大戦争と、休戦協定

 うだる暑さの夏。小学生の夏休みはおよそ1ヶ月。とはいえ、忙しい親――社会人の夏休みと言えば基本はお盆しかない。そうして暇を持て余してしまう子どもらの、あまりに余った体力をどう消費させるのかが、子どもの面倒を見る大人の役目だと、自分が大人になってようやく気が付いた。


 従兄のお母さんとお父さん――……すなわち私のおばさんとおじさんも忙しい類の大人たちだった。どのくらい忙しいかというと、私が遊びに顔を出している夏休みの三週間くらいの間にですら、二人して仕事での出張が三回くらいは必ずあった。しかも、かなりの県をまたいで行く大移動の出張だ。だから普段の生活から、基本的におばあちゃんが孫らの面倒を見ていた。


 加えて夏になると外孫である私が遊びに来る。最近は小さい弟も増えた。と、なると、もう家の中はどんちゃん騒ぎになる。従兄のおねえちゃんが中学に上がったとはいえ、去年までは小学生で、弟も小学生、従妹の私も小学生、となると遊びの内容は小学生のモノに引っ張られる。おばあちゃんはこの体力化け物どもに対して、ある指令を出したのだった。


「これからもっと暑くなります。だから、朝の涼しいうちに宿題を終わらせて、それから午後は家の前に打ち水をしてください!」

 そしてその打ち水発言が、おばあちゃんのやって欲しかった斜め上の方向へ行くということを、この時は恐らく誰も予想していなかったように思う。



「打ち水、ってなにー?」

 私は聞きなれない言葉に疑問を持って、隣にいた従兄のおねえちゃんに聞いてみた。

「あれだよ、家の前に水巻いて、気化熱で涼しくするってやつ」

「きかねつ……?」

「水が蒸発する時に、一緒にコンクリートの熱も持って蒸発するから、コンクリートの熱が少しとれる、的な感じ」

「なるほど!」

 従兄のおねえちゃんは、今日は部活がお休みらしくて、朝から居間で真面目に宿題を終わらせていた。その横で私も一緒に宿題をやっていて、一人だけゲームをしていた従兄はおばあちゃんの怒りを買って、現在一人で宿題中。


 お昼ご飯も食べ終わって、これからいよいよ気温のピークになっていく午後一時。もう少ししたら、従兄も今日の分の宿題は終わるだろうから、それを待って打ち水、とやらをする。


 ――……先に着替えておきな、服の下に水着着ておかないと大変なことになるから


 従兄のおねえちゃんが言うことは、ほとんどの確率でそうなることを経験上知っている。だから私は言うことを聞いて、先に下に水着を着て、上からTシャツとズボンを着てスタンバイをしていた。おねえちゃんもどうやら既に着替え終わっているらしく、『早く宿題、終わらせてよー』と従兄に文句を言っている。


 ようやく従兄が宿題を終わらせて、従兄も水着に着替えると、三人揃って炎天下の中家の外に出る。何を準備すればいいかイマイチ理解していない私は、おねえちゃんに準備を任せてさくらの頭を撫でに行く。従兄も私と同じようで、私がさくらを撫でまわしている横に来て、『さくらもあついよなー……』と呟いていた。


「はい!そこの小学生二人! このホース持って!」

 おねえちゃんに一本のホースを渡される。おねえちゃんは私たちにホースを渡した後、一度家の中に引っ込んだかと思うとバケツをいくつかも持ってきた。

「水出るからねー」

 おねえちゃんの声と共に、ホースの先から水がちょろちょろと出始める。その様子を見てもう少し蛇口を開いたのか、それなりの勢いで水が流れ始めた。


「ついでに、さくらのトレーに水入れておいてあげてー」

 おねえちゃんの指示の下、小学生二人はさくらの空のトレーに水を入れてあげる。さくらはいつものように水を必死に飲み始めた。その様子を見て二人、とりあえずさくらから離れて玄関前の敷地へと移動した。


「さて、やることはこれでOK。……ここからが打ち水の本番、です」

 ――ニヤリ

 そんな効果音がお似合いの、口の端足を上げる悪い笑顔をおねえちゃんはよくする。それは、ちょっとだけ先に大きくなる分、先につく悪知恵を活かすときに見せる悪い笑顔。


「打ち水……、すなわち大戦争じゃー!!」

 そう言うなり先に汲んでおいたのであろう、小さなバケツに並々と入った水を、勢いよく従兄の顔面にぶちまける。


 ――バシャッ!!


 顔面から勢いよく水をかぶった従兄。横に立っていた私も少しかかったけど、その比じゃなかった。たった一回、なのにずぶ濡れ。


 ――ポタッ、ポタッ……


 水滴が従兄の足元に垂れていく。いきなりの出来事に二人して完全に固まってしまった。横にいる従兄があまりにも動かないので、『え、泣いた?』と不安になった私はこっそり横に立っている従兄の顔を盗み見る。真顔のまま固まっていた従兄はその数秒後、私が持っていたホースを『貸して』と言って奪い取ると、おねえちゃんに向かって思いっきり水を発射した。


「ふざけんな、姉貴ー!!」

 半ばぶち切れモードに入っている従兄。……完全に姉弟喧嘩スイッチ入ったなこれ……。従兄のおねえちゃんはそれすらも見越していたんだろう、バケツに水を汲んで容赦なくコチラめがけて水をかけてくる。従兄はホースで応戦しているけど、出遅れた私は武器が一切なくて逃げ回ることしかできない。


「……いい加減にしてよ……」

 普段は怒らない私も、いよいよスイッチが入る。元来負けず嫌いの気質がある私、黙って一方的にやられるのは性に合わない。おねえちゃんが渡してきた空のバケツを手に取ると、いつもさくらに水を入れてあげる水道ががら空きだったのをいいことに、そこでバケツに水をたっぷりと溜める。

「くらえーっ!!」

 もうお互いの事しか視界に入っていなかった姉弟めがけて、思いっきり水をかける。その水圧にびっくりしたのか二人とも固まっていた。……ふんっ、いい気味。


 もうその後は、従兄のおねえちゃんの宣言通り、大戦争勃発で。あまりの大騒ぎに畑に行っていたはずのおばあちゃんが戻ってきて、『あんたたち、いい加減にしなさい!』と雷を落としていくまで、延々と水かけバトルが続いていた。



 打ち水、という名の大戦争(という名の水遊び)が終わって、ようやく一息、落ち着いたころ、従兄のおねえちゃんが台所からマヨネーズを持って玄関へ向かった。

「お腹空かないー?おやつ食べよ」

 そう言って私と従兄に声をかけて、早々に畑の方へと歩いて行く。私と従兄は二人で慌てておねえちゃんの後を追いかけた。


 おねえちゃんはきゅうり畑に行っていて、おばけキュウリ(育ちすぎちゃって大味のもの)を取っていた。採れたてをさっと服で拭いていて、横にいた従兄も当たり前のようにそうしていたので、ちょっと困りながらも私もそれに倣う。

「はい、きゅうり出して」

 言われるままに出せば、そこにマヨネーズを付けてくれて、三人で畑のど真ん中でそのままきゅうりにかじりつく。

「……おいひぃ!」

 私がもごもごしながら必死に感想を言うと、おねえちゃんは嬉しそうに

「でひょ」

 と言って、笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る