Episode1・ゼロス誕生8

「どうした、フェリクトール」

「面倒くさい書簡が届いたよ。見てみるといい」


 フェリクトールからハウストに渡され、その内容にハウストは苦笑を浮かべました。

 きっと内容は政務でしょう。私は立ち入らないように控えていましたが、フェリクトールが渋面で私を見ます。


「君宛だ」

「え、私ですか?」

「ああ。王妃になった祝いの書簡だ。だが、送り主に些か問題がある」

「この方は……」


 書簡を読んでなんとも複雑な気持ちになりました。

 送り主は私の出身国の国王だったのです。

 私は人間界の片隅にある小国出身です。しかも故郷と呼べる地は、その小国の端にある領地の町外れです。孤児院を出てからは山奥の小屋でひっそり暮らしていました。

 今は亡き領主の名前はバイロン。冷酷無比の残忍な男で、魔界の女性を殺してハウストの怒りを買った男です。

 この書簡はその領地のある国の国王からでした。国王は魔界の王妃になった私の出身地が自国だと知って書簡を送ってきたのです。

 理由は一つ、魔界に近づくことで他国への牽制にするつもりでしょう。立場的にも小国が魔界と懇意になることは難しいので、私を利用するつもりなのです。この手法、ハウストの婚約者になってから何度も巻き込まれてきましたよ。


「この小国に、魔界はもちろん王妃たる君をどうこうする力はない。ただ祝うだけで満足するだろう。これくらいの国なら、君を祝うだけでも充分な恩恵があるものだ」

「どうする、ブレイラ。無視してもいいぞ?」

「……呼ばれているのは私だけ、なんですよね」


 書簡には魔王への挨拶はあるものの招待者の名前は私だけでした。

 本音では三界の王を招待したいようですが、神格の王達に畏れを抱いているのでしょう。

 フェリクトールは冷ややかに書簡を一瞥します。


「ああ。さすがに魔王や勇者を招待することは憚られたようだ。当然だ、祝い事とはいえこの程度の小国が三界の王を招致するなど有り得ないことだからね。本来なら魔界の王妃を招致することも許されないが、書簡にも君の出身国だと強調されているだろう。そういうことだ」

「まあ、たしかに」


 故郷に特別な思い入れや未練がある訳ではないので、出身国だと強調されてもなにも思うことはありません。戻りたいとも、帰りたいとも思っていません。

 でも、出身国であることに変わりはないので縁がないわけでもないのですよね。

 それに行きたい場所がないわけでもありませんし。


「……分かりました。行ってみようと思います」

「なに、行くのか?」


 ハウストが驚いた顔で私を見ました。

 その反応に私も目を瞬く。


「どうしました? 聞いたのはハウストではないですか」

「そうだが……、断ると思っていた。一人だぞ?」

「緊張しますが、招待されることはもう初めてではないのですから大丈夫ですよ。それにゼロスは連れて行くつもりです。ゼロスはまだ普通の赤ん坊のようなものですし、大丈夫ですよね」

「オレもいく!」


 イスラが勢いよく言いました。

 楽しみだと顔を輝かせる様子に笑みが零れます。


「ふふ、では頼んでみましょう。シュラプネルの時のように勇者ではなく私の子どもという名目なら大丈夫でしょうか、ねぇハウスト。……ハウスト?」


 ハウストに問いかけるも、彼はなにやらフェリクトールと話し合っていました。

 話し合うといってもフェリクトールの方は心底呆れた顔でハウストをあしらっています。しかしハウストが気にしたふうもない。


「例の案件を調整すれば一日くらいなんとかなるだろ。なんとかしてみせろ」

「無茶言うんじゃない。これでもかなり譲歩したじゃないか、更に譲歩しろというのか」

「お前なら出来るだろう。今こそ長年の経験とやらを発揮しろ。年の功とかいうだろう」

「ここで年寄り扱いとは恐れ入る。何が悲しくて君の休暇を調整しなければならないんだ」


 休暇。もしかして、とハウストを見る。

 するとハウストは大きく頷いてくれました。


「俺の予定はフェリクトールがなんとかしてくれる。全日とはいかないが、行ける日は俺も人間界へ行こう」

「待て。まだ調整するとは言ってないぞ」


 フェリクトールがすかさず言いましたが、ハウストは決定事項のように話しを進めます。

 あなた、普段はとても大人なのに、たまに子どもみたいな我儘を言うことがありますよね。出会ったばかりの時は気が付きませんでしたが、こうして二人でいるようになって気付いたことの一つです。


「私は嬉しいですが、本当に大丈夫なんですか?」

「ああ、問題ない。魔界の宰相は優秀なんだ」

「それは存じていますが」


 ちらりとフェリクトールを見ると、最高潮に苛立った顔をしていました。ちょっと怖いです。


「あの、ほんとに」

「大丈夫だ。なあ、フェリクトール?」


 呼びかけられてフェリクトールが盛大な舌打ちをしました。

 でもそれ以上は何も言わないということはフェリクトールの方が折れたのです。


「まったく、勝手にしたまえ。調整するということは、案件の皺寄せがあるということだ。後で覚悟しておくといい」

「ああ、任せた」

「手配を進めてくる。王妃よ、君も故郷だからと羽目を外すんじゃないぞ。くれぐれも自覚を忘れないように」


 フェリクトールはそう言うと、苦々しい顔をしながらも手配を進める為に東屋を出て行きました。

 それを見送ってハウストに向き直ります。


「……怒らせてしまいました」

「あいつはいつも怒っている」

「怒らせている、の間違いではないですか?」

「そういう時もあるかもしれないが、あいつは基本的にいつも怒っているぞ?」


 ハウストは笑ってそう言うとテーブルのフルーツに手を伸ばす。

 ガラスの大皿を彩るオレンジを手に取ると、果実を私の口元に持ってきました。


「ほら、お前も食べろ。さっきからゼロスの世話ばかりだろう」

「私は後で結構ですよ」

「いつも思うが、その後ではいつ来るんだ。ゼロスの世話を始めてから自分のことを二の次にしていると聞いているぞ」

「…………コレットですね?」


 側に控えているコレットを横目に見ると、彼女は涼しい面差しのまま「必要な報告だと思いましたので」と優雅に一礼しました。

 たしかに今はゼロスを最優先に生活していますが、でもゼロスは誕生したばかりなのですから当然ではないですか。


「無理をしていないか心配しているんだ」

「無理なんかしていませんよ。コレットもマアヤも皆も、よく助けてくれます」

「それは良かった。では言い方を変えよう。俺が食べさせたい。口を開けろ、ブレイラ」

「ぅっ、……」


 命令のような口調なのに、言葉はとても甘い。

 卑怯です。こんな言い方。

 じろりと上目に睨むと目が合いました。

 ハウストは強気に笑って、ほら開けろ、と促してきます。


「こんな所で……。イスラも、ゼロスもいるのに」

「変に意識すると、余計に恥ずかしくなると思わないか? 普通に食べるだけだろう」

「それはそうですが」


 イスラをちらりと見ると、きょとんとした顔で私とハウストを見ていました。


「ブレイラ、あーん、するのか?」

「そうだ。お前もブレイラにしてもらうだろう」

「うん」


 イスラは大きく頷いたかと思うとハウストを真似てリンゴを手に取る。

 そして私の口元に持ってきました。


「ブレイラ、オレも! オレもブレイラにあーんしたい!」

「ええ、イスラまでっ」

「イスラもしたいそうだ。ほら、イスラを待たせたら可哀想だろう」


 ハウストがニヤリと笑いました。

 私がイスラにねだられると弱いのを知っているのです。

 イスラを見ると、大きな瞳を期待でキラキラさせています。

 これはダメです。こんな瞳をされたら、これ以上逃げられないじゃないですか。


「……分かりました。では、少しだけ」


 私の負けです。

 観念してイスラに向かって口を開ける。

 するとイスラがウキウキした様子でリンゴを口元に運んでくれます。


「あーんだ。ブレイラ」

「あーん」


 ぱくりっ、食べるとイスラの顔がパァッと輝きました。

 もぐもぐする私にイスラは嬉しそうです。


「オレ、ブレイラにあーんしたぞ!」

「ふふ、ありがとうございます。おいしかったですよ」


 いい子いい子と頭を撫でるとイスラが得意げに胸を張ります。

 そしてイスラの次は。


「次は俺だな。口を開けろ、ブレイラ」


 ニヤリと笑ったハウストが待っていました。

 顎を引いて彼を上目に見る。


「……どうしても、ですか?」

「どうしてもだ。イスラばかりずるいぞ? 俺にも甘やかさせろ。ほら」


 口元にオレンジを近づけられます。

 私とハウストが遊んでいると思っているのかイスラも楽しそうで、もう観念するしかない状況です。


「……ここには、イスラも、皆もいるのに。……あーん」


 小声で抗議するも、おずおずと口を開けました。

 オレンジを抓んでいるハウストの長い指が口元に伸びてきて、ぱくりっと食べる。

 一口噛むと、オレンジの瑞々しい果汁が唇から零れてしまいます。

 私はハンカチで口元を拭こうとしましたが手を掴まれる。そして、ぺろり、口元に温かな感触。


「うっ、……」


 一瞬で顔が熱くなりました。

 影が覆い被さってきたかと思うとハウストに舐められたのです。


「な、なんて事をするんですかっ」

「零れたから綺麗にしただけだろう」

「そういう問題ですか!」

「怒るな。別に構わないだろう、結婚したんだ」

「構います!」


 声を上げて怒りましたが、ハウストは気にした様子もありません。

 それどころか楽しそうに笑っている。


「もう一個食べるか?」

「食べません!」


 きっぱり断ると、「それは残念だ」と彼は肩を竦めて笑いました。

 こうして私たちは麗らかな昼下がりを庭園の東屋で過ごしました。

 それは私たち四人にとって家族の時間でした。




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