新しい朝

 

 出血がひどく、源太郎は止血をしながらもふらつきが止まらない。他の巫女・かんなぎに治療してもらう手もあったが、彼は塞ぎ込んでいるであろう牡丹と話すきっかけのために怪我を残していたのだった。激痛に何度も意識を手放そうとも。


 ──結局、この河原の街で、軍は朱路を逃してしまった。これで一から手がかりを得なければならない。そして追跡のかなめであるいさぎまで欠いてしまった。結果的に軍側の完全な敗北に終わった。


「怒らないから出てきいや。牡丹。もう朱路はおらん」


 しらけきった軍人達の集まる大通りの中、目立たない路地への入り口からチラリと巫女服のはかまの裾が見える。牡丹が座り込んでいるのが分かった。


「あと、治療してくれないとわしゃあそろそろ死ぬ。ははは……」


 牡丹はその路地で、抱えた膝に顔を押し当てて鼻を啜っていた。その手は未だに少しばかり震えていた。

 彼女は顔を伏せたまま、術式が刻まれた式紙シキガミを源太郎に差し出す。


「……泣いてんのか?」

「顔汚いからごめん、そっち向けない……これ使って……致命傷でも大体治るくらいの呪力は込めているから。ただ、に注意しなさい。傷痕が大変なことになる」

「そんな貴重なもの使うなら、顔くらい気にせんでええ。わしゃあ気にせん」

「私は気にするの!」

「まったく…………」


 呆れてため息をつきながら、源太郎は式紙を受け取る。


「ともあれ、無事で何よりじゃ。色々と平気か?」

「…………怖かった」


 ふるふると首を横に振って、か細い声で牡丹は答える。


「なんで平気なの源太郎は、あんなの相手に……私、いつまで経っても慣れないよ……」


 源太郎はしばし考え路地に背を向けるように、大通りに向かって腰を下ろす。同時に式紙を傷口に貼り、治療を始めた。


「うん……怖いさ。ワシだって怖い、が、こればかりは素質かもしれんな。ワシは遺伝によるものが強そうじゃ」

「私、軍人には不向きなのかな」

「それは……ワシにはとても決められん」

「……私さ、今一番私のこと嫌いだ。怖いよ」

「……………」

「また、私は恐怖に負けて仲間を見捨てるかもしれない……」

「まともな証拠じゃ。命を賭ける時に人間、生き残る以外に頭を割く余裕なんざ普通は無い」

「恐怖に負けて、いさぎみたいな友達を見捨てるのがまともなら私、まともなんていらない。いざとなったら体張って守れるって、自分の事信じてたのに」

「…………」



 牡丹の声が悔しさで震える。涙も流しているのだろう。源太郎は明るみ始めた空に目線を向け、聴いていた。



「でも……逃げちゃった。立ち向かえなかった。そのせいで隊長だって遠いから合流が遅れて……私、いさぎの友達でいる資格なんてもう……」

「ふっ、お前本人に同じこと言ったらどうなると思う?」


 源太郎はいつになくヘコむ牡丹の様子が可笑しくなり笑い、だが自分の知る一つの真実を語らう。いさぎがどれほど牡丹を大切な友人と思っているか、知っているから。


「お前、ブチギレられて氷漬けにされちまうぞ」


 牡丹は息を呑み、自分の失言に気づく。一番近い友人である彼女がいさぎの気持ちと性格を推し量れないはずがなかった。


「あ、そう、だよね……ごめん。何言ってんだろ私」

「……落ち着くまでそこで座っていても何も言わん。だが、ワシらはいさぎについて、次の事を考えておく。まとまった話は後で聴けばええからゆっくり休んどき」

「嫌だ……」


 その時牡丹が源太郎のズボンの裾を掴み立ち上がった。


「私のいないところでそんな話、しないで。責任感じてるの」

「……大丈夫なんか?」

「怖くても、恐怖に何度負けても、命を賭けようとは思えるから……血反吐吐いても着いてく」


 朝日が荒涼とした大通りに真っ直ぐ差し込む。

 地面に打ち付けた時のものであろう、彼女の額から流れた血と付着した泥が乾いている。眼は泣き腫れて充血していた。巫女服の白い袖は拭った血がべったりと染みている。見るにも痛々しい姿だが、その茶色い瞳は大きく輝き、恐怖に立ち向かう意志を感じさせた。


 源太郎はその姿にふと微笑みかけ、優しく囁く。


「ほんときったねえ顔だな……」



「は?死ねぇ!!!!!!!!!!」

「のぉお゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!??」



 頬を紅潮させ、激怒した牡丹の後ろ回し飛び蹴りが、見事に源太郎の傷口を抉り抜いた。

 そして結局悪化した傷を塞ぐのに、貴重な式紙の治癒鬼道を全て使い果たしたのだった。







 ***

 ***

 ***




 森の中で、鉄二は木々の枝がパチパチと燃える音で目を覚ました。

 彼は平助の高速移動に耐えられず気絶してしまったが、どうやらそのまま朝まで眠ってしまっていたらしい。

 寝返りを打つと、数メートル先の木の枝に血抜きされ毛皮を削がれている鹿が、干してあった。

 そしてふと香る血生臭さで、鉄二は突然思い出す。平助が決して軽くない傷を負っており、さらには追手と戦っていた事を。


「平助!??どこだ!!」

「朝から元気ですね。おはようございます師匠」


 朱路は半裸でヘラヘラと、干されている鹿の背後の木陰から、鹿の毛皮を持って出てきた。だが鉄二は気が気ではない。



「あ、おい!大丈夫か平助、お前……確か怪我を」

「大丈夫です。もう治りますから」

「うそーーーん!!?」



 鉄二は目玉が飛び出すほどに驚愕してひっくり返る。今の平助は袴を着用しておらず下着姿なので、その傷口の様子ははっきりと見てとれた。確かにもう、薄皮を猫に引っ掻かれた程度の傷しか残っていない……。



「俺は光の鬼道も一流でしてね。あと生まれつき傷の治りも異常です」

「ははっズルじゃん、マジでお前なんで商人やってんの!?生きる場所違くない!??」



 ホッとして調子を取り戻して冗談を垂れる鉄二を見て、平助は大きな声で笑った。


「そりゃあ、師匠が逃してくれないからですよ」

「はっはっは!そりゃマジだわ言い返せねえ!」



 ─────木漏れ日が強く差し込む。

 青白い氷塊はプリズムの様に光を透過させるが、不透明な揺らぎを待つ不思議な色で静かにたたずんでいた。


 その七色の光の影が、割れて増えていく。

 パキ、パキ、と音を立てて、氷塊が頭から霧散していく。


 タイムリミットが迫る。

 いさぎの賭けは、失敗に終ろうとしていた。

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