだ。むしろ疲れが出ているのは、ミイ自身の方な気がする。


「おぬし、ミイという名前からして三番目じゃな。そこにおるのが、五番目、六番目」

「はい、そうです」


「ということは、おぬしは三人も見送ったのじゃな。頑張ったのう」

 慈しむような口調で言われ、ミイは慌てて首を振った。


「そんな! わたしなんて何も」

「むう。頑張ったやつに頑張ったと言って何が悪いのじゃ。ちょっと、こっちに来るのじゃ」


 桜子は頬を膨らませて、偉そうに手招きをしてきた。ミイは言われるままに桜子の真横に立った。


「屈むのじゃ!」

「えっと、はい」


 またしても言われるままに、屈んでみせると、頭にふわりと柔らかな感触。幼い子にやるように、ミイは桜子に頭を撫でられている。桜子の小さな手のひらで、何度もいい子いい子、とされている。


「あの、えっと」

「頑張った子には、こうするのじゃ。知らぬのか?」

「あ、ありがとうございます」


 誰かに頭を撫でてもらうことが、こんなに穏やかな気持ちになるものだとは、知らなかった。ミイは、自然と笑顔になるのを感じた。


「また、ここに来てもいいですか?」

「いつでも来るとよいぞ。柳の紅茶もお菓子も、美味しいからのう!」


 また、イツとムツと三人で来よう。本を吟味している様子から、二人も気に入っているようだし。行きつけの店が出来たことが、素直に嬉しかった。

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