第3話 焼き芋

三.焼き芋

 焼き芋の季節が来た。熱心な参拝者はこの時期になると、境内の一部で焼き芋を作ることを知っている。もちろん、落ち葉の中で焼くのではないが、懐かしい作り方ではあるのだろう。五、六十代の人には特に評判が良い。

 円筒の白い灯油ストーブは、祖父の代からすでにあるがまだ現役バリバリで働いている。社務所の中で炊かれるその火の上で、焼き芋が焼かれているのだ。

 十月も後半になると、ストーブは欠かせない。朝夕だけではなく昼間も北風に乗って寒さが忍び込んでくる。

「よっ!」

 智登世は社務所の奥から表へ顔を覗かせた。ちょうど焼き芋が焼き終わって、奥に引っ込んで食べてやろうとしたところだった。茶色の髪が軽薄に見えるが、その実人情家で困った人は放っておけない質の、男。大川務が、社務所の母親に断りながら中に入ってきた。

 もう幼稚園より前から一緒にいるのだから、勝手知ったるなんとやらだ。春は桜餅、夏はスイカ、秋に焼き芋、冬には甘酒をいただきにくるこの幼なじみの図々しさを、智登世はすでに諦めている。それだけのために来るこの男に小言を言ってやりたいが、帰り際には一応詣でるのだから、まったくもう、といった感じである。

「今日はいんの? 神様」

 務は智登世が見えることを知る数少ない人だ。いや、ほぼ両親と務しか知らないと言っても過言ではない。だが、その三人とも同じ景色は共有できない。今し方座った場所に、タカツがいたことも、わからないのだ。

 タカツは移動して、智登世の隣に座った。

「いるよ」

 神様を指さすわけにはいかないので視線で場所を誘導すると、務は手をにゅっと差し出した。タカツはそれを握る。来たときの挨拶なのだが、神様に握手を求める男は津々浦々探してもここに一人しかいないかも知れない。

「いつもありがとう、だって」

 実際タカツはそう言っている。務にも近くの母親にも聞こえないだろうが。

「いつも世話になってるのは俺なんだけどな・・・・・・」

 成績は下から数えた方が速い男だ。一応、クラス順位がトップ十に入るくらいの成績の智登世は彼の勉強を見ている。だが本当に助かっているのだ。言葉の通り、智登世は助けてもらっている。

 見えすぎるせいで、余計なものまで呼び寄せてしまう質の智登世だが、務といると、不思議と何もないのだ。見えるものも薄らぐ。体質的に寄せ付けない、というよりは、彼の守護神が強すぎると言うべきか。

 智登世が彼の側に見るのは、大きな犬だった。とても懐いているようで、ときおり顔を寄せてすりすりしている。それを務に伝えると、生まれた頃から一緒にいたシェパードがいたという。小学生に上がる頃には亡くなってしまったそうだが。

「てか聞いてくれよ。莉子ちゃん、彼氏できたんだって」

「また告白前にフラれてるパターンか」

「俺じゃダメなんかな」

 そういうわけではないが、務は良い意味で子どもっぽいのだ。無邪気というか、悪気がないというか。デリカシーに欠けると言えばそうなのだが、なぜだかそれで嫌われることはあまりない。むしろ人に好かれるので良いことだが、こと恋愛に関わるとそれは役に立たない。年頃の女の子はやはり大人な男が良いのだろう。

 ふと眉をしかめるが、まぁいっかと開き直るのも速い。

「お前は好きな子とかいねぇの?」

「何で俺」

「俺だけじゃ不公平」

 そう言う話をするのはいつも務で、智登世は聞く係だった。あれば話すだろうが、ないので話せない。

「いないよ。どうせあと一年ちょっとだろ。彼女つくっても無駄だし」

 途端に酸っぱい表情をしてみせるので、苦笑する。

「ていうか、俺は今で満足してるし」

「それなんだけどさ。人生は今だけじゃないのよ」

 未来が来る。力強く言われて、途端に罪悪感が湧く。考えていないわけではないが、どうせ親の跡目をついで宮司になるのだろう。大学に行くなとは言われていないので、行くことはできるだろうが。安易に務と同じ所を受けようかな、と考えていたことがバレそうだ。

「俺、今の成績のままじゃ大学行けねぇんだわ」

「そんなにヤバかったっけ?」

 務は首を横に振る。

「今のままの成績で大学行っても、ろくなこと勉強できない。だったら、さっさと就職するか、専門学校行くかする方がマシなんだよな」

「そう、なんだ・・・・・・」

 力なく呟くしかない智登世に今度は務が苦笑する番だった。

「それに俺夢があるんだ」

 目の奥に力が入ったようだった。夢の話や将来の話など、これまでろくすっぽしたことがなかっただけに、智登世はわずかに怖じ気づく。怖い話でもないのだが、触れられたくないところを突かれたような感じだった。

「宮大工になりたいんだよな」

 務の父親は大工で、よく現場を指揮する立場の人だ。だからそういう職種に憧れてもおかしくはない。だが、なぜか智登世はショックだった。同じ大学に行く夢が砕かれたからではない。夢を見ていない自分が途端に恥ずかしくなったからだ。

「じゃぁ、もっと勉強頑張らないと」

 感覚だけでできる仕事ではないだろうから、それは本心だった。だがどこかぼんやりとしていて、自分の言葉ではないようだった。

(宮司になりたいという夢もなければ、どうなりたいかもわからない。あぁ、再来年には、俺は一人なのか)




「大丈夫か?」

 風呂から上がって即部屋に入ると、いつも通りタカツがいた。

「何が?」

「大丈夫だぞ、離れても俺は加護を与えることができるし」

 そうすれば見えすぎて困ることもないらしい。現に務と離れている間も、見えすぎることはない。だが、そんなことで悩んでいるわけではなかった。とはいえ、どう慰めてやろうかと思案する神様を無碍にはできない。

 ひとまずまだ悩めるだけの時間はもう少しあるのだ。

(神様どうか、と神様を前にお願いするのはどうなのだろう。無神経かも知れないけど、どうかこの神様が幸せでありますように)

 智登世は一息吐くと、いつも動かない口角をきゅっと引き結んで笑った。

「大丈夫だよ」

「そうか」

 大きな手のひらが髪の毛を梳いた。

 心配そうな表情が網膜に焼き付くようだった。

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