第2話 すがた

二.すがた


「朝夕の つめたさ運ぶ 野分かな」

 タカツは夜になると離れにやってくる。社にいても、夜の内はたまにくる狸の相手くらいしかすることがないらしい。

 離れには智登世の部屋がある。十二畳の広い部屋だ。ベッド、ローテーブル、三段ボックスとクローゼットがあるくらいで、簡素な部屋なのだが微妙に散らかっている。教科書やノートは出しっ放しだし、本やCDも積んである。汚いとは言えないが、綺麗とも言いにくい。

 そんな部屋を見ていつもタカツは、複雑な顔をする。来なければ良いとは言わない。タカツの存在を認知できるのは、狸と智登世くらいしかいないのだから。何でもできる神様の唯一の欠点は、誰とも交わらないことなのかも知れない。

「何それ」

 今夜もタカツはやってきた。宿題を前にして、飽きてきた耳にちょうどよく届いたのは、俳句だった。数学の公式を書くのを諦めて、ローテーブル越しに対面に座るタカツを見やった。

「いや、急に寒くなったのは台風のせいかなって」

 二日前の台風の日から、季節はあっという間に秋になった。日中の気温も三十度にいかず、朝夕にいたっては冬を思わせる寒さだ。台風がきっかけで季節がわかることは、幼い頃からよくあった。季節による寒暖差も、一日の中の寒暖差もとても大きく、幼稚園時分はよく風邪を引いていた。

 風邪を引かなくなったのは、小学生の、ちょうど、見えるようになった頃だろうか。

「肩かつぐ 洗濯物と 白驟雨」

「あぁ、降ったな。雨」

「母さんが外に出しっぱでさ、洗濯物」

「急いでいたな」

「見てたのかよ」

 同じタイミングでくつくつと笑う。少なくとも智登世とは時間が交わっている。この人好きの神様がそれで慰められていればよいのだが。



 ある昼下がり。天気が良すぎて、秋から夏にぶりかえしたような日だった。久しぶりに両親に連れられて境内を掃き清めていると、一人の女性が石段をゆっくりと昇ってきた。境内に通じる道は、垂直に見える石段を昇るか、緩やかな車道を昇るかの二つだ。ほとんどの人が、車道を通るので、珍しいことだと顔を上げた。

 あまり参拝者をジロジロ見てはいけないと言われてはいたが、野球部でさえ練習しないような石段だ。気になる。

 疲れているようなら水でも差し出すか、と思っていると。

「ヨシカか」

 タカツがゆっくりと社の中から出てきた。

「タカツ~」

 黒く長い髪が風にひらめく。切れ長の目が涼しげで石段を登ってきたというのに、少しも疲れた様子はない。タカツは直衣にストールを肩にかけているが、女性は白いブラウスに赤のロングスカート、耳には大きな赤い石をくっつけ、現代服を身につけている。

 二人はアンバランスだがタカツがわかるということは、彼女は超常的な存在なのだろう。

「元気ぃ?」

「この通り」

「何年ぶりぃ?」

「十年近く会っていないな」

 女性の視線が突如智登世に向く。ジロジロ見すぎてしまったようだ。咄嗟に目をそらすが、玉砂利を踏む音が近づいてくる。目の前に立つとやけに大きな女性だとわかる。智登世よりも背が高い。しかしモデル体型なのか胸はうすっぺらい。

「見えるんだ。ねぇ、君、この町の大鹿伝説知ってる?」

 簡単に言うと、一頭の大きな鹿が田んぼなどを荒らし回っていたが、それを懲らしめて町の神様として祀った話だ。まぁ、要は神様としてお供え物とかあげるから、大人しくしてくれという約束事をしたという感じか。その神社は町を北に進んだ場所にある。奇鹿神社と書いて、くしかじんじゃと言う。

「知ってるんだ。さすが神社の息子ぉ」

 女性はケラケラと笑った。

「何か用があってきたのか?」

「遊びに来ただけぇ」

 タカツの問いかけに女性はピースをして言った。たまに超常的存在のものたちがこの神社にやってくるが、彼女は他のものとは一風変わっているようにも思える。無邪気というか、神様らしくない。タカツはむしろ神様らしくするのに必死になっている風ではあるが。

 それよりも神様は何して遊ぶのだろうか。二柱はつれだって社の中に入っていってしまった。気にはなるが、早くも枯れ始めた落ち葉を掃くことで雑念を払うことにした。

(そういえば、伝説の鹿は牡鹿のはずなんだけど・・・・・・)




 神様は意外に仲が良い。というのも、同じ町を守護していたり、隣り合っていたりしているからだ。いちいち喧嘩などしてはいられないらしい。ある程度礼節をわきまえれば、たまに遊びに行ったり、来たりするのだそう。

 八百万の神というのだから、どんなものにも神は宿り、それだけの歴史がそのものにはある。だから、上下関係もあまりないらしい。他の歴史を大事にできない神などろくな神ではない、と言う。神は神。

「智登世が幼稚園くらいのときにヨシカはここへ来たことがあるが、まだ見えてない頃だな」

 あの頃は男の姿だった、とタカツは言った。

 神様には性別がないことが多い。男性的だから男神とか、女性ぽいから女神とか、そういうことはざらだ。特にアミニズム的な神は明確な男女差がないので、なんとなく男だったり女だったりする。

 ヨシカはもとは牡鹿だったが、神様になり、好きなように生きているのだという。

「女が良いなら、俺も女になろうか」

「そのままがいいよ」

 智登世が素早くそう返すと、タカツは鳩に豆鉄砲をくらったような表情をした。どうやら、否定されるとは思っていなかったらしい。

「年頃の男とは思えんな。その調子だと、クラスの女子とも喋ったことないだろ」

「偏見だ。喋ることくらいあるよ」

 業務連絡くらいだが。

「そうか、この姿でいいのか・・・・・・」

 そしてにやりと、表情を悪戯に変えた。

「この姿、が、良いのだな」

「言葉のあやだ」

 シャーペンの尻をノックして芯を出し、数学の宿題を解き始める。そうかそうか、といつまでも機嫌の良い笑い声が、聞こえてくる。

(姿をころころ変えられても困る)

 何に困るかはよくわからないのだが。

 何とは言えないが、困るから。それが理由ではダメなのだろうか。

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