奇妙な関係
「………悪いけど、見逃すことは私の立場では不可能です。それに私を逃していいんですか」
いさぎは今、混乱していた。まだ鼓動が耳を打っている。どのように答えればいいのか分からず
「分かっています。でも、嬢ちゃ……あなたは平助を捕まえて連れていくだけの力がない。あなたが平助の正体を見破れようと、いつまでも逃げることはできる。だから今ここで見逃していただきたい」
「そうですか…………もし、見逃さなければ?」
「私はしがない、鬼道や呪術も使えない商人です。私の弟子に限って無いと言いたいが、平助を確実に止められる保証はありません」
話し合いの体で外堀を埋められているような感覚に、いさぎは気持ち悪さを覚える。そして、殺されかけた事を思い出して背筋を冷たいものが伝った。彼女は木の幹を背もたれに腰を下ろし、ため息をつく。
「私が得することは何も……」
「ですが」
それを鉄二が二の句で遮って、叫ぶように言う。
「もし平助があなたを殺したら私は…………!
「…………意味がわかりません」
思ったことがそのまま口に出た。彼が腹を切って晒されるところでいさぎにとっては何にも状況が変わっていないし、それはいさぎが既に死んでいることが前提となっている。筋がまるで通っていないのだ。
「私に道理が無いのは承知。その材料もない。なれば私が弟子にかける想い以外に道はないのです」
「……………」
「私は、平助に商人になってほしい。彼がやっと掴んだ自由を、自分の夢のために使って、ただ幸せに普通の人生を掴んでほしい。…………歳の離れた弟の様に思っているんです」
「…………」
「無理を通す以外に他は無い。もし、見逃していただけないのであれば、我らの行商にご同行を願いたい」
いさぎはその要求に息を呑み、苛立ちがついに怒りへと突き抜けた。助かった?いや、状況は変わらない。以前彼女は命を彼らに握られているのだ。
「………っ図々しいにも程がありますよ!確かにあなたには命を救われた……けど、それは私の命を自由にできるのと同じです!いつでも殺せると、言われてる様なものだと分かっているんですか!?」
感情の昂りで、回復した呪力が呪いとして漏れ出す。いさぎの身体から冷たい冷気が白い霧となって揺らいでいた。頭を下げたまま鉄二は少しばかり黙って、それからゆっくりと口を開く。
「あなたが気を失っている十数時間、考えた。私の望み、平助の夢、あなたの立場…………総合的に考えて最も中立で、あなたの安全を保証できる答えがそれだった。見逃してもらえるのが一番ありがたくはありますが……それが無理なら、という形ではあります」
彼なりに深く考えているのは伝わった。だが、到底受け入れられるものではない。屋代隊の面々は未だにいさぎを必死で探しているだろう。都の顔馴染みは彼女を心配するだろう。家賃も滞納するなど、自分の私生活もボロボロになる。何より、軍人としてのプライドが、朱路の捜索という職務を放棄することが、昨今の世界情勢的にどれほど身勝手な事かを承知している。
しかし…………他の案があるかと言われても上手く思いつかない。
「…………少し、何日かでも、考えさせてください。その間の同行は認めます。頭を上げてください」
「ありがとうございます……申し訳ない」
彼女は怒りを抑え、歯噛みする様にそう言うと踵を返して、彼らから見て焚き火を挟んだ向こう側の木の根元に、膝を抱えて座り込んだ。
土下座から解放された彼らも何も言えず、視線を下に落としてただ座っているだけだった。
座っているうちにいさぎは、さっきまで眠っていたというのにまた眠くなる。呪力の消費はやはり甚大で、ほどほどまでの回復にすら至らなかった様だ。睡魔に負けて、また深く意識の底に沈んでいった。
***
***
***
「起きてくれ嬢ちゃん、おーい、飯だ飯!」
身体を揺すられる感触で目が覚める。
「お、起きたなぁ!鹿の肉焼いたとこでさ、食べてさっさと歩こうぜ!この森林、割と売れるものが多そうでな」
ポカーン、といさぎは鉄二の馴れ馴れしさに口をあんぐりと開けるしかない。昨日の夜の
その様子を見て鉄二は、すまなそうに手を合わせ小さな声で伝える。
「答えが出るまで同行すんなら、その間は仲間だろう。昨日の雰囲気引きずっちゃいられねえからな。明るく行かせてくれ。ほい、嬢ちゃんの分だ」
恐らく後脚の肉だろう。骨つきで持ちやすく切られていたものを手渡される。その瞬間、二日間ほど何も食べてなかったことを思い出し……突然お腹が空いてきた。本能の赴くままに、夢中になってかぶりつく。
「………おいしい」
臭みはあるが、確かな肉の味に思わずほおが緩む。その時
「あ゛ーーーーーーッ!!!!!師匠俺の育てた肉無いんですが、取ったろ!!!!」
「みょーん取ってなーい取ってなーいブルルルルゥ」
「クソ、油断も隙もねぇですねぇ!クソッッ!!」
ただならぬやりとりが、焚き火を挟んだ向こう側で行われていた。天を仰ぎ、消えた肉を想って嘆く平助。腰を振って華麗に舞い、それを挑発する鉄二。
「……………もぐ」
嫌な感じの彼らから肉を隠す様に背を向けて、いさぎは黙って鹿もも肉を平らげた。
寝て食べて、スッキリした頭で考える。
これからどうするべきか。とにかく今は彼らについて行くことが自分の命を確保することにもなり、さらに、平助を監視することにもなる。確かに妥協点としては良い案だ。
そして、寝食をしばらく共にするのであれば確かに、あの師匠の様に気持ちを切り替えねばなるまい。
いさぎは殺されかけたトラウマと、これからの不安について考えない様、頬をバシッと両手で叩いて気を引き締める。
自分の身の回りにあった懸念点は、同行して行くうちに解決策が見えてくるはずだ。ならばこそ…………
「しゅ、じゃなくて、平助さん……!」
師匠と取っ組み合って転がる平助に、いさぎは勇気を振り絞り話しかける。
平助は驚いて目を丸くするが、すぐに顔を背ける。多少なりとも罪悪感がやはりある様だが……これを乗り越えなければこの先ストレスになるだけだ。
「昨日までのことは水に流しますね。もも肉ごちそうさまでした!」
笑顔で骨つき肉の残骸を見せつけ、いさぎはそれを焚き火の中に放り込んだ。平助は今度は目玉が飛び出そうなほど開眼し、顎が外れそうなほど開口した。そしていくばくの沈黙ののち、ほっとした様に微笑んで項垂れる。
「ははは……もも肉一つで済まないだろ普通。鹿全部あげる」
「さすがにいりません」
数日ぶりにいさぎは、緊張から解放された和やかさを感じた。
木漏れ日が視界に入り、風を感じ、小鳥の囀りが聞こえてくる。それがずいぶん懐かしく思えた。
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