調理場地獄 ー今日の女王のご機嫌は・・・―

細蟹姫

第1話 私の仕事

 「おはようございます。」


 私は調理場のドアを開くと同時に、その場の全員に聞こえるように声をかけた。


「あ、おはよう間野さん。」

「おはようございます。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・(ペコリ)」


 今日も、女王は忙しそうに身体を動かしながら無視を決め込んだ。

 成程、彼女の機嫌は悪いみたいだ。

 けれど、女王の側近が会釈を返してきたという事は、そこまで最悪と言うわけでもなさそうである。


 『じゃぁ、今日は極力言葉を発さず、邪魔にならないように動いて、パートさんのヘルプに入りながら隙を見て事務仕事をしようかな。少しくらいなら佐倉さんの周りを歩いていても大丈夫でしょう。』


 皆の反応から、自分の一日の役を割り出す事。

 それが朝一番の私の仕事。

 我ながら、なんてくだらない仕事なのだろうと思うけれど、

 長くこんなことをしていると、それが当たり前になっているのだから恐ろしい。


 正規職員2名 パート職員3名 計5名。

 私立保育園の園児100名程と職員30名の給食を作るこの小さな調理場には、女王がいる。

 私たちは、女王の機嫌をとるためだけに存在する、トランプ兵のようなもの。

 彼女の機嫌しだいで、その首は簡単にはねられてしまう。

 だから、今日も私たちは、せっせと白い薔薇を赤い薔薇に塗り替えるのだ。


 これは、そんな不思議の国悪夢から私が逃げ出すまでのお話。



 ***



 私、間野小春まのこはるは、とある田舎の保育所の調理場に努めている栄養士、いわゆる、『給食のおばちゃん』だ。

 年齢からすると、まだお姉さんでいたいけれど、園児たちにとったら総じて、給食のおばちゃん。主な仕事は給食の調理作業である。


 私がこの保育園へと勤め始めたのは3年程前。

 新卒でS保育園の栄養士をして6年、栄養士という仕事にほとほと嫌気がさし 「今後は栄養士としては働かないぞ!!」 と意気込んでの転職活動中、出会ったのがこの職場、A保育園だった。

 当初は調理員の募集をしていたA保育園に面接に行くと、在職の栄養士が一人辞めることになった為、急遽栄養士を募集することになった旨を伝えられた。


「申し訳ありませんが、栄養士として仕事をするつもりはありません。」


 そう断って家に帰った翌日、A保育園からの電話が鳴った。


「本当に申し訳ないのだけれど、今産休を取っている栄養士が復帰するまででもいいから、どにか働いてもらうことはできない?」


 それすらも断ったのだけれど、一週間後、再び電話が鳴る。


「考えは変わらないかしら?」

「・・・。」


 まともな人間ならば、こんな会社への就職を絶対に受けなかっただろう。

 この時点で非常識であるし、会社に魅力がないからこそ人が来ず、辞退者をいつまでも追ってくるのだ。

 けれど、当時の私はまだ若かった。

「そこまで欲してくれているのなら」と、その話を受けてしまったのだ。


「嫌だったらすぐにでも辞めればいいんだから。」


 なんて、気楽なものだったと思う。

 これが、悪夢の始まりだなんて、気づきもしなかった。


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