第4話 クリスマス
四.十二月二十五日
この日は老若男女、浮かれる。日本では家族や恋人と過ごす特別な日とされているが、実際の所キリストの聖誕祭だ。仏教や神道の根付いた日本では本当はあまり縁がないのだが、なぜかこのイベントは宗教を超えて日常に落とし込まれている。カレンダーにすらイブとクリスマスの表記があるのだから、もはやクリスマスは日本の行事なのかもしれない。
宗教を越えてもなお文化を受け入れることは大事なことだ、と言う教えの元育ってきたので、智登世の家でもクリスマスはちょっと贅沢をする日として認定されている。単に息子に日本という枠組みの中から外れた生き方をしてほしくなかったのかもしれないが、おかげで幼い頃は枕元にプレゼントというベタな展開を経験できた。
その年のクリスマスはホワイトクリスマスとなった。離れの自室のカーテンを開けると、牡丹雪がゆらゆらと灯籠や庭石に降り積もっていた。
神様に寝るという行為が必要なのかはわからないが、夜離れにやってくるタカツはいつも智登世の布団の中に潜り込んでくる。大きめのベッドだが、成熟した男二人が寝るには狭い。何を言っても出て行くことはないので、諦めている。体温を感じられないので夏にひっつかれても暑くないのが幸いか。
寒がりのこの神様は、やはり雪が降るとなかなか布団から出てこない。
「起きろよ。ツリー見に行くんだろ」
今年は中学生が主催して学校の校庭にツリーを立てたらしい。電飾から飾りまで、中学生と有志の町民が行い、二十四日と二十五日の二日間だけイルミネーションを見ることができる。
雪の中のイルミネーションが見たいと言ったのは、タカツだ。もぞ、と布団が動き、隙間から顔を出す。
「行かないでもいい?」
別に行くことを強制しているわけではないので、智登世はかまわない。
「今日は上に行かなくてもいいの?」
「こんな日に参拝者は来ない」
それもそうか、と。
昼時になってようやく雪は止んだ。ここ近年ではあまり見ない量の雪が降り積もり、積雪四十㎝。昔はこんな雪ざらだったらしいし、こんなもんじゃなかったと多くのご年配がそう言う。
太陽もなりをひそめたままで、雪が溶けるのは先になりそうだった。
さすがに両親が社務所を空けるのは問題のようで、母屋にいくと姿はなかった。だがクリスマス気分なのか、畳の居間に小さなツリーが飾ってある。ミスマッチさが我が家らしい。智登世の部屋とはうってかわって、綺麗に整頓された部屋だ。テレビと、こたつ、ノートパソコン、座布団が二組ある。ミニマリスト、というわけではないが物が少ない。
こたつ机の上には、買い物リストが勇吉とともに置かれていて、買いに行けと言われているようだ。
「イルミ行った?」
「行ってない」
週明けの学校は中学校のイルミネーションの話で持ちきりだった。テレビ取材が来たらしく、務はインタビューに答えたらしい。
教室の前にある年代物の煙突ストーブを囲って、かじかむ手をほどくようにかざす。雪はまだ斑に残っている。もはや綺麗とは言えず、土やゴミと混ざって汚い。テラスに作ってある小さな雪だるまも溶けるまで時間の問題だろう。
「誰と行ったの?」
はにかむように務は破顔した。有り体に言うと、鼻の下が延びている。
「光樹ちゃん」
二ヶ月前まで違う女子生徒の名前を呟いていたのに、変わり身が早い。切り替えがはやいのは、良いところではあるが。務は恋多き男なのだ。
「冬休みもデートの約束しててさ」
「よかったね」
智登世には女の子と遊んで楽しいという印象はない。むしろ気を遣って大変だ、という印象しかない。あくまでも印象なのは、女の子とデートをしたことがないからだ。
「神様のこと大好きなのはわかるけどさ、智登世も女の子とデートしてみろよ」
「世界が変わるわけでもない」
「変わるぞ」
いい匂いがするし、優しいし、可愛いし、と務は夢見心地だ。
「一年とちょっとかもしれないし、それ以上かも知れない。それはたぶん俺たち次第なんだと思う」
智登世は背中を軽く叩かれた。務はいつも歩き出さない智登世の一歩を一緒に歩んでくれる。そういうところを頼りにしているし、そういうところから自立しなければならない。
「・・・・・・神様元気?」
務が無理矢理話題を変えた。最近、よくそうやって無理矢理話題を変える。女子の話が苦手なのも、将来の話が嫌なのも、お見通しなのだ。だが、それはつまり気を遣われていると言うことだ。今までそんなことはなかったのだが、人は変わっていく。思春期という皮を脱ぎ捨てようとしている務は、ここ数ヶ月で急に大人びた。
「元気だよ。今日も霜柱踏んでた」
目元に笑いじわができる。
午後五時を過ぎると、社務所の明かりは消える。境内の玉砂利を踏むことはできるが、お守りなどは買うことができない。そんな時間に境内をうろつくのは、賽銭泥棒か、ただの物好きか。
年末年始の準備は着々とすすでいて、すでに火をたくためのドラム缶が用意されていた。初詣にはそこそこの活気を集める御大岳神社だ。屋台は出ないが、甘酒とソバが提供される。
もうタカツも社を出たのか気配がない。石段に腰掛けると、静かな町を見下ろして、智登世はため息をついた。明日から冬休みだ。学生は浮き足立っているし、年の瀬も迫ってきて町の飲み屋は連日賑やかな様子だ。両親も自治会の飲み会などで出歩いている。
「おい、お前」
不意に男の声がした。誰もいないと思っていただけに驚きが過ぎて、わずかに腰が浮く。智登世が振り返ると、そこには金髪のヤンキーが立っていた。頭に耳が生え、目元が黒くなっている、奇抜なファッションのヤンキーだ。
「何してんだ?」
おそらく異形の者である。おそらく完璧に人間に化けたと思っているのだろうが。
その異形の者は、智登世の隣にゆっくりと腰を下ろした。
「いい景色だろ」
景色と行っても外灯や店の光がぽつぽつとあるだけで、満天の夜景とはいかない。だが、確かに町の息吹を感じられるような夜景ではある。生活感が夜気に溶けているような。
「死んだらこんな景色も見れないんだぜ。何があったか知らねぇけど、生きなきゃ、なんともならねぇ」
背中を軽く叩かれた。この異形の者は慰めてくれているらしい。なんだかおかしくなって、ふっと息が漏れる。
「死ぬつもりはないですよ」
「そうなのか? 死にそうな顔しやがって。もっと生きる顔をしろ」
生きる顔とは。
「お、旦那が来るぞ。じゃぁ、俺はこれで」
遙か下の石段に、青い人影が見える。異形の者はそれを認めると、急いで立ち上がった。
「名前は?」
智登世は思わず名前を尋ねた。このままさよならではない気がしたからだ。異形の者は少し迷うような仕草をしたあと、親指を突き立てた。
「三太だ。じゃぁな」
異形の者が消える瞬間を見てやろうと思ったが、その前にタカツに名前を呼ばれた。名残惜しい気はしたが、タカツを見やる。
「智登世、帰ろう」
夜に邪魔されて、顔がよく見えない。それでも笑っていてくれているのだろうと、ゆっくりと立ち上がる。智登世は一度社のほうを振り返ったが、もうそこには異形の者はいなかった。
(今度あの異形に聞いてみよう)
変わらないものはあるのか、と。
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