Episode1・ゼロス誕生6

「ブレイラ、かなしいのか?」

「……いいえ、そういう訳じゃないんです。心配してくれたんですね、ありがとうございます」


 いけませんね、イスラにまで心配をかけてしまいました。

 いい子いい子とイスラの頭を撫でると、甘えるように擦り寄ってきました。

 両腕にかかるゼロスの重みと、腕に擦り寄るイスラの温もり。その甘い重みと温もりに強張っていた体から力が抜けていきます。

 少しして部屋に紅茶の香りが広がって、ハウストが私とイスラの前にカップを置きました。イスラには蜂蜜がたっぷり入った甘い紅茶です。


「お前ほど上手く淹れられないが下手ではないつもりだ」

「あなたが淹れてくれた紅茶です、おいしいに決まっています。いただきますね」


 カップを取って一口飲む。

 茶葉の香りと芳醇な味わいにほっとため息をつきました。


「おいしいです。ありがとうございます」

「それは良かった」


 そう言ってハウストが私の正面のソファに腰を下ろしました。

 私の隣のイスラもフーフー息を吹きかけて蜂蜜入りの紅茶を一口。「うまい!」気に入ったようです。

 私はカップをソーサーに戻し、ハウストに向き直りました。

 王妃として振る舞えず、彼をたくさん困らせてしまったのです。


「ハウスト、申し訳ありませんでした。私、我儘を言ってしまいましたね」


 改めて謝りました。

 私が困らせたのはハウストだけではありません。フェリクトールもマアヤも、他にもたくさんの人を困らせました。

 それが分かっているのに、それでも両腕に抱いたゼロスを手放せないのですから、ほんとうに身勝手なことです。

 そんな私をハウストは見つめていましたが、ふっと表情を和らげる。そして。


「ブレイラ、話しをしよう」

「ハウスト……?」


 目が合ったハウストが優しく笑み、少し申し訳なさそうな口振りで口を開きます。


「すまなかった。本当ならもっと早く二人で話し合うべきだったんだ。俺にとって、子どもは乳母が育てるのが当たり前の感覚なんだ。イスラはあくまで異例で、最初から俺の子として生まれたゼロスは乳母に預けられるのが当然だと思っていた」

「謝らないでください。それが古くからの慣例ならこれは私の我儘なのです。どの時代の王妃も慣例に従っていたのでしょう? それなら、やはり私の我儘です」


 安心させようと笑みを浮かべて言いました。

 でも駄目ですね、どうやら上手く笑えなかったようです。ハウストが「無理をするな」と苦笑する。


「ブレイラ、お前にそんな顔をさせたい訳じゃない」

「いいえ、私の我儘です。我儘だと自覚しても、どうしても譲れません。……許してください」


 ゼロスを抱いたまま頭を下げました。

 そんな私とハウストのやり取りを見ていたイスラが首を傾げます。


「ブレイラ、どうしてごめんなさい、するんだ?」

「我儘を言っているからです」

「わがまま?」

「はい。私は、ハウストとイスラとゼロスの四人でいたいのです」

「オレも! オレもいっしょがいい!」


 イスラが私のローブの袖を掴んで言いました。

 そしてハウストに向かってお願いします。


「オレも、おねがいだ!」


 お願いと言うわりには大きな態度です。

 そうしろと言わんばかりに偉そうで、ハウストが目を丸めました。

 でも次に、ハウストは声を出して笑いだします。


「ハハハッ、こんなに分が悪い話し合いはないな」

「す、すみません、ハウスト。イスラ、お願いはそういうふうにするものではありませんよ」


 私は慌ててイスラを窘めました。

 しかしハウストは「構わない」と首を振り、私をまっすぐに見つめました。


「たしかに乳母に育てさせることは俺にとって当たり前のことだ。いや俺だけじゃない。この城にいる者にとって当然の考え方で、古くからの慣例は重んじられなければならない。それが王家を守るという事だ。だが」


 ハウストはそこで言葉を切ると、立ち上がりました。

 テーブルを回って私の隣に腰を下ろします。

 そしてゼロスを抱く私の手に手を重ねる。


「お前にとっては、これは普通のことではなかったんだな。気が付いてやれなくて、すまなかった」

「ハウスト、それじゃあ、もしかしてっ……」

「ああ。お前からゼロスを離す気はない。だいたい妃と息子にお願いされたんだ。聞かなければ俺の立場が悪くなると思わないか?」


 ハウストが冗談めかした口調で言いました。

 視界がじわりと涙で滲む。

 ハウストの指が私の目元をなぞります。


「頭の固いうるさ型の連中もいる。辛い思いをさせることもあるぞ?」

「覚悟の上です」


 ハウストをまっすぐに見つめて答えました。

 我儘を叶えてくれるというのです。私もそれなりの覚悟はしています。


「あなたこそ、いいんですか? あなたにも迷惑をかけてしまいます。古くから守られてきた慣例なんですよね?」


 私がそう問うと、ハウストは眉を上げました。

 でもニヤリと口角をあげる。


「俺を誰だと思っている。俺の時代のことは俺が決める」


 それは王にしか許されていない言葉でした。

 ひどく傲慢で、身勝手で、多くの人を振り回す。

 それなのに今、喜んでしまう自分がいます。


「そもそも人間のお前が王妃になり、勇者が俺の第一子になったんだ。お前と出会ってから魔界では有史始まって以来の異例尽くしな事ばかり起きている。今回の慣例破りが善しとされるか否かも、後世が決めることだと思わないか? 後世の判断など当代の俺には関係ない」

「ハウスト、ありがとうございますっ」

「とりあえず皆には俺から話そう。俺も協力するが、お前は王妃としての政務とゼロスの子育てを同時にすることになるが」

「どちらも精一杯務めます。でも現実問題として、どうしてもゼロスを側においておけない時がありますよね。その時はフェリクトール様がお選びになったマアヤにゼロスの側にいてもらえると助かります」

「そうだな。ではそうしよう」

「はい。よろしくお願いします」


 それから私たちは二人で、いいえ、イスラを含めて三人でこれからの事を話し合いました。

 ゼロスを手元で育てると決めたことで魔界の城では前例のない毎日が始まるのです。

 この後、フェリクトールにそれを話すともちろん大目玉でした。

 でも最後は「こうなるんじゃないかと思っていたよ」と納得してくれます。どうやらハウストが人払いした時から、こうなる事は分かっていたようでした。

 フェリクトールは、私がゼロスを手元で育てながら王妃の政務を行なえるように役職の仕組みを整えてくれました。本当にありがとうございます。




 ――――それが三日前の出来事です。

 ゼロスを私の手元で育てる為に、多くの人に迷惑をかけたことは忘れません。

 私にできる恩返しはゼロスを立派に育てることだけ。その為に、王妃の政務も子育ても精一杯務めなければならないのです。でないとフェリクトールに顔向けできなくなってしまう。

 ゼロスを手元で育てたいと打ち明けた時はフェリクトールに大目玉を食らいましたが、それでも彼が一番力になってくれたのですから。

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