英雄の師
「やっとお目覚めだ。師匠、悪いがこの子は……ここで息の根を止めておきます。もっと強くなるし、顔も見られてる……成長が気になるから残念だが」
「え?いやちょっと待てお前……待てって」
溶け始めた氷を見つけて、平助が一歩踏み出す瞬間、氷が劇的に霧散した。中から現れたのはまだ10代後半に見える可愛らしい少女。可憐な容姿よりも印象的な、不気味で神秘的な髪と瞳の色を持つ。その瞳が、恐怖と敵愾心で光る。息も荒く、彼女は自身の力で氷の刀を作り出してこちらへ向けた。
「来ないで」
切実な声に鉄二は慌て、平助を宥めて状況を落ち着けようとするが……間髪入れずに平助は鬼道を使った。いさぎの華奢な首を折れそうな程に、固定化した大気で締め付けて持ち上げる。
「───ッ!!」
「まだ力が残ってるなら……吐き出させる」
昨夜の件もあり、平助は油断を捨てていた。いさぎから声にならない悲鳴が僅かに漏れ出し、ビクッと全身が痙攣する。ものの数秒も経たず彼女の瞳孔は開き、混乱して振り回す刃で自分を傷つけた。
「無いみたいだな……せめて、楽に死ね」
「待て待てやめろお前ぇ!!!」
突如として始まる人の命のやりとりに暫し立ち尽くしていた鉄二だが、平助の「死ね」という言葉が彼を突き動かした。震える声音で叫び、平助の前に立ち塞がり、両手を広げていさぎを守る様に立ち塞がる。
「もう力も無い相手を、何も殺すことはねえだろ!」
「師匠、俺はこの子に顔を見られてる……それに、この子は俺を見分ける特別な力を持ってます。言いたいことは分かりますよね」
「わっかんねぇよ!!今のお前は商人だ、人殺しなんかじゃねえ!もし殺すんなら死んでも止める……人殺しに戻りたきゃ、この俺を殺してから戻りやがれ!!」
鉄二の目には迷いがない。彼は覚悟を決めていた。五年前に朱路だった平助の頼みを聞き、弟子として行商の伴をさせる時点で、彼の人生のやり直しを見届ける覚悟を。途中下車はさせない、その覚悟を平助も感じ取っている。だからこそ戸惑う。
「…………すみません、確かに俺は朱路じゃない……………だけど、どうするんですか。殺す以外に……」
「これから考える!いいから早く離してやれ!!」
平助はもどかしさに目を細め俯き、同時に鬼道を解く。鉄二の覚悟の固さに折れたのだ。
ドサッと鈍い音を立て、受け身も取れずいさぎは叩きつけられた。糸が切れかかった全身を激しく痙攣させ地を掻きむしる。必死に呼吸をすると共に、尋常ではない苦痛を込めた、聞く者がゾッとする様な叫びが自然と出る。
「────あぁ゛ぁッ!!!………ぐぁ……………!」
鉄二は死にかけた少女に振り向く勇気が持てなかったが、まだ難しい顔で目を瞑り俯く平助の前で両手を広げている。しかし内心混乱しており、そこから立ちすくんで動く事ができなかった。だが。
「助けて……」
か細く、縋る様な声が聞こえてきた。
その瞬間に身体を縛る緊張と混乱の鉄糸はほつれ、鉄二は自分の良心に従って名前も知らない少女に駆け寄り、力無く伸ばされた手を両手で包んだ。
「あ、えっと、と、とにかく大丈夫だ!安心しろ軍人の嬢ちゃん。平助にお前は殺させん」
いさぎはまだ端の暗い視界の中で、自分の目を真っ直ぐ見て手を握るこの初老の男が自分を救ったのだと何となく悟る。どうやってかは分からないが、朱路を止めてくれたのだと。
────助かった……?
そう思った瞬間、堰を切ったように眠気が訪れる。いさぎは抗えず、パタリと力を失った。
「お、おい!!?まさか、おい!しっかり……」
「気絶したんでしょう。呪力は精神とも密接な関わりを持ちますから……呪力が尽きて体力も限界だったんだと」
「な、なんだぁ、びっくりさせやがる……」
ホッとして尻餅をつく鉄二をよそに、平助はモヤモヤしてそれらを見ておれず、背を向けて焚き火のある場所へ歩いていく。
「気まずいだろうが、手伝えよ平助!一般人にゃあ気絶した人間は女だろうが重すぎる……腰やるかも」
「………ああもうっ……!」
頭をかきむしり、気絶したいさぎを上手く持ち上げられない鉄二のもとへ、平助は早歩きで戻っていった。
***
***
***
ぱちっ、ぱちっ。
その様な、火の中で燃える木が弾ける音でいさぎは心地よい眠りから一度、目が醒める。
「うーん………」
寝返りを打つと、自身の呪いでできた霜柱がぐしゃっと潰れた。起きるのも惜しいので二度寝を決め込もうとした瞬間、自分の置かれた状況と、気を失う前の記憶を取り戻した。
「───ッ!!!」
ガバッと勢いよく飛び起きて、焚き火の光に向き直る。そしてその焚き火を挟んで座る二人のうち一人が
「っうわああぁ!!」
最早
その内一つを神通力も鬼道すらも使わず、左拳の裏拳を使って平助は流す。見切っていた残り二つは夜の森林の奥に吸い込まれていった。その拳はズタズタになり、痛みで表情は歪む。そして一瞬いさぎを見つめ……気まずそうに目を逸らした。
その異様な様子にいさぎは気づかないほどに興奮状態にあった。上がる心拍と血圧は耳を赤らめさせ、瞳孔を開かせる。今、彼女は目の前の脅威を排除することしか考えられなかった。自分の恐怖を抑え込む様に叫び声をまた上げるが、その時。
「うわあああ嬢ちゃん落ち着けぇーーーーーっ!!!」
勇敢にも動き出した鉄二が、彼女の胴を体全体で抱きしめて止めようとするが……。
「らぁああ!!」
「冷たっ……嘘だろおおおお!??」
鉄二を虫の様に軽く引きずり、猛スピードで平助にいさぎは迫る。いつの間に、その右手に先ほどよりもしっかり造形された、一メートル程の氷刃がある。
「平助ぇええ!!」
弟子の命の危機に思わず悲鳴の様に鉄二は呼びかける。しかし平助は目を逸らしたまま、そして避けるそぶりも見せぬまま……音もなく左胸上部を串刺しにされた。
刹那、ようやくいさぎは彼の異常を認知した。なぜ反撃しないのか、なぜ殺意を発していないのか…………戸惑いと興奮で、頭が混乱していく。氷刃が霧散し、その傷口から、口から大量の血が滲み出る……。
「え?あ、ど、どうして…………」
「平助ェ!!」
掠れた声で放った疑問を、鉄二の叫びが打ち消した。いさぎを跳ね除け鉄二は、平助の肩を掴んで様子を確かめるが。
「ぐぶ……言ってるでしょ、回復鬼道の術式で死にませんよって……」
「いや、そうだけど!分かってるけど!」
肩から離れて、頭を抱えてオロオロする鉄二を見て、呆れた様子で平助はため息をついたが、その拍子に喀血する。苦悶に耐えているのがありありと伝わる。彼の座る足下でぼうっと白い光の術式が現れていた。
そしていさぎとは目を合わせず、気弱な声で彼は話す。
「…………いさぎちゃん、俺にはもう君を殺せない。師匠の意向だ」
「………………」
沈黙が二人の間に流れる。いさぎにはもう、彼をどうしていいか分からない。それに、師匠とはどういうことなのか。師匠と呼ぶ男は自分を助けてくれた男に違いなくて……ただ呆然と立ち尽くす他になかった。
代わりにある程度落ち着いた鉄二が平助の肩を叩いて問いかける。
「えーと、本当に大丈夫、なんだな、平助」
「はい」
「なら──」
混乱から立ち直っていなかったいさぎは、この後見る光景に尚のこと戸惑うこととなる。なぜなら
「軍人のお嬢さん───この度はうちの弟子が、本当に申し訳ありませんでした」
鉄二はそう言って、座る平助の頭を地面に付けさせ、自身も深く頭を地面に擦り付けていたのだ。自分を殺そうとしたかつての英雄と、その師匠を名乗る自分を救ってくれた男の土下座…………まだ、気持ちすら落ち着かない時に見るものではない。なんとか、いさぎは頭に浮かんだ言葉を絞り出した。
「どういう、つもりですか?」
もはや何の意図も無い言葉だったが、鉄二は"目的を知りたいのだ"と解釈した。彼は首を少し上げて、いさぎの目を真剣そのものな表情で見つめ、続ける。
「無理だと分かっていても、お願い申し上げたい…………こいつを、平助を、見逃してはやってくれませんか。私の全てを注ぎたいと思ったこのバカ弟子をどうか……頼みます」
いさぎの呪いの残滓なのか。冷たい風が、彼らを包み込む。再び鉄二は頭を下げた。
空間だけが切り取られ音だけが生きている様な、そんな静けさが、暗い森林の中で木霊していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます