第3話 一番目と二番目―3


***


 フウは、その見た目通りに物静かで、それでいていつも他の人を気遣ってくれていた。来たばかりで慣れない環境に戸惑っていた時も、フウは穏やかな声と共にティーカップをミイの目の前に置いてくれた。


「紅茶はお好きかな。温かいものを飲むと、落ち着くよ」

「……ありがとうございます」


 ティーカップを持ち上げると、花のような香りが広がり、口に運べばほのかな甘さに心がほぐれていくのを感じたものだ。


 すっかり無帰課に慣れてからも、フウの紅茶が好きで、よく淹れてもらっていた。

「フウ先輩、ありがとうございます」

「どういたしまして。でも、わざわざ僕に頼まなくても、ミイさんは自分で紅茶を淹れられるのに」


 ヒイは危なっかしくて任せられないが、というニュアンスが含まれているのに気づいて、ミイは小さく笑った。今は管理課の仕事を手伝っているヒイが聞いていたら、拗ねてしまいそうだ。


「フウ先輩の淹れてくれる紅茶の方が美味しいんです」

「そういってもらえるのは嬉しいな」

 フウは、ティーポットを仕舞うと、まな板や包丁、フライパンを準備し始めた。


「あれ、何か作るんですか?」

「今日はオムライスを作ってみようかと。ヒイさんのリクエストでね」

「それは楽しみです」


 付喪神は、食事をすることは必須ではない。だが、フウの作るものはどれも美味しく、ヒイとミイはそれを楽しみにしていたのだ。フウも、作ることは嫌いではないようで、色々な料理を作っては、二人に食べさせてくれていた。


 フウは頼まれると断れない人だった。それでいて、きちんと頼まれたことをこなすのだから、凄いと思っている。一番驚いたのは、修理課の手伝いをしている時だった。


「手伝いありがとう。フウ、ミイ」

「いえいえ、役に立てて良かったですよ」

「とてもきれいに直りましたね、さすが修さんです」


 修が修理していたのは、チェロだった。長年使われて弱くなっていたところに、倒れてきた譜面台が当たってしまい、破損してしまったらしい。修理課オリジナルの修復用のクリームを使って、元の素材をそのままに修理されていく工程は圧巻だった。


 ミイとフウは、部品室から必要なものを取ってきたり、指定された番号のクリームを取ったり、サポートをしていただけなのだが、一緒に達成感を味わっている。


「ねえ、フウ。ちょっと弾いてみてくれない?」

「え、僕がですか」

「フウって手先器用だし、楽器に触れる時の様子が、何となく“知っている人”の感じがするんだ。きちんと音まで直っているか、確認したいし、やってみて」

「わ、分かりました。試しにやってみます」


 フウ自身も半信半疑の様子のまま、チェロに手を伸ばした。弓を弦に当てた瞬間に、フウの纏う空気が変わった。水が流れるように弓が弦の上を滑っていく。奏でられる音は、ゆったりとその場にいる者を包み込むようだった。まるで初めから知っていたように、フウはチェロを弾いていた。


「す、凄い……」


 弾き終わったフウが、一番驚いた顔をしていた。自分の手とチェロを交互に見つめて、信じられないという表情だった。


「僕は、どうして、これを弾けたのだろう……」

「もしかしたら、フウは楽器の付喪神なのかもしれないね。でも、弾いても思い出さないってことは、また別の物なのか」

「楽器の、付喪神……」


 あまりピンと来ていないフウだが、チェロを見る目には親近感のようなものがあった。それに、何よりも。


「フウ先輩、弾いている時、とても楽しそうでしたね」

「確かに、何だか楽しかったよ」

「今度、ヒイ先輩にも聴いてもらいましょう!」

「恥ずかしいから、いいよ」


 そう言いつつも、フウはヒイとミイが頼むと少しだけだよ、と言いながらバイオリンを弾いてくれた。試してみたらチェロだけでなく、バイオリン、ピアノも弾けることが分かり、修の知り合いから使わなくなったバイオリンを譲り受けたのだ。


 ――ヒイが消えてしまった翌日には、ヒイが好きだった曲を弾いてくれた。その曲を聴いても、ヒイの「素敵だわ」という声がないこと。それでミイは、ヒイが本当にいなくなってしまったことを実感した。その時にようやく、涙が追い付いてきた。


「ううっ……ヒイ先輩……っ」

「……」

 フウは、涙をこぼすことはなく、奥歯を噛み締めている表情のままだった。



 年月が流れたある日、フウとミイは警備課の手伝いで、鈴守神社の掃除をしたことがあった。五箇所ある神社の掃除はなかなか骨が折れることで、手分けしてやったものの、かなり時間がかかってしまった。


「お疲れー、二人とも」

「筆頭さん、お疲れ様です」

「お疲れ様です」


 筆頭はミイたち以上に動いていたはずなのに、全く疲れているようには見えない。さすが警備課、体力が全然違う。


「はいこれ、手伝ってくれたお礼にあげる」

「鈴、ですか?」

「この鈴守神社の鈴だ。神社にあるのは新しく取り替えたやつで、こっちは古い方。ここのは特別なものだからね、お守りになるよ、きっと」


 ミイは促されるままに、手のひらを出して、その小さな鈴を受け取った。リン、と小さく音を立ててミイの手のひらの上で転がった。お守りになるという言葉から、フウは小さな巾着袋を用意して、そこに鈴を入れて持ち運べるようにしてくれた。



 ――その鈴が、真価を発揮したのは、フウが、自分が何者かを思い出した時だった。


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