第四話 死者ノソノ先ヘ

 本当に死体があった。

 その事実に動悸が激しくなる。心臓の鼓動が速まっているのを感じていた。


 だが、落ち着かなくてはいけない。

 狭心症の発作が起きてからでは遅いのだ。胸に負担をかけるのは危険が大きい。


 とはいっても、本当に狭心症の症状があるのかは知らない。

 俺はここ数十年、病院に行ったことがないからだ。体調がどんなに悪くても、病院に行くのが嫌だった。医者だか何だか知らないが、どこの馬の骨ともわからん奴に自分の身体を探られるなんて、誰が好き好んでやるものか。

 だから、俺は国民健康保険にも入っていないし、国民年金だって一度たりとも払ったことはない。少し前までは生活費は自分で稼いでいたが、身体にガタが来て、それもままならなくなり、今は生活保護を受けて暮らしている。


 そんなことは、まあいい。

 落ち着こう。落ち着くんだ。


 死体を眺める。殺されているのは中年の女性のようだ。刺殺されているようだが、揉み合った形跡があり、ところどころに切り傷や殴打されたあとがあった。死体の手元を見ると、指がちぎれており、その得物を奪い取ったかのように見える。

 間違いなく、この場で殺し合いがあったということだ。


 大丈夫だ。こういう場では落ち着かなくてはいけない。

 若いころの失敗を思い出す。あの時は無用に取り乱したために惨めな思いをした。もう、あんな目には遭いたくない。

 自分自身を騙すんだ。俺はこんな修羅場を何度だって潜り抜けてきた。今回だって、どうにかできる。


 首の痛みに耐えつつ、周囲を見渡した。動くものは何もない。この近くにこの女を殺した奴はいないらしい。

 ならば、先へ進む必要がある。殺人犯に出くわすのは避けたいが、それ以上に、殺人犯がどこにいるかわからない状況こそを警戒すべきだ。

 俺は足の痛みの少ない歩き方を模索しつつ、先へと進む。


 通路は何度か分かれ道があった。その都度、楽に進めるほうへと、とにかく進んでいく。少し歩くだけでも激痛が走るのだ。選べる選択肢はあまりない。

 それに、どこに殺人鬼がいるのかはわからない。警戒を怠ることはできなかった。


 どれだけ歩いただろうか。俺の遅々とした歩みでは大した距離ではないのかもしれない。

 そうして散々苦労して辿り着いた先には、ドアがあった。俺に戻るなんて選択肢は取れない。意を決してドアノブに手をかけた。


 キィィィ


 扉が軋みながら開いていく。そこは広間のようだった。

 奇妙なことに、扉が軋む音は俺が明けたドア以外からも聞こえてきていた。広間には入り口が複数あり、その別の入り口からも俺が扉を開けたのと同じタイミングで人が入ってきたようだ。

 だが、そんな偶然があるだろうか。俺は警戒しながら、同時に入ってきた人々の様子を眺める。


 入り口は俺が開けたものを含めて、六つあった。それぞれの入り口にいるのは年齢も性別もばらばらの五人。

 見たところ、若い女が二人、壮年の男が二人、そして軍服を着た男がいた。


 俺は軍服の男を警戒する。もしかしたら、こいつが殺人鬼なのか。

 しかし、しばらくして取り越し苦労かもしれないと思いなおし、ため息をついた。到底、戦いのプロといえる雰囲気が皆無だ。喧嘩慣れした奴らや殺しを経験した奴らとも付き合いがあったが、その程度の身のこなしやギラつきもない。間違いなく、トーシロだ。


 女は二人。地味な女と派手な女。

 地味な女も小綺麗な服装をして、さっぱりした顔立ちで、美人といえなくはない。

 派手な女は化粧が濃く、顔の美醜の判断はつかなかった。水商売でもしているのだろう。


 壮年の男は、色眼鏡をかけて髪を染めたチャラい男と、自信に満ちた表情をした堂々たる大男の二人だ。

 チャラ男はどこかおびえているようで、キョロキョロと周囲を見渡していた。しばらくして自分が見られていると気付いたのか、急にふんぞり返ったように虚勢を張り始める。

 大男は態度は変えず、堂々とした様を崩していない。ただ、この男にはどこか見覚えがあるように感じる。


 この中に殺人鬼がいるのか。それとも、別の場所か。

 俺はこいつらからどう情報を引き出すか、思案した。

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