第5話 進路調査

五.進路調査

 進路指導室にはエアコンがついていて、冬場でも夏場でも快適だ。応接用のローテーブルとそれを挟んで向かい合わせにソファがあるだけだが、エアコンのために生徒がよく集まる。保健室の次に居心地が良いと評判だ。

 智登世はドア側のソファに座っていた。テーブルの上には、進路調査用紙が置かれていて、そこには無難に県立の大学名が書かれている。何もおかしなところはないのだが、目の前の進路指導の教師は納得がいかないらしい。

 簡単に言えば、もっと上の大学を目指さないか、と。

 県内だけではない。県外のランクの高い大学だって目指せるぞ、と説得されているのだが、まるで自分のことだとは思えない。今までだって進路は一貫して県立大学だったのだが、何も言われてはこなかった。

 むしろ安全圏内だから安心してこのまま勉強しろ、と言われていたのだが。

「ご両親とも話し合って、もう少し考えてきなさい」

 ため息交じりに新しい用紙を渡されて、智登世は部屋を追い出された。




 年が明けても、町がグレードアップすることはないが、おそらくどこかしら衰退しているのだと感じることはある。破れ家やシャッターの閉まった店を見るたびにそうだ。

 年末寒波の影響で積もった雪に、さらに昨日の雪が積もった。今年はやけに雪が降る。それがまたもの悲しさを印象づけるのかも知れない。春になれば桜が咲き乱れるこの町の印象もがらりと変わるのだろうが。

 離れの自室に持ち込んだ遠赤外線ヒーターを真横に、智登世は進路調査用紙とにらめっこしていた。今の時分になっても目指すものは見つかっていなかった。というよりも、もっと時間をかけて見つけるつもりだった。

 よく考えれば、三年生は進路に沿ったクラス分けをするのだから、来年度の夏までに、などと悠長なことは言っていられないのだ。

 智登世の通う高校は、比較的進路決定などが緩くゆるやかに進む。他の高校なら二年生に上がる頃には進路もある程度決定しているのかもしれない。

 しかしそうは言っても、提出のやり直しをさせられたのは初めてだったし、学校の希望の大学でないとダメだというのも初めて知った。皮肉の混じった考えだが、皮肉の一つも言いたくなる。

(行きたいと言うのだから、ここでいいじゃないか)

 ここでなければならない、と言う理由がある受験生はどれだけいるのだろうか。ここでいい、という理由ではダメなのだろうか。

 考えれば考えるほどどつぼにはまる。

「何をしているんだ?」

 鼻と唇の間にシャーペンを挟んで遊んでいると、いつの間にか離れにあがってきていたタカツに怪訝な顔をされた。

「何もしてない」

 ぽろりと顔からシャーペンが落ちて、手のひらでそれをキャッチする。

「タカツこそ、ちょっと早くない?」

 時刻は午後四時半。社務所のしまる五時にはあと三十分ある。

「落ち込んでいるような気がして」

「落ち込んでないよ」

 気分は晴れやか、とまではいかないが。実際の所悩んでいるだけで落ち込んではいない。タカツはストーブと智登世の間に割り込んで暖を独り占めしてしまう。心配だったと言いつつ、寒かっただけなのかも知れない。

「・・・・・・タカツは、俺がどこに行っても大丈夫?」

「・・・・・・まぁ、少し寂しいがな」

 テーブルの上の進路用紙をちらりと一瞥して、答えた。

 とても寂しいからどこへも行くな、と言われてもきっと困るだけなのに、少し寂しいとだけしか言われないのも、心に霞がかかるようだ。何百、何千年と神様になる前から存在しているタカツのうちのほんの十数年をともしただけなのに、図々しい気持ちに智登世はさらに嫌になる。

「そっか。ありがとう」

「うん? どういたしまして?」




「北海道大学?!」

 進路相談室で、進路相談員は、驚きのあまり声がひっくり返っていた。

 山口大学、それか広島の大学、その辺をという気持ちは目に見えていたが、いっそのこととても遠くへ行ってやろうと、そんな心づもりで書いた。

「ダメですか?」

「ダメじゃないけど・・・・・・親御さんは?」

「やりたいようにしなさいと」

 両親は渋る様子もなく、できることをしないさいと言った。それに対して目の前の教師はうろたえているのか、頭を抱えてしまった。

「なるべく遠い大学を受けたいのは、僕の勝手ですが、入りたい学部は決まっています。経済学部です」

「そ、そうか」

「将来この町に戻ってきたときに良い町作りをできたらと思うんです」

 でもなんで遠いところに、という疑問がつきないのか、相談員の相づちに力がない。

「一度、一人で一から頑張ってみたいんです」

 お前は頑張っていると思うぞ、と謎の励ましを受けて部屋を出た。今度は紙を受け取ってもらえた。

 本当は、よりよい町作りにも、一人で一から頑張るつもりもなかった。体の良い言い訳だ。

 ただ、タカツに守ることができるものなら守ってみろよ、というだけの幼稚な気持ちだけだった。俺も寂しくないという意思表明だった。

 寒い廊下を歩きながら、大きな大きなため息をついた。白く煙る息が、尾を引くように、気持ちにも切れ目がない。空しさがつきまとう。

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