第3話 高嶺の花

「おいーっす」

 香奈が帰った後に、暫くしてかっちゃんがウチに来てくれた。

 かっちゃんこと、克己くん。僕の幼稚園からの親友だ。平々凡々な僕とは対照的に、かっちゃんは頭が良くて、偏差値の高い進学校に入学している。男友たち、女友たちも多く、どちらからも好かれる存在。

 だけど頭が良い割には、小中学校の時は

 イタズラばかりしていた。

 小学校の時は「もっと違う斬新なスポーツを考えたい」とか言って、階段で野球ボールを使い、全てバウンド自由のキャッチボールをしたり、校舎の2階のベランダで『命懸け懸垂』と称して、柵を超えて、いつ落ちてもおかしくない状況の中、懸垂してみたりとかして(その後、先生に見つかってこっぴどく叱られたが)。

 中学生になると、それはまた1段と加速して、校庭の庭に大きな池があって、そこにはコイとかフナとか、色々な淡水魚がいた。そこに目を付けて、敢えて釣りをしたり、バレると逃げ足だけは速く、体育館と校舎の狭い壁を3段跳びの様に、リズミカルに体育館の壁、校舎の壁とタンタンッ! と、飛び移って最終的には、体育館の屋根に上ってしまうという、荒業あらわざを披露した事がある。

 勿論、その後こっぴどく先生たちに叱られたが、運動神経は抜群で、頭も良かった。

 後々にかっちゃんが教えてくれた、あの壁を3段跳びしていく様な技は『パルクール』という競技を、模範にしていると言っていた。

 かっちゃんが言うには『パルクール』っていうのは、移動動作を基本とした、人が持つ本来の身体能力を、引き出し追求する競技らしい。

 それを聞いた当時の僕は「いよいよかっちゃん、頭が良すぎてぶっ壊れたか?」と思ったけれど、自宅のパソコンで動画サイトを検索したら、ちゃんと出てきたから、そこで初めて『パルクール』の存在を知った。


「何か忍者みたいでカッコ良くね?」


 と屈託のない笑顔で懲りずに、イタズラをするかっちゃんは僕のヒーローだ。と、同時に無二の親友でもある。

 コンドームもかっちゃんから貰った。


「お前も付き合って五年目になるなら、さっさと男になっちまえ」

 渡されたのは記憶に新しい。

 やっぱり、付き合って五年目になる訳だから、性行為があっても、別に何もおかしくはないんだろう。

 なのに僕には、その経験がない。貴重なサンプルのカップルだな、とかっちゃんは笑っていた。

 傍から見たら、僕らのカップルはやっぱり遅いのかな。香奈は、待ってくれているのかな?

 だとしたら、僕は相当な意気地なしだ。どうしようもないほどに。太鼓判を押してもおかしくないぐらいに。

 だから香奈が帰ってすぐに、かっちゃんに連絡して来てもらった、という訳である。

「んで、どーなった? 無事に初体験を迎えたのか?」

 何か楽しそうに聞いてくるかっちゃん。僕はかぶりを降った。

「あちゃー。やっぱり駄目だったかー」

「かっちゃん、何だか変なんだよ」

「変って、何かあったのか? あ、もしかしてれる場所間違えたとか? やっちまったな、周! いや、決して恥ずかしがる事じゃない。そういう事だってあるさ、お互い初めてだったら……」

 勝手に腹を抱えて笑う。

 それに対して少しだけ僕はムカついた。

「真面目に聞いてくれよ! 何も出来なかったんだ!」

「何も出来なかったぁ?」

 僕は頷いた。

 そのまま細かな事を、かっちゃんに全部話した。かっちゃんは黙って僕の話を聞く。

 全て話し終えると、かっちゃんは腕組みをして、唸り始めた。

「周は昔からポヤッとしていて、何だかボーっとしているヤツだなぁ、とは思っていたけれど……。うーん、何だろうなぁ」

「突然だったんだよ。急に何だか冷静になってというか、身体が金縛りみたいにピタッと動かなくなるというか」

「でも、別に香奈ちゃんの事が嫌いな訳でもないんだろう?」

 再び僕は頷いた。

「俺は据え膳食わぬは何とやら、って言葉通り相手に恥をかかせたくないし、俺も恥かきたくないし。寧ろそういうシチュエーションになったら、男だったらいっちゃうでしょ?  俺だったらね? だけど周は何故か分からないけど、それ以上の行為が出来なかったって訳だ」

 かっちゃんも腕組みをやめず、うーん、と唸る。

 ちなみに香奈とかっちゃんは面識がある。

 面識があるというより、かっちゃんのイタズラが有名で、たまたま僕の親友だったから知っているという感じ。

 香奈はかっちゃんに対してどう思っているのか知らないけれど、かっちゃんは香奈の事を「とんでもなく我の強い女子」と評している。

 イマイチ僕には、ピンと来ないのだが、人によってはそう見えるんだろう。

 確かに香奈は男子に対して、気が強いイメージを持たれている。

 だけど僕の知らないところで、香奈はかなりモテていたらしい。これはかっちゃんの情報だ。

 中学の時に、彼女は何人かの男子から、告白されていたらしい。けれど、その告白を全て、丁寧に断っていたそうだ。

 多分、現在進行形で僕の知らないところで香奈は、男子に告られているかもしれない。

 そう考えると、もし愛想を尽かされて、違う男子の元に行ってしまったらどうしよう、と不安が尽きない。

 そんな風に、僕が悩んでいてもかっちゃんは、


「香奈ちゃんはそんな事でなびく様な娘じゃねえよ」

 と僕に言う。

「もう少し、自分に自信を持てよ。幼なじみとはいえ、可愛い女の子に様変わりした香奈ちゃんと、付き合えているだけでも有難く思わなきゃ」

 確かにかっちゃんが言った通り、香奈は可愛い。

 だけど、かっちゃんは「とんでもなく我の強い女子」とも言う。

 僕は時々思う事がある。

 考え過ぎなのかなぁ、と。

 小さい頃から自分の気持ちに鈍感で、相手の気持ちには敏感だった気がする。

 だから正直、小学校の卒業式が終わった直後に、香奈に呼び出されて逆告白をされたのを、今でも鮮明に覚えている。

 何となく、香奈は僕の事が好きなんじゃないかな? なんて思える節がちょこちょこと垣間見えた。

 それが本当になった。

 だからこそ、僕は逆に言わせてしまって申し訳ないと思い、僕も香奈の事が好きだったから、改めて彼女に告白して付き合う様になった。こういう告白は男から言わなきゃいけないのに。

「なぁ、周」

 唸っていたかっちゃんが、何か思いついた様だった。

「一回さぁ、ウチの高校の保健の先生に相談してみないか?」

 はい?

 今なんておっしゃいました?

 僕は突然の提案に何も言えなかった。

 かっちゃんの通う高校の、保健の先生に相談? 思いも付かなかった事だ。

「ウチの高校の保健の先生、何でもカウンセラーの資格を持っているらしくて、俺らみたいな未成年の主張をちゃんと聞いてくれるんだ。俺もかなりお世話になった。結構凄い先生なんだぜ? どうだ? 一回、騙されたと思って相談しに行ってみないか?」

 とは言うもの、他校の生徒が普通に会いに行ける訳がない。

 世間では、教師は学校外で生徒と、プライベートによる接触は、固く禁じられているはず(家庭訪問は別として)。

 それを、どうやって会いに行けばいいのだろう。今、僕は部活も、これといって入部はしていない。部活でもやっていれば、おそらく何かしらの理由を付けて、かっちゃんの高校に訪れる事は可能だったと思うけど。

 ちなみに部活はやっていなくても図書委員ではある。

 毎日図書室で香奈の部活が終わるのを待っているのが、僕の日課でもある。

「いや、意外と簡単に会えるかもしれないぜ?」

 はて?

 一体どういう事なんだろう?

 僕はかっちゃんの表情を読み取る。

 こう言っちゃあ悪く聞こえるが、何かしら良からぬ事を考えている様な表情をしている。

「どうやって、その保健の先生に会うっていうのさ」

「俺の替えの制服、貸してやるよ。放課後にどっかの公共トイレで着替えて、ウチの高校の生徒に成り済ませばいい。そうだ、そうしよう」

「ちょ、ちょっと。勝手に決めないでよ。それにほぼ毎日、香奈と一緒に帰っているんだ。それは流石に無理があるよ」

 すると、いつもの悪戯っぽい表情を浮かべて、

「じゃあ、このまま平行線のままのお付き合いで良いって事か? ホントにそれでいいのか? 彼女はきっと待っているかもしれないぞ? え? おい?」

 煽りに煽ってくる。

 かっちゃんの悪い癖だ。

 人の心をわざと弄ぶように、だけど悪い気持ちにはさせないギリギリの線で、何かを掻き立てさせる。

 もしこれを社会人で普通の会社員で、部下や得意先にやったらパワハラ間違いなしといってもいい。

 相談したのが馬鹿だった。自然と溜息が出る。その瞬間をかっちゃんは見逃さなかった様で、

「また、消極的になって。もう少し自分に自信を持てよ。確かに香奈ちゃんと周を比較したら、そりゃあ周からすれば、高嶺の花をゲットしたかもしれない。だけどお互いに好き同士であれば、何も問題なんてないだろう? 違うか?」

 かっちゃんは半ば、僕に対して呆れていた。そりゃあ呆れてしまうだろう。こんなにも自分に自信がないのだから。


 高嶺の花。


 確かにそうかもしれない。そもそも香奈と、僕とでは釣り合わない。

 だけど、その高嶺の花は、僕を好きでいてくれて、こんな情けない僕を大好きだと言ってくれる。

 僕は一度、深呼吸をする。よく父さんに言われたっけ。自分自身に、落ち着きを取り戻す一番の方法は、深呼吸に限るって。

 一度騙されたと思って、かっちゃんの提案に乗ってみようか。

 だけど僕はかっちゃんに「一応少しだけ考えさせて」と答えた。

「女子かよ」

 とかっちゃんに呆れられたのは、言うまでもない。

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