7月17日『その名前』

 昨日と今日の午前中は、ラビン師匠による魔法の授業が行われた。生徒は私と、土竜もぐら族の中でも魔力持ちの家系の人達。


 学ぶのは空気中の水分量を調整する魔法。水の魔法と火の魔法の合わせ技だったのだけれど、一度コツを掴んでしまえば、それほど難しいものではなかった。

 土竜族の人達も、師匠から直々に教わり、何度か練習するうちに習得できたようだ。


「よし、ここまでできれば後は大丈夫だろう。僕が今教えたのは基礎だから、状況に応じて魔力をコントロールするように」


 師匠はそう締めくくり、授業は終わって解散となった。その後、族長の部屋で謝辞を受け、そのまま昼食を出してもらった。


「ティア、午後はどうしようか?何か希望はあるかい?」


 食後のお茶を飲んでいる時、師匠にかれた。私はふと、一昨日おととい見た景色を思い出す。


「師匠。私、もう一度、地底湖を見たいです」



  ◇ ◇ ◇



 ラビン師匠が道を覚えていると言うので、土竜族の案内は丁重にお断りした。

 再びやってきた地底湖は、今日も幻想的な光景だった。ランタンで照らせば、一昨日と同じように水面みなもは青く見える。


 きょろきょろと周囲を見回して、やはり、と私は確信を得た。

 この空間……水属性の魔力で満たされている。姿は見えないけれど、精霊の気配も感じるから、ここは彼等の住処すみかなのかも。


「師匠が言っていた意味が分かりました。世界によって、場所によって、魔力の質が違うって、こう言うことだったんですね」


 私の発言に、師匠は穏やかに微笑み目を細めた。


「ティアにも分かるようになってきたか。君はもともと、水の魔法と相性がいいからね。……愛弟子の成長を感じて嬉しいなぁ」


 そう言って、師匠は片手で私の頭を優しく撫でた。子供扱いされているようで、私としては少し不服なのだけれど……。これはこの人の癖みたいなものなのだと、理解できるようになってきたので、大人しくされるがままになっていた。


「名は体を表すと言うけれど、ティアの場合もそうなのかもなぁ」

「私の名前はティアードロップですからね。師匠の仰る通りかもしれません」


 私が生まれた時に、両親は涙を流して喜び、そこから私の名前がついたそうだ。

 涙の雫……。たしかに、水の魔法と相性が良さそうな名前である。


「そういえば、師匠のその名前にはどんな由来があるんですか?」


 思い返せば聞いたことがなかった気がする。ラビン、の意味を、私は全く知らない。

 師匠はいくつもの世界を渡り歩いてきた人だから、ラビンとは師匠が生まれ育った国の言葉、なのだろうか。


「あぁ。ラビン、はある異世界の国の言葉が元になっているんだ。本来はラヴィーンと発音するんだけど、言いにくいからラビンにした。峡谷とか深淵、って意味だよ」

「……深淵?」

「そう。僕は深淵の魔法使いだからね。だからラビンと名乗っているのさ」

「ってことは……ラビン、は師匠の本名ではない、ってことですか!?」


 師匠と出会って十数年、新たに知った事実に私は驚愕した。

 師匠は私が驚いている理由が分からない、といった様子で首を傾げる。


「そんなに驚くことかなぁ。ちなみに、本名は別にあったよ。もう覚えてないけど」

「え、えぇぇ……」

「僕の先生……師匠のところでは、本名で呼ばれていたけれど。ずいぶん昔のことだから忘れちゃったな。あ、アリスなら覚えてるかも。……いや、あの子も忘れっぽいところがあるから、怪しいか」


 腕を軽く組んで、師匠は遠いところを見ながらそう話した。


「通り名がつくような魔法使いは長寿の人が多いから、別に珍しい話でもないよ。ずっと本名を使っている人の方が少ないんじゃないかな」

「そ、そうなんですか……!?」


 師匠が生きてきた時間は、多分、私が想像するよりも遥かに長いのだろう。

 その感覚は、今の私には理解も共感もできないけれど……。


 いつか私が死んだ時に、この人が一人にならなければいいなぁ、と。私にはどうしようもないことを、やはり考えてしまうのだった。

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