第1話 祈りと送り―1
その部屋には、空を額縁に収めたかのような大きな窓が一つ、そして、小さな木製の三段の棚が一つ。床には淡いクリーム色のふかふかのカーペットが敷かれている。足が沈むほどの柔らかさのカーペットであるのには、理由がある。祈りのために膝立ちをしても、痛くないように。
膝立ちをして、胸の前で両手を組み、目を閉じて祈りを捧げる女性が二人。一人は、二十歳くらいの見た目で、肩にかかる内巻きの髪がさらりと揺れる。白いAラインのワンピースに重ねるようにして、肩から肘を真っ白いケープが覆っている。
もう一人は、頭の形に沿うようにカットされた茶髪に、タイトな白いスカートにシャツ、そして肩から肘を覆うケープといういで立ち。膝立ちをしていても分かるくらいに背が高く、ワンピースの女性と同年代の見た目をしている。
二人とも、首元には白いピンバッジが光っている。
やがて、胸の前で組まれていた手がゆっくりと解けた。
「疲れてない?」
ワンピースの女性――ミイがもう一人にそう問いかける。
「はい、大丈夫です」
カーペットについていたタイトスカートの裾を軽く払いながら、もう一人――ムツはそう返した。ミイもゆっくりと立ち上がる。ふかふかで痛くないのはいいが、その分歩きづらいところもある。
シスターのような装いを担っていたケープを外して、丁寧に畳んでから仕舞った。
「それにしても、イツ先輩はどこに?」
「私室にはいなかったわ。またどこかへ行ってしまったみたい」
「もう、あの脱走癖どうにかならないんですかね」
「探しにいきましょうか」
「ミイ先輩は優しすぎるんですよ。一回、ガツンと怒った方がいいです」
「そう、かしら」
扉を開けると、胡粉色にほのかに色づいた。祈り室、と書かれた部屋を出て廊下を歩けば、踏みしめたところが、正方形にほのかに色づく。進むたびに薄紅や琥珀、鶯色などに色づいて、しばらくすると、また元の白色に戻る。ここ、付喪神統括本部は、不思議な場所だ。
本部の外に出ると、思わず目をつぶってしまうほどの強い日差しに出迎えられた。青々とした葉が日差しを受けて煌々と輝いているように見えて、余計に眩しい。じめじめとした梅雨の時期を超えた、からりとした直球の暑さに、夏が来たことを教えられる。
「こんなに暑い中、イツ先輩どこに行っているんですか」
「本当にね」
レンガを基調とした外壁、角度の緩やかな屋根にはグレーのタイル、窓は半円アーチで、ルネサンス風の博物館か、美術館を思わせる、四階建ての本部の建物を背にして、ミイとムツは、歩いていく。
十五分ほど歩いたところで、暑さをものともせず、ゆったりと散歩をしている見慣れた背中を発見した。だぼっとした白いTシャツに、ワイドパンツを着た、十代半ばの青年。ムツは青年の姿を見つけると、不満で頬を膨らませながら声をかけた。
「イツ先輩!」
「お、ムツも散歩か? 珍しい」
「じゃなくて、お祈りの時間です!」
「あれ、もうそんな時間か」
「もう! 私たち無帰課の仕事、分かってますか」
「役目を終えた物たちへの祈りを捧げ、送ること。付喪神となれるのは、百年経ったものだけで、そうでないものの方が圧倒的に多い。そんな物たちを祈りと共に送り出すのが、僕ら無帰課の仕事」
イツは言いよどむこともなく、すらすらとそう答えた。
物は、この世にたくさん溢れている。物は百年在り続けると、命を得て付喪神となる。しかし、全ての物が開化して付喪神になれるわけではない。イツの言う通り、百年経つことなくツボミのまま、終えるものたちの方がほとんど。
無帰課は、彼らへの祈りが届きやすいようにと、一番空に近い四階に位置している。四つの課の中で一番新しいというのもあるが。
「ちゃんと分かってるのに、なんでお祈りの時間忘れちゃうんですか。嫌なんですか」
「嫌なわけではないし、忘れたくて忘れているわけじゃない。僕は行かなきゃならないところがあるんだ」
「どこですか」
「……分からない」
「もう」
再び頬を膨らませたが、ムツの表情には切なさが滲み出ていて、怒る気力はなくなっているように見えた。
無帰課が、他の課と大きく違うところがある。それは、無帰課の職員全員が『とある』理由で一切の記憶がないということ。自分が何者であるかすら覚えていない者がここで働いているのだ。
「イツ、ムツ、本部に戻るわよ」
「はい」
「はーい」
「帰ったらお祈りをしましょう。イツも一緒に」
そう提案したら、ムツがこてんと首を傾げた。背が高いので、ミイの方が見上げる形になるのだが、仕草は小動物のようで可愛らしい。本人に言うと恥ずかしがるので言わないけれど。
「お祈りはさっきしたばかりですよ」
「いいのよ。時間を決めているのは、わたしたちがお祈りを仕事にするため。本当はいつしても、何回してもいいの。物はこの瞬間もどこかで役目を終えているのだから」
イツもムツも、そうですね、と控えめに頷いた。しんみりさせるつもりはなかったのだが、本当のことではあるから、伝え方は難しい。
*
本部の四階、祈り室に帰って来た三人は、ケープを身に纏い、祈りを捧げる。無帰課の制服はないが、白い服であることという決まりはある。ケープを付けた時に違和感のないように、そしてピンバッジもそうであるように無帰課の色は白であるから。
「……」
ミイはちらりとイツの様子を窺う。本人が言うように祈りが嫌ということはなさそうだ。手を抜いている様子はないし、気持ちを込めて、丁寧にツボミたちのことを想っていることが伝わってくる。
手を解き、祈りを終える。
「ふー、これ気力使うよね」
「そうですね。ミイ先輩は余裕がありますよね、さすがです」
「まあ、無帰課歴は長いから、慣れね」
肩をすくめて小さく笑った。慣れることが、いいことなのかは分からないが、という言葉は口に出さずに飲み込んだ。
ふと、カーペットに足を投げ出しているイツが、独り言に近い口調でぽつりと言った。
「祈りってさ、意味あるのかな」
「ちょっと、何言ってるんですか」
「あー、待って、今のは言い方が悪かった。僕たちの祈りって、届いているのかなって思ってさ」
「それは……」
役目を終えたツボミたちへ、または付喪神たちへ、この小さな部屋からの祈りが届いているのか。それが彼らへの慰めになっているのか。普段はあまり考えないようにしていることの一つだ。それを完全に否定してしまったら、きっと無帰課は続けられない。
「ミイ先輩は、どう思いますか」
ムツが、遠慮がちにそう聞いてきた。この三人の中では一番新しく無帰課に来たムツは、不安そうに瞳を揺らしている。その不安を払拭してあげた方がいいのかもしれない、とも思ったが、うわべだけの言葉を言いたくはなかった。ミイは正直に首を横に振った。
「分からないわ。ただ……」
その時、クルッポー! と元気な声をあげながら、一匹の鳩が部屋に入って来た。扉の横にある小窓を器用に開ける姿は何度見ても可愛らしい。本部内は、伝書鳩を使ってやり取りをするのが常である。ミイは、鳩の足に結ばれている紙を広げて目を通す。
「あら、相談者が来たみたいね」
「無帰課に相談者? 珍しい」
イツの言う通り、本部の外との交流は、珍しいことだった。
付喪神のあらゆる情報の収集、管理をして相談もよく受け付ける管理課、物の修理や付喪神の治療を行う修理課、暴徒化した付喪神の鎮圧、保護をする警備課、これらの課に比べれば、無帰課のそれは圧倒的に少ない。
「送り式を依頼したいそうよ。二人も、一緒に行きましょう」
送り式、という言葉で、二人の表情が引き締まった。口にしたミイ自身も、同様に気を引き締める。無帰課の、最も重要な仕事が始まる。
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