栄賀高校男子排球部

いちみ

栄賀高校男子排球部

栄賀高校男子排球部


 都心は寒い。

 正月が終わってすぐ、一月某日から行われる高校生バレーボーラー憧れの大会、春高バレー。

 所詮高校生の大会だ。部活を少々本気でやっている奴らが、頑張っているだけのことにどれだけの魅力があるというのか。などと言われればそれまでの、ほんの一週間にも満たない数日の話。


 郡善(こおり ぜん)は、冷たい手に息を吹きかけた。一般的に西に行くほど暖かいと言われているが、山陰、とくに中山間地域は極寒地域である。東京との気温差はさほどなく、むしろここは日本海側から吹く北風がないだけ、マシ、だった。

 それでも底冷えする一月某日。スポーツ公園内にある会場の近くは人でごった返していた。善はそれをぼんやりと、少し離れたところから見つめる。地元ではこんなに人が集まるのは、花火大会の時くらいだ。

「あんまり体冷やすなや」

「功(こう)か」

 投げつけられた手袋を受け取ると、功と呼ばれた少年は顎をしゃくる。仲間達が呼んでいるのだろう。善はまだ目的を達成できていないのだが、渋々従う。

 少し歩いたところに、青い塊がいた。一様に同じジャージを着て、各々マフラーなどで防寒している。走るのにジャンバーやアウターは邪魔なので脱いだらしい。

 善も上着を脱ぐと、青いジャージが姿を現す。栄賀高校と白字で書かれた、鮮やかな晴れた日の空の色のジャージだ。

「功、よぉ見つけてきたな」

「はぁ、まぁ」

 背の高い(といってもだいたいみんな高いが、その中でもずば抜けて高い)男が、呆れたように言った。功に呆れたのではないのだろう、緊張の会場なのにマイペースでいる善へむけられたのだ。善は気にとめずに、辺りを見回す。

「なんか気になるんか?」

「あの人、来てないんじゃろうか」

 数人が善の言葉に身を堅くする。長身の男はそれには動じずに、顎をゆっくりとなでた。

「どうでもいいけぇ、はよ走ろうやぁ」

 百七十はあるのだが、比較的低身長な男がぶぅたれる。だがそれに賛同するように空気が動く。ひょろ長い連中の中でもがっしりしたタイプの男が頷いたのだ。

 気温差は地元とあまりなく寒風も穏やかなのだが、寒いことには寒い。集団は整列して次々とジョグのために駆け足になった。それでも善は後ろの方でキョロキョロと見回す。

「善、前向いて走りぃや」

 功に後頭部を叩かれて、善はやっと前を向いた。



 大会一日目だけで半数近くの学校がふるい落とされる。実際はシード校が二日目からの参加なので、それ以下ではあるがそれでも多くの学校が一日目で姿を消すと考えると、無情さや残酷さが窺える。

 負け試合に意味はあれどもそれがその学校にとっての良試合になることはない。どんなに良い試合だったよ、と言われてもその当時の選手にとっては、負けは負け。頂の景色は見ることができないのだ。

 善は階段を涙ながらに駆け下りていく一団と廊下でかち合う。ベンチにも入ることのできなかった応援でも、負けることはひどく悲しく、悔しいことだ。負けたくない気持ちは全員同じで、気持ちで決着がつくとは思えない。

 だが本当に力が拮抗したとき、気持ちで勝ちをもぎ取ることは、できる。勝ってやる、相手の臓腑を食い破ってやる、俺たちが頂点だ、そんな気持ちが時にプレイに力を与える。

 根性論も精神論も馬鹿らしいが、バカにできないときがある。そのときに、自分がどんな選択をするか、何を捨て、何を得るのか、それが大事なのだ。

 すべて、師である、あの人の受け売りだ。善は入り口でもう一度あたりを見回すが姿は見えない。

「善、はよせぇ」

 先から急かされてばかりだが、普段からこの調子だ。善は特に悪びれもせずにフロアに入った。すぐに目を刺す、照明。地元の体育館では弱々しい柔らかな光だっただけに、慣れるのに時間がかかりそうだ。

 背の高い男が、整列を促す。ベンチに入るマネージャーに上着を渡すと、頭上の応援席に向かって一礼した。試合が始まる前で、前の試合の観客も残っていたのだが、練習前に頭を下げて回るのがしきたりだ。

 練習時間がもったいないが、もはやそれが通例となっているので、やらないと逆にリズムが崩れる。おまじない、儀式、というものと同じなのだろう。そんな非科学的なことに頼るのも癪だが、染みついたものはすぐには取りさらえない。

「いいぞぉ!」

 すぐに頭上から声がかかる。見れば地元の商店街をとりまとめる商工会のおっさん連中が席に陣取っていた。今ついたばかり、といった風に学校の生徒が次々と席を走ってくるのが見える。

 地元の応援があるというのはありがたいことだ。基本的に観客の声は気にならない。だがここぞと言うときに聞こえてくるのは観客の声だったりする。できるならホームな環境でいたい。

「善、しゃんしゃんせぇ」

 練習に入る仲間に続いて、善もボールをかまえる。

 栄賀高校男子排球部の最後の大会が始まった。






 考えることは苦ではない。だが、直感を信じて動くこともままある。ボールの先に誰か飛ばないかなぁ、と考えながら出すのだ。だいたいそういうとき、功がいる。

 郡功は、従兄弟だ。同い年で、生まれた日も一日違い。タッチの差で善が上だが、ほとんど違わないので昔からよく一緒に誕生日を祝われていた。ほとんど双子のような関係で、実際顔もよく似ているので、双子と間違われる。とはいえ、一卵性の双子ほど似ているわけではないので、区別はつくのだが。

「善、テキトーに上げるなや」

 トスを打ち抜いた功ではなく、それを見ていた背高のっぽのキャプテン、MBの兵頭叶が睨み付けていた。スパイクは決まったのだから文句はないだろう、と思うのだがチームが今やろうとしていたことと違っていたのだ。

「いけると思ったんじゃけぇしょうがないやん」

「はぁ・・・・・・お前はそういうやつじゃわ」

 大きな大きなため息が漏れたが、緊張はほぐれたらしい。表情に硬さがなくなる。点差はまだ二点。追う側だが、余裕があるうちは追われるより、追いたい。

「全国は強いわ」

 兵頭はそう言ってセット位置につく。善からしてみれば、どこで戦っても全国だ。差があるとすれば強弱くらいで、同じ高校生で同じような生活を送っている奴らばかり。怖がる必要はないのだ。

「楽しいな」

 セッターの仕事は、トスをあげること。それから、仲間を鼓舞すること。一人だけ敵に背を向けて、仲間の顔を見ることができる。元気がない人間には背中を叩き、調子の良いやつには声をかける。

 善はにこやかに誰かと話すことはできないが、その二つは師であるあの人からたたき込まれた。調子が悪そうなら大丈夫か、良さそうなら行くぞ。部員のほとんどがその言葉の違いに気づいている。

 他者から見た自分は大事だ。調子を崩している顔をしたら、そいつが狙われる。弱点を突くのは弱肉強食の世界では常識だ。

 だから、セッターの言葉で掬わなければならない、こぼれ落ちていきそうなやつらを。善はよく見る。目を見開いて些細な動きも見逃さないように。枝葉がコートの中に伸びるように。神経をとがらせ伸ばす。

「三星、大丈夫か?」

 緊張がまだ取れていないらしい、二年生WSの三星時繋の背中を叩く。

「吐きそうじゃ」

 口角をあげて、作り笑顔をする。実際、吐きそうなのだろう。可哀想になったが、部員数が潤沢とは言えない。数人のピンチサーバーに支えられているだけのチームで、今すぐに交代のできる人材はいない。それを三星もわかっているので、頬を一つ叩いた。

 一本、気持ちよく打つことができれば、おそらく気持ちの転換もうまくいくだろう。三星は特徴こそない人間だが、その腕から繰り広げられる大砲は、床を壊したなどとの噂までわき上がるほどなのだ。是非、一回戦から使いたい代物だ。

「善、もっかい飛ぶ」

 功が下手でタッチをする。だいたいそういうときは、上げるなという合図だ。滅多にない。たまに功のお膳立てがある。善の思考などお見通し、といった感じか。誰も、善を理解しない中、功だけはいつも伝えられない感覚を読み解く。

 ジャンプサーブは良い軌道を描いて、相手のセッターへファーストタッチ。これでセッターはトスを上げられない。だが、全国だ。どこでも全国と言ったが、ここは強者のみが集まる全国だ。だから、セッターのかわりができるやつなんて、いる。

 山なりに描いたトスは相手の豪腕によって、リベロへ到達した。心底リベロがいてよかったと善は思う。栄賀高校バレー部のリベロは中学時代に大会で表彰されるほどの腕前だ。二年の大型Li、的井紡。中国地方でバレーをしていたら知らない人はいない、くらいのやつだ。

 善は大げさに視線を功に向けた。次はお前だぞ、と仲間にも敵にも伝える。バックアタックを予期させる視線に、後ろがざわついたのを感じた。三星には飛べと言ってある。あとはちゃんと上げさえすれば打てる。

 ボールを上げるときは、何も考えていない。ひたすらトスの先の相手に、気持ちよくスパイクを打たせることしか、念頭にない。それはすなわち思考していないのと同じだった。

 考えるのは、トスする前まで。それから先は、もはや自分の知りおける範囲のことではない。

 だから派手な音が響いた後は心底ほっとする。エースの凱旋に、相手コートが静まりかえった。まさに大砲が打ち付けられたような、そんな音がしたのだ。

「三星、行くぞ」

「・・・・・・待たせた」

 闘志に満ちた目を見て、善も納得する。コート内を見渡してももう不安に思うやつはいない。





 三星時繋は、目立った特技もなく背が高いことが少しばかり自慢な男だった。それを現三年生の熱烈な勧誘によって、バレー部に入った。一年前が懐かしい。そのころは老年の監督もいて、指導を受けていた。

 だが、その老監督も寄る年波には勝てず入院。春高には行く、と言っていたが、結局顔は見ていない。

 その方がありがたかったので、このまま来なければ良いと思う。初心者だった三星を全国で戦えるまでに育てたのは老監督だったが、とても厳しい人だった。だから、どちらかというと苦手だ。

 ホテルの大部屋に戻ると、数人がテレビにかじりついていた。今日の試合を振り返る情報番組が流れている。だが、それは夕方に流されたもので、今はすでに午後九時を回っている。

「まだ見てんの?」

「ほーよ、俺らの試合けっこう映っとるしさ」

 お調子者の三年生、MBの芦屋幸大が勢いよく振り返る。映像を見て反省しているのかと思えば、何度も同じ場面を繰り返す。それは三星の最初のスパイクだった。

「な、んでそこばっかし映しとんじゃ」

「しゃーねーじゃん、ここしか映されとらんし。他の学校なんかさっと流れて終わりじゃけど、俺らしっかり映ってんで」

「俺のスパイク見て楽しいんじゃろか」

 三星はため息をつく。すぐ近くの布団ではすでに郡善が眠っている。隣では郡功が読書にふけっていた。善はマイペースで有名だが、隣にいる功もたいがいマイペースだと思う。手がかからないだけで、人と馴染むことはあまりない。

 三星も疲れてあくびが出る。寝るにははやいような、しかし、することもないし寝ても良いような。

 部屋には芦屋以外の三年生、つまり、キャプテンの兵頭叶と、副キャプテンの宮原知志がいない。おそらく部長会議に呼ばれているのだろう。

「あれ?的井は?」

 一人だけ消息がわからないやつがいた。普段、芦屋と三星と行動しているので、いないのは珍しい。

「あっこ」

 芦屋は顎をしゃくってベランダを示した。昼間の気温は全国一律ではなくても、夜の気温はだいたいどこも一律に寒い。何をしているのだろうかと不思議に思うが、ベランダに行きたいとは思わない。

「東京の女に連絡先聞かれて、今話しとるんだとよ」

 的井は顔が良い。性格はありふれた男子高校生だろうが、顔は良い。目鼻立ちの整った、と言えば有り体だが、外国の人形を思わせる精巧な作りの顔をしている。王子様然とした美男子なのだ。イケメンとは違う、と三星は思う。

「大会の最中に長電話しちくる女なんて信じられんわ」

 僻みもだいぶ含まれているだろうが、一理ある。三星は苦笑しながら、芦屋の隣に座った。他にも数人、テレビの周りにはいるのだが、誰も彼も好きなことをしている。だいたいにして、マイペースではない人間はここにはいない。三星は認識を改めた。

「結構言われとるで。今年で最後のチーム、一回戦突破、言うて」

 メディアにとってはかっこうのネタなのだろう。

「ほんと、なんで今年で最後なんかねぇ」

「まぁ学校がお前らの代で終わりなんやから、しゃーなし」

 それはわかっている。学校の人口が足りないで廃校になることも知っている。そうではなく、三星は世の不条理に対して嘆いたのだ。おそらく芦屋はわかっていない。

 もしかしたらバレー男子が入ってくれるかも知れない、なんて甘いことも考えたが、昨年からすで定員を募集していないので、来るわけがない。三星は近くの布団にごろりと横になった。

 昨夜は感じていた緊張感はない。それよりも明日で終わるかも知れないと、少しばかり寂しい。終われば、三年生は引退し、早々に自主登校になる。サンコイチと呼ばれていたこの関係も消えてしまうのだ。

「終わりとぉないなぁ」

 不意に芦屋も三星の隣に体を横たえた。三星の嘆きも無視して、スマホを弄り始める。少々ムカつくがそんなことは毎度のことだ。今更気にしている方が馬鹿らしい。

 天井を見上げると、木目がお化けの目に見えたり、雲に見えたり、忙しない。録画が切れて、テレビは真っ暗になっている。最後に、栄賀高校は栄華をつかめるのでしょうか、なんて寒いダジャレが流れていた。

 そうしていると、眠気がやってくる。とりとめもない寂しさが少しだけなりを潜め、ただ、ただ心地よさに思考がたゆたう。

「これ」

 不意にそのたゆたいが止められる。現実に戻ってきた三星は胸の上に置かれたスマホの画面を手にとって見た。そこには某国立大学のHPが映し出されていた。

「俺の進学先じゃ」

「見かけによらず頭ええよな。受験大変そう」

 まるで人ごとのように呟くと、芦屋は天井に向かってわずかに笑った。

「俺は受験、はぁ終わっとるけどな。寂しいんなら来いよ」

「ここけっこう偏差値高いじゃん。俺はできん」

「なんや、そんな簡単に諦めるんかい」

 芦屋はぶぅたれると、スマホをひったくった。ご機嫌を損ねたらしい。彼なりに後輩を慰めようとしたことはわかる。だが、難関国立大学に来い、と言われても、学力平均値の三星には難しい。

 芦屋はお調子者と言われているが、根は真面目で学業の成績も良い。いつのまに受験を終えていたのか、知らないが、おおよそ推薦などもらえたのだろう。

「できんと思うとったこと、できたんやし、無理じゃないと思うんやけど」

 春高出場は悲願ではあったが、ほとんどできないと思っていた。部員数はギリギリ、設備も悪ければ、監督も途中で入院した。最近の対外試合の結果は悪くはなかったが、よもや県代表になるだなんて思ってもみない、そんな奇蹟だったのだ。

「・・・・・・できるじゃろうか」

 できるできる、と芦屋は簡単に言って、寝返りを打ち背を向けた。昨夜寝た布団とは違うが、動くのも面倒になったのだろう、ここで眠るつもりだ。

「布団、ちゃんと着んさいよ」

「んー・・・・・・」

 すでに夢の中に入りかけている。毛布を適当にかけてやると、三星も自分の布団に向かった。

 手っ取り早く寂しさを忘れる方法はある。試合に勝てば良いのだ。そうすれば、三年生の引退を引き延ばすことができる。それはあくまで、ほんの数日の話ではあるのだが。

 寂しさをオールに、三星も夢の中へ漕ぎ出でた。





「もしもし」

『紡、見たよ』

 的井紡は思わず苦笑した。落ち着かないのだろう、机の上の物を倒す音がひっきりなしに聞こえる。

「せせろうしぃなぁ」

 からからと笑うと、電話の向こう側からどすんと音がした。椅子から落ちたのかも知れない。昔からドジっ子ではあった。友人の慌てふためく姿に、何とも言えない温かな気持ちになる。

 橋戸唯史は的井の幼稚園生の時からの友人だ。性格は温厚で、穏やか。だが少々落ち着きがない。友人を表現するのに正しいかわからないが、まるで犬のようなのだ。

「唯史、おちつきぃや」

『ご、ごめん、なんか興奮して』

 やはり、待てをしすぎてはしゃぐ犬。

『こんな時間に大丈夫なん?』

 こんな、と言ってもまだ午後八時だ。確かに大一番の試合があって疲れてはいるが布団に直行するほどではない。ベランダは少々寒いが、コートを着て、マフラーに埋まればそんなに寒くはない。

「せやないで。東京はぬくい」

『ほうなん。ええなぁ、こっちは雪じゃぁ』

 年末から年始にかけて雪が降るのは恒例だ。その余波が今日も雪を降らせたらしい。

 的井はベランダから見える東京の夜景に目を細める。白色以外にも赤や、ピンク、青といった色とりどりの色が点在している。地元にはまずない光景だ。決勝のコートから見える景色とどちらが眩しいだろうか。

『かっこえかったよ』

 地元でもしっかり放送されていたのだろう。だが、彼が春高を見ることができるのは今日までだ。明日からは学校が始まる。つまり観客席での学校の応援も期待はできない。仕方ないことではあるが、残念でもある。

『俺ももっかい、バレーしちみよぉかなぁ』

「ええんじゃない」

 電話の向こう側から照れたような笑い声が聞こえてきた。一年の半ばまで、橋戸もバレーをしていた。それが監督の厳しい練習に馴染めなくて辞めてしまったのだ。そういうやつは他にもいて、根性なしだと言う者もいる。だが的井はそうは思わない。たまたま他の者と同じような熱意を持つことがなかっただけで、もっと自分に向いたことになら、頑張ることができる。

 事実、橋戸は文芸部での成績をぐんと伸ばし、県高校生コンクールで最優秀賞を取っている。つまり特に、その道、しかないわけではないのだ。色んな道がある。その道をどう選び、どう進むのかそれが大事なのだ。

『そうだ、今度さぁ、バレー部の小説書いてええ?』

「バレー部の小説?」

『そう、ぶちうまいリベロの話』

 それって俺の話じゃ、と言いかけて自意識過剰だなと思い直す。確かに中学時代にリベロで賞をもらっているが、的井自身、自分がすごいとは思えなかった。リベロなんて、取るしか能がない。

「おもろそう」

 事実面白いかも知れない。取るしか能がなくても、人気のポジションではある。窮地の一本を拾ったときの快感は何にも代えがたいものがある。それにそういうときの方が、見ている側も盛り上がるのだ。

『たぶん、おもろいで。だから、帰ってきたらてっぺん取った話聞かせんさいよ』

 取るしか能がなくても、橋戸はいつも凄いと言ってくれる。的井はそれが嬉しかった。

『そろそろ、休んだ方がええよな』

「・・・・・・まだもう少し」

 まだ一回戦が終わったばかりなのに、もう地元に帰りたかった。明日も、その明日も、勝てば試合がある。それから日を空けて、土曜日、日曜日にも。そこまで拘束されることは期待していないが、もし、勝てば東京に残ることになる。

「はよ、終わらんかなぁ」

『でも一週間なんてあっちゅうまやで。楽しんできんさいね』

「うん。お土産なにがええ?」

『なんでもええよ』

 飛行機でたったの一時間ちょっとだが、今はその時間すらも遠く感じる。空を見上げると、夜景に消えた星の代わりに飛行機のライトが横切っていた。

 負けなんて、優勝以下のチームには等しく訪れる。それならば、一回戦で負けたってよかった。ただ、自分一人の意思ではそんなもの、どうにもならない。

 負けたいとは言えないが、それでも的井は負けてもよいと思う。

『次も勝ってね』

 橋戸の励ましを素直に受けとれず、心の中で会いたいと呟く。

「うん」

 小さな声は夜気に溶けていった。





 観客席にまで飛んだボールを、兵頭叶は見つめた。自分の腕が吹っ飛ぶところを想像してぞっとする。

 敵の闘志を削ぐ三星時繋のスパイクで、会場は沸いた。兵頭にとって、二年生は宝の山だった。背の高さだけでも魅力的なのに、パワーもスピードも目を見張るものがある。今大会だけでおそらく、三星やセッターの郡善などはスカウトの対象になるかもしれない。

 それは兵頭にとって誇らしいことだった。

 キャプテンなどしているが目立つことはそれほど得意ではない。むしろ、そういうことに敏感なのは、副キャプテンの宮原知志である。バレー人にしてはがっしりと大きな体をしていて、三年生の中では唯一のウィングスパイカーだ。

 二年生の影になりそうな男だが、負けず嫌いでもあるので、いつもむちゃくちゃをしてくる。この部のやつらは真面目が過ぎて変人だ、と兵頭は思う。

「ええ感じ」

「お前セッターしろよ」

 急に宮原がほくそ笑む。何か悪いことを考えているのは間違いない。善が入ってくるまでは大きなセッターとしてコートに立っていたので、できないことはないが、善が上げる方がより良いに決まっている。

「善を飛ばすぞ」

 ブレイクした栄賀高校を止めようと、相手校がタイムアウトを取ったところだ。それでも栄賀が得点すれば、さらに相手の戦意を削ぐことになる。

「ええじゃん、面白そう、やってみよ」

 満場一致なので、兵頭も頷かずにはいられない。面白そう、やってみよう、でできることではないかもしれない。だが、今部員のやる気を削ぐことは得策ではない。たとえできなくても、やらずに得る後悔よりはやって得る充足感の方が大事だ。

 どうせ当たって砕けろの大会なのだ。

「やっちみるか」


 基本的に、善はオールラウンドな選手だ。セッター業務の他に、サーブもレシーブも、必要に駆られればディグもできる。だから当然のようにあがったトスに対して飛ぶこともある。

 しかも、技術は一級品。パワーこそないが針の穴を通すがごとく、職人技なのだ。さらに本人は焦らない、焦れない、焦がれない。冷静沈着に状況を見ることができる。

 ほとんど化け物のようなやつだ、と兵頭は思う。そしてその化け物のようなやつが、二年生に集まった。

 相手からの強烈なスパイクを宮原が難なく拾う。綺麗に上がったボールのしたには、本来セッターではない、兵頭が。緊張で指先が固まりそうになるのを感じた。

(こんなところで失敗なんかできんわボケ)

 踏切の足音が一、二、三、四・・・・・・五。兵頭は良いトスを上げることだけを考えて、ボールに触れる。その瞬間時間が早送りされたような、不思議な感覚に襲われた。目の前のトスを上げた目の前のボールが消えたようだった。すべるように、ボールは相手コートに落ちていた。

 成功はしたようだ。相手もあっけにとられているが、栄華コートも呆然としている。偶然の産物で、二度とぶっつけ本番ではやりたくない。兵頭は息を吐いて、宮原を見た。何を思っているのか、頬が引きつっている。

 同時に複数人飛んでくる、という光景はまだ兵頭も見たことがない。それは、恐ろしいに決まっている。

 宮原に手を上に掲げると、力なくハイタッチをしてくれた。

「まさか決めるとは」

「お前が言い出しっぺじゃろがい」

 声を出して笑ったが、何も面白いことはない。試合中忘れていたひりひりとした緊張感がなぜかコート中を包む。ありがたいことに、身の引き締まるのだが、相手コートは岩がのしかかったように空気が重い。

 結局先の作戦は一度のみ。そのまま二セットを連取して、栄賀高校は第三セットへと駒を進めた。


「明日が、最後かもなぁ・・・・・・」

「なんや、そんなこと、昨日が最後でも今日が最後でもおんなじことが言えるわ」

 大きな体が小さく縮こまる。今更にあの作戦の是非が気になっているらしいが、兵頭には正しかったとしか言うことができない。結果的にうまくいったのに、失敗だったとは言えない。荒唐無稽な作戦ではあったし、それを正義とは言えないが、しかし正しくなかったわけではないのだ。

「宮、お前はすごいよ」

「なんじゃい、藪から棒に」

「俺にはあの場であんな大胆な作戦無理じゃ」

「バカにしとるんか」

「本気じゃボケ」

 二人の間で軽口は当たり前だ。軽く肩を小突きながら、ホテルの廊下を歩く。手にはもう一人の三年生、芦屋幸大の分のジュースが握られている。表だってつるんではいないが、仲が悪いわけではない。

「あぁ、ダメじゃ・・・・・・」

 不意に宮原の声が空気がたわむように震えた。兵頭は肩を抱いて、小さく揺すると、宮原はしゃくりあげた。そんな姿を笑うことはできない。明日が最後かも知れない、そんな毎日にプレッシャーがないわけがない。

 春高に来ることができて、それだけで満足しているやつらが数人いることは知っている。だからといって、それが悪いことではない。ただ、兵頭はなるべく勝ち上がって、一試合でも多く、このチームでバレーがしたいと思っている。勝つことが目的というより、バレーをすることが目的だ。結果は副産物に過ぎない。

「宮、明日も勝とうな」

「う、ん」





 あと一点を追う展開だ。デュースにデュースを重ね、すでにお互い三十点にさしかかろうとしている。三セット目。さすがに三回戦目となると、強い。全国のふるいにかけられ、さらに弱きがそぎ落とされた、激戦区である。

 一日目は散漫としていた観客が凝縮している。その中に目をこらすが、探している人物は見当たらない。御年七十一歳の老監督、町田一正のことを、よく思わないメンバーもいるならば、よく思うやつらもいる。

 その一人が郡善であった。二回戦目まではきょろきょろと周囲を見ていたのだが、三回戦目から善は相手に集中し始めた。だが、今は逆に郡功がキョロキョロと落ち着かない。

 頭の中で際限なく繰り返される怒声は、練習中に受けたものに他ならない。それをワンプレイごとに、リプレイする。今のはもう少しコースを絞って、レシーブは丁寧に、繋ぐことばかり考えるな。おおよそそのようなことだっただろう。

 自分がバレーの神様に愛されなかったことを功は知っている。同じ頃にバレーを始めた善の方が、なんでもできて、チームの中心にいた。功は善のおもり係みたいなようで。

 それは高校生になっても変わらなかった。今日も昨日も振り返れば、功が善を物理的に引っ張って会場まで連れてきた。迷子癖のある善はまっすぐに目的地にたどり着けないのだ。

 まさにお膳立て。

 功は息を吐いた。とはいえ、善も人間だ。プレッシャーはないだろうが、はやく決めきりたいと焦る気持ちは嫌でも生まれる。誰が決定打になるか、先からずっと考えているはずだ。そして、最終的に、功が選ばれることを、功は知っている。

 まずは追う立場から、追われる立場にならないといけない。同点から迎えた、こちらのサーブ。強烈なジャンプサーブも相手は顔色一つ変えずに取っているように見える。

 ほぼ完璧な形でトスが上がり、どんぴしゃの到達点からボールが打ち下ろされる。ブロックはクロスを打たせないように固めていたので、スパイクはストレートに。功は息を吸って、吐いた。腕に大岩を受けるような感覚にうめき声が上がる。ボールは弾かれて後方へ飛んでいった。

 功の隣を善が走り抜ける。間に合えば繋ぐことはできる。

 びりびりと指先にまで電撃が走るような痺れに腕の感覚がなくなっていた。

「あがった!」

 その声の瞬間に功は飛ぶ。もはや自分のところにボールが来ているかなんてわからない。もちろん、善も上げるのがやっとだっただろう。他の誰かがアンダーパスで相手コートに返してもかまわないボールだっただろう。

 ブロックが遅い。相手も予期しないボールだったのだ。わずかに抜けた気がすべての行動を遅らせていく。ブレイクするなら、今がチャンスだった。ブロックの上から、ネットの向こう側が見える。ストレートには誰もいない。打ち下ろした手に、ボールがフィットしたのを感じた。そのまま腕をぬくと、床を打ち鳴らす音がした。

 ボールが反対側の壁にもぶつかる。栄賀高校のポイント、

「よし」

 功は握り拳を作った。痺れは徐々になくなっていく。普段から三星のスパイクに慣れておいて正解だった、と思わずにはいられない。

(見とるんじゃろうかか)

 功は集中の糸が切れ始めているのを感じた。避けるチーズが一本ずつぽつぽつと切れていく。

「善」

 功は下手にハイタッチを出した。それは打ってくるなという合図だ。だが、善は上に手を掲げる。容赦がないと思わずため息が出る。功は死なば諸共、と無理矢理腕をあげて、高いところで手をはたいた。

「功」

 セットアップ位置に戻ろうとした功は、わずかに振り返る。口が動く。飛べ、と。

 サーブは先ほどとは違い。目に落ち込んだ。さっきからジャンプサーブばかりだったので、レシーブが乱れる。とはいえ、些細なことだったようで、ブロックしたクロスをぶち抜いてこちらのコートに戻ってくる。

「ワンチ!」

 ウィングスパイカーの宮原が拾うと、ボールは山なりに白帯の真ん中に向かった。善が飛ぶ。空中のほんの一瞬で押し合いが生まれる。たった一瞬のことだが、それだけで飛んだ者の実力がわかる。

 わずかの空中戦を制したのは善だった。一瞬気が緩むのを感じたが、すぐに筋肉を緊張させる。

 善が押し込んだボールは、しかし相手コートに落ちずに、近くにいたミドルブロッカーに辛くも拾われた。だが相手は態勢を立て直せずに、チャンスボールで戻ってくる。

 もう二度と飛びたくない。そう思っていたのに、トスを見た瞬間に、飛んでいた。全員分の来い! の声が聞こえてくる。

 再び手にはボールの感触。やはり、善は功に託した。コートにいる、味方も敵も全員、もれなく疲れている。

 それでも誰が、一番、今、勝ちたいと思っているか。今はその一つで戦況が変わる。

(んなもん、俺に決まっとる)

 同時に複数人が飛ぶ攻撃は、ブロックしにくい。だが、功の目の前には大きな手が見えていた。ゲスブロックと呼ばれる、勘に頼るブロックだ。正しくは勘に見せた心理と理論を組み合わせによって飛ぶのだが、周りの人からしてみればほぼ勘だ。

 おそらく、大事な場面で功が使われることを学んだ。それによるゲスブロック。

 ここで終わらなければ、負ける。

 功はその手に向かって大きく振り抜いた。バウンドしたボールは、大きく弧を描いて、白線のわずか外に落ちた。

 笛が大きく吹かれ、栄賀高校の勝利を知らせた。

 着地と同時に、功はその場に尻餅をついた。足に力が入らず、立ち上がろうとしたが、うまくいかない。

「功」

 目の前に自分とよく似た男がいる。全く同じ顔ではないし、性格もバレーの技術もまったく違う性質だ。だが、目の前の男は容赦なく手を突き出す。すがってでも立てというのだ。

 功は善の手を使ってなんとか立った。相手コートではすすり泣きが聞こえてくる。それと向き合って、一例をすると、今度こそ功は目の前を暗くした。





『サボるな』

 たったそれだけのメールを送った。口元が緩むのを感じる。

 町田一正は、自宅の一室から外を眺めた。白い雪がだいぶ溶けて、汚くなっている。一時退院のおかげで、第三試合だけ見ることができた。サボったらサボった分だけあとが苦しくなる。できることは今しておけ。というのは、町田の教えだ。

 もちろん、それは昔の恩師がくれた言葉だが、町田はそれを今でも大事にしている。今できることは、教え子に見ていると伝えることだった。

 実際、第三試合はよく頑張っていたが、数人サボっていたようにも見える。

 全員に好かれているわけではないが、自分を必要としている者もいる。町田は伝わるやつにだけ伝われば良いと思っている。

 現に、すでによくやっていると言える。帰ってきたら、なんと言ってやろうかと今から楽しみで仕方ないのだ。

「お父さん、体に障りますよ」

 寝ろ、と言われて町田は仕方なくベッドに横になる。


 良い夢を見ているような気分だった。



終わり

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