第4話
和奈が目を覚ますと空はすっかり暗くなっていた。理解を超えることが起こったり、歩き回ったりしたため和奈が思っている以上に
空腹感もある程度感じている。1日1食はよくあったのだが、今日に限って食欲がわかずに昼を抜いて寝て、起きたのが夜。そしてこちらの日本に来て昼間歩き回って起きたら夜。正確な時間は分からないが、おそらく元の日本基準ではそろそろ朝になるかもうなってるかくらいだろうか。こちらの日本で蓄積した慣れない疲れも、寝たことである程度取れたため、そのなくなった疲労の分が食欲に回ってきたのだろう。
それでも和奈にはどうすることもできない。和奈自身も漠然と決心がついているような気がしていた。やっと自分にも何かを成し遂げることができる瞬間が来そうなのだ。そのことにどこか嬉しさに似た感情も微かに心をつついていた。寝てる間にかいたのであろう汗で濡れた服を肌から引きはがしつつ夜を過ごした。
しかし、こちらの日本での二回目の昼が過ぎたころ、和奈はだるさとめまいに襲われていた。たまらず、熱を吸収して寝心地の悪いベンチに横になり、できるだけ楽な姿勢をとる。約1日強の間水分すら取っていないのだ。昨日あれだけかいた汗も今はかかなくなっており、体から水が飲みたい欲求を押し付けられる。軽い吐き気も催しており、しかし不思議と空腹感はない。和奈も、水を飲まないと3日ほどで死んでしまうという程度の知識は持ち合わせていた。ぼんやりとした思考でその知識を思い出す。
公園には水飲み場がないことにもすでに気づいている。和奈は、自分が何をやっても中途半端にしか続けることができないことを悟ってずっと生きてきた。何かを成し遂げるだなんて経験は今までの人生で一度たりともなかった。そうするにはもう、自分の意思に関係なく時が運んできてくれることでしか、もうできないのだ。
ようやく自分の意思が関与できず、逃げ道も完全になくなってくれた。自分には最期まで時がたつのを待つ以外の道は残されていないことを心の中で自分に言い聞かせる。
このまま寝られてしまえば自分の意思とは関係なく時間が進んで、望んだ逃げ道に近づいて行ってくれる。そう、苦しいのは今この瞬間だけ。ピークに達すれば今までで一番辛い症状が出てくるだろうが、しかし、その一瞬の、それこそ死ぬほどの辛さだけ耐えさえすれば――
(…………あぁ、怖い)
和奈は自分の感情を呪った。ここまでお膳立てされて、なおも腹をくくれない自分に呆れる。和奈は握りこぶしで太ももを軽くタンタンと叩いた。いつだって嫌いなのは自分自身だ。
(寝よう。目を瞑ってればそのうち勝手に)
まぶたと胸元に運んだ握りこぶしに強く決意を乗せようとしながら身を丸める。しかし、瞼で視覚が遮断された脳はその分を思考に回し、嫌いな人間を生きさせようと感情に訴えかけてくる。
おそらく全体から見れば、これはまだ初期症状なのであろう。しかし、それ故にまだまだ脳は働いてくれていた。そして、これから起こるであろう様々な苦しさを想像させ、和奈の決意を踏みにじろうとしてくる。こんなにももうどうすることもできないのに。
いや、無意識の内では分かっていたのかもしれない。本当に逃げ道がないと思っていながらも、めまいや吐き気といった、普段の生活でもたまに経験するであろう症状だけで決心が揺らぐものだろうか。
最大の恐怖から逃げさせようとする脳は、唯一の逃げ道を和奈に思い出させた。目を開けると手をズボンのポケットに入れる。取り出した財布を開くと、他のものと違って縦に入れられた名刺が一番に目に入る。名刺には『ご依頼なんでも承ります』の文字。裏にはあの男の仕事場所であろうと思われる住所が、できるだけ丁寧に書こうとしたであろう字で書いてある。
逃げ道に気づいてしまった。死ぬときの辛さが今までで一番想像ができてしまう和奈の恐怖心はもう止められなかった。
(ダメだな、ほんと)
そう自分を侮蔑しながら、和奈はベンチをよたりと立ち上がる。ゆっくりとした足取りで細い道をとおり、アパートの並ぶ広めの通りへ出る。すると、
「あれ?」
男の声が聞こえてきた。
「昨日の、えっと、なんだっけ、チバケンの」
声の主は名刺を渡した空巳であった。あまりの偶然に、あっと掠れた声が漏れる和奈。空巳の手には買い物帰りのビニール袋が握られている。
「確か警察かなんか行ったんじゃなかったでしたっけ。なんかあったんですか?」
昨日の調子のまま和奈に尋ねてくる。和奈は呆気に取られてしまったが、まだある程度働く脳を動かし返事をする。
「あ、実は、その……ちょっと色々あって家に帰れなくて、公園で野宿してて、それで昨日から水も飲んでなくて、あ、いやまだ全然ちょっとだるいだけなんですけど、それで」
乾いた喉から、名刺に書いてくれた住所に向かおうとしていたと続けようとしたところで、空巳はそれよりも重要なところに食いつく。
「えっ、なんも食べてないんですか!? ヤバいじゃないですか! とりあえず家来てください」
早口で驚き心配しているのは伝わるが、どこか緊張感なくも聞こえる調子で声をかけてくる。
「あ、はい。……すいません。助かります」
仕事場ではないが、空巳に頼ることに変わりなかったので、和奈は大人しく空巳に連れられ歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます