第5話 色恋沙汰

 応接室。冴子と部長は机を挟み、スーツの来客と話した。相手方から渡された紙を見ると、部長はうーんと渋い顔をする。


「うむむ。この予算だと少々難しいですなあ。我々下請けも生活がかかっておりますから、こう、もう少し色を……」

「そうですか。では他社に頼みます」


 集団は無関心に立ちあがろうとした。


「いえ、もう少し、もう少しだけで構まわないんです。お願いします」


 部長は慌てながら彼らを引き留める。

 冴子も渡された資料を読む。

 イベント企画。

 大手通信会社の新マスコットキャラクターのお披露目会。

 そのマスコットキャラクターとやらのコンセプトやデザイン、宣伝は、エー広告代理店に丸投げ。

 各種CGやロゴ、イラスト、アニメーション、プロモ、着ぐるみやフィギュア、諸々の設計図面などの作成は、弊社に丸投げだ。

 数字がぼんやりした。

 老眼気味で字がよく見えないときがある。

 この歳で老眼だと認めたくないので、老眼メガネは絶対かけないが。

 癖でメガネを少しずらした。

 数字を見てぼんやり思う。


 おいおい。こんだけ丸投げしといてさすがにこの予算は低すぎでしょ。この作業絶対いらねえし。下請けの足元見過ぎ。つか企画もあちこち宣伝してる割によく見たら大したことねえな。見栄っ張りなのか?


 部長や男たちが、目を動かして冴子に注目する。

 視線に気づかず、冴子の頭には考えが泡のように浮かぶ。

 

 エー社、最近株価が暴落してるよな。ケチなくせにプライドだけは高い会社ってのが世間に露呈したんだろうな。うちの会社のほうが株価まだマシ。はい、うちの勝ち〜。上場してないから株ないけど。


「石島さん、き、君……」


 部長にプルプルと指さされたところで、ようやく気づく。


「あ、やべ」

「御社の意向はわかりました。では」


 来客が続々と応接室を出て行く。


「待ってください。これは……、その、あれです! どこです……」


 冴子は呆然として、頭が真っ白になった。

 自分のせいだ。自分心のせいで人に迷惑をかけてしまった。

 だが、ただ一人だけ、ある男が残った。三十代くらいの、鼻筋のシュッと通ったイケメン。


「すみません、石島さんでしたよね」

「え? あ、はい」

「名刺、お渡ししていませんでしたよね。わたくし伏見ふしみともうします」


 イケメンから礼儀正しく名刺を渡される。


「どうも」


 どう反応していいかわからない。


「予算の変更について前向きに検討します。またご連絡しますね。今後ともよろしくお願いします」


 伏見は愛想よくぺこりと頭をさげ、応接室から出て行った。

 冴子は、部長と一緒にぽかんと棒立ちした。

 今のはよかったの? 悪かったの?

 ドカドカと、後田や静香、大人しいグループの社員たちが部屋になだれ込む。


「石島さんやったじゃないっすか! 取引先相手に正論キメたときはシビれました!」

「師匠さすが! やっぱり師匠は最高!」

「私師匠に一生ついていきます」


 社員たちは歓声をあげた。

 冴子はひっくり返りそうだった。


 私、とんでもないことしてない?


 


 昼休みのオフィス。後田、静香、大人しいグループの社員たちが、仲良くお弁当ランチ。この状況はどうなのかと、どんより考え込むメガネの冴子を取り囲んで。

 箸を持つみんなの表情はイキイキと笑顔で、いつも血走っていた目は輝いている。楽しそうだ。冴子以外は。


「石島さんのおかげで社内の雰囲気も変わったっす。部長も怒らなくなったし、残業もほどほどになったっす」

「師匠のおかげであの子たちもおとなしくなりました。私も悪口を気にしなくてよくなって、働きやすいです」

「師匠、本当にありがとう。最近あんまり毒舌じゃないけど、もっと言ってもいいんだよ」


 どんよりした冴子は、のそのそ箸の先を口に運ぶ。

 いつの間にかオフィスで冴子の派閥ができていた。


 めんどくせえ。


「石島さん! 石島さん!」


 みんなが冴子に懐いた。

 どうしても一歩引いてしまう。

 めんどくさいのと、もうひとつ理由がある。


 これって本当に私の力?

 私自身はなにもしてなくない?


 向こうのテーブルでは、横山の派閥が固まり、こっちをじろじろ見ながらお弁当を食べている。

 横山がこれみよがしに大声で話す。


「私今度彼氏と結婚するの」

「インスタにあげてたよね。夜景の見えるレストランでプロポーズされたんでしょ」

「いいなあ。私も彼氏と結婚しようかな」

「つか、結婚してないし彼氏もいない女とかヤバくない?」

「30すぎで処女とかもっとヤバい」


 横山ら女子社員たちはギャハハと笑った。チラチラこっちを見ながら。

 冴子派の社員たちも、気まずそうに自分を見てくる。

 けれども、余裕の気持ちでフッと笑った。


 結婚とかどうでもいいわ。どうせ私性格悪いし口下手だし。一人で生きていけるくらいのスキルはとっくにあるんだわ。


「師匠、強く生きて」


 きりっと眉をあげた静香に、手を握られた。虫唾が走る。


 やめろや。


 ブーっと、スマホに通知が。


 ん? 誰だ?


 いかんせん、老眼気味で小さなスマホの通知の字がよく見ない。少しばかりメガネを上げた。

 文字を認識したら、驚きのあまりするっと箸を落としてしまった。

 SMSでメッセージが来ている。


『食事にいきませんか?』


 ……この前のイケメンじゃん。


「ええ?!」


 心の声を聞きつけた周囲が立ちあがり、スマホをのぞきこんできた。

 横山らも駆けつける。


「本当だ。師匠やったじゃないですか。これは春の訪れですよ」

「そうだ。石島さんに春が来るっす!」


 石島派の社員たちは、ぴょんぴょん飛び跳ねてよろこんでいる。


「ムキーッ」


 横山たちは地団駄をふんだ。

 冴子は身体がこわばった。


 いくらなんでもベタすぎない?



 

 待ち合わせして連れて行かれたのは、夜景の見えるレストラン。

 ソワソワして座るメガネの冴子。今日はひっつめ髪を下ろし、お母さんが買ってきたピンクのワンピースを着ていた。

 目の前では、スーツのイケメン伏見が、すまして食事をしている。

 彼の顔を、照れ臭くてまともには見られない。


 なんでこうなったの?


 伏見は笑顔を向けてきた。


「『なんでこうなったの』って顔してますね」

「ぁひ」


 図星をつかれ変な声が出て、彼を見ざるをえなかった。

 そして、伏見の肩越しから見える風景に、椅子からひっくり返りそうになる。

 座って食事する客の中に、変な帽子や口ひげをつけたトンチキ集団がいる。

 後田や静香、会社の社員たち。あの変な格好は変装のつもりか。

 座ったそいつらは上体をひねり、こちらをじっと観察してきている。


 てめえらなんで来た!


 冴子は目を左右にぎょろぎょろ動かし、彼らにそう一心に念じた。


 どっかいけ!


 社員たちはニヤニヤし、『わかってますよ』といわんばかりに大きくうなずくだけだ。いかんせんメガネありだと心の声が届かない。

 目を掻きむしりたくなる。


 あーメガネ外してえー!


「石島さんの目は素敵ですね」

「へえ?」


 我ながら変な返事が口から飛び出た。


「あちゃー」

「師匠ってば、肝心なときに」


 後田が頭を抱え、静香がハンカチを噛んだ。

 伏見はクスクス笑っている。


「石島さんに正論を言われたときはドキッとしましたよ。確かに僕も自分の会社のやり方に納得できていませんでした」

「はあ」

「でも僕には言えなかった。自分の会社のことなのに。あんなにズバッと正論を言える人は始めてでした。とても素敵です」


 まっすぐに、じっと目を見られる。真剣な、本心からの尊敬の目。

 なんだか申し訳ない。


 本当にこれでいいのかな?

 ううん。よくない。


 冴子はため息をつき、メガネを外して念じた。


 ごめんなさい。私やっぱり帰ります。

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