逃亡

 

 戦闘の跡地の状況は、手がかりとなるには悲惨なものだった。


 ボロボロに崩れ落ちた外壁をはじめとする、破損した建造物のイメージに反して、血痕は一つも確認できなかった。唯一確認できたのはいさぎのものと思われる于琉ウルの神名を使用した痕跡だった。光属性の鬼道を扱う巫女とかんなぎは、神名の痕跡を確認できる。

 他の手がかりといえば、屋代隊をはじめとする者たちの証言である「青い光」だけだ。


 現場に特殊任務を請け負う各隊が到着した後、この街の兵士により物的証拠を探らせつつ、状況を考察するための会議が行われていた。


 議題は「薄氷うすらいいさぎが戦闘したのは朱路シュロだったのか」「薄氷いさぎと相手はどこに消えたのか」「飛び去った青い光」の三つに絞られている。

 特に「飛び去った青い光」は重要な議題だ。この行方が明らかになれば、当然ながら追跡は相当楽になる。その青い光の正体は既に屋代隊のメンバーにより確かな証拠とともに推測されており、同時にいさぎの敗北を周囲に伝えるものになった。


 いさぎは相手に連れ去られてしまった。そう考えるのが妥当だと判断できた。


「一日の時間制限はありますが、薄氷うすらいの氷は時空を閉じ込めてしまいます。自分を対象に閉じ込めることもできるんです。時を止める時間が長ければ長いほど、何故か強く光る。です」


 彼女を良く知る源太郎の証言だ。いさぎは少なくとも抵抗できない状況であるのだろうと皆の見解は一致した。


「結論から言って、敵は逃げたのでしょう?ならその光を追いかけるべきでは」


 ツバメは席を立ち冷静な立ち振る舞いで、臨時大隊長として会議を取り仕切る老人──雀土ジャクトに問いかける。

 その老人は隻眼せきがんだった。身の丈はどの刀の鞘を抱き抱え、猫の様な絢爛けんらんな瞳でツバメを睨み返して笑う。ジンベエに隠れていた、見た目より筋肉質な右手でツバメを指差して逆に問いかけた。


「慌てるな、別に隠さんでも良い」

「……」


 脈絡の無い発言に内心、ボケてるのかとでも言いたげに強張った笑みを浮かべるツバメ。それを見て老人は軽々と円卓を飛び越え、ツバメのそばに着地する。同時に肩を抱き、溌剌と笑って語らった。


「いい奴だなお前。お前みたいなのは好きだが、まだ追うな。まあ、俺は朱路とは長い付き合いだ……奴は頭もキレる男だった。頭の良いやつが素直な軌道で逃げると思うか?ん?」

「…………しかしそれは、朱路様である事が前提の意見です」

「お前の隊員の証言もある。薄氷は前世を見抜く力もあるから、人違いはない。あと、あの薄氷いさぎバケモンをタイマンで倒す奴なんざ片手でも数えられる程度だと思うがな。百歩譲って両手。一部を除いたここにいる奴らが束になってかかって、良くて相討ちだろうよ」


 ツバメの表情から余裕さが失われた。歯噛みするような表情でか細く彼は、辛うじて言葉を返した。彼は確かに見た目より冷静さを遥かに欠いていた。



「仰る、通りですね……」

「じゃ、しばらく黙っときな。そのうち気も落ち着く……皆、聞け。徹夜で街とその周辺を探索しよう。異論は認めない」

「……え!?今あなたは自分で……」

「そうとも。追うなと言った。だが探すなとは言ってない」

「ええ……何が違うのでしょうか……」


 ツバメは疲れ切った表情で椅子にへたり込む。それを見てまた雀土は豪快に笑った。各隊の面々もとんち遊びの様な彼の様子な戸惑い、ざわついている。


「まあまあお前ら、行こうぜ!」






 ***

 ***

 ***







 朱路は困惑と不安に満たされていた。

 彼らがいさぎと自分の捜索を行うことは既に予測できていた。だが、その規模と捜索の仕方が想像する限り最悪なものだったのだ。


「ふざけんなよマジで〜……」


 布団に倒れ込んで、宿の障子の隙間から深夜の外を見る。

 屋根の上に軍人らしき人影が確認できる。飛んで逃げられはしても、姿は見られる。そうすれば自分が身を置く商会にはもう戻れない。ここで人生をやり直すと決意した彼にとって、窮地が訪れていた。


 光を追いかけて部隊が分散してくれればよかったのだが、まさか、それを無視して街中を人海戦術でしらみ潰しに探すとは。こうなると、過去の軍の知り合いに偶然見つかっても仕方ない。過去の自分とはだいぶ印象も違うし、あくまで今は商人・平助の身だ。いつも通りに振る舞えば簡単にはバレないだろうが……そうはいかない不安要素が一つあった。


「本気でやばいな、マジでどうしよう」


 頭を抱えて、早口でひとりごちる。

 源太郎は飲食店で商人としての服装を既に見ている。その情報が既に共有されているなら、軍人と会うだけでかなり面倒なことになる。



「平助起きてるか!?大変なことになった……!」



 その時、勢いのある囁き声と共に初老のガタイの良い男性が、障子を開けて飛び込んでくる。平助と同じく、商会の制服を着こなしていた。名を鉄二といった。かなり走ってきたのだろう、ひたいに汗が滲んでいる。



「お前の予想通り、商会に軍隊が聞き込みにきてる。どうする?」

「師匠……これはどうしようもないっすね」

「オイオイ諦めんのかよ!お前の目標はどうなる?」

「……まあ、仕方ないこともあります」


 途方に暮れた目で、平助は天井を仰ぐ。すでに若干諦め気味だった。このまま暴れて一人逃げ出すことはできるが、師匠である鉄二に迷惑をかけることになる。恩人を犠牲にはできない。


「うるせえ、素直じゃねえな!来い!外に隠してるバカでかい氷も連れてくぞ!!」



 鉄二は無理矢理に平助の手を引いた。彼は戸惑い、その場に踏みとどまる。



「え、ちょっとどうするんすか!?」

「無理でも逃げんだよ!商会は抜ける!」



 それを聞き、肌が粟立あわだつ。咄嗟に平助は手を払いけた。確かに自分の力ならこれらを纏めて持っても、逃げる事は造作ない、しかし、その代わりに大恩ある師匠は一年半かけてようやく築き上げてきた行商協会内での立ち位置も失うことになる。それが自分にとってもどれだけ悔しく、虚しいことか。

 震える手をグッと握り、平助は怒鳴るように言い返した。



「でも、あんた、この商会からのし上がるのを目標に……!」


 だが言葉が続く前に平助の両肩を掴み、鉄二は耳を赤くして叫んでいた。


「うるせえなぁ!!コツコツとまた積み重ねりゃいいんだからガタガタ言うな!…………いいんだよ、今更五年も育ててる弟子を取られてたまるかってんだ。とにかく行くぞ!」



 鉄二は本気だった。平助は覚悟を悟って、息を呑む。過去に平助は無理を言って弟子入りを頼み込んだ。弟子としてついて回って五年になるが、こんなに自分を大切に思ってくれていると、心の底から思っているわけではなかった。だからこそ鉄二の言葉は平助の胸を打つ。

 その片手を固く握りしめ、平助は改めて覚悟を決めた。



「………分かりました。どうなっても知りませんよ」



 ────刹那、部屋の天井が風圧で吹き飛ぶ。

 そして瓦礫と共に、外の茂みの中に隠していたいさぎの入った氷塊と、鉄二が宙高く舞っていった。


「ぎゃあああああああ!!?」


 すぐに平助は月の光の中でバタバタ空踊りする鉄二の胴を抱え、とてつもない風の力で氷塊を浮かした。そして、氷塊を勢いよく風圧で弾き飛ばし、その後を飛んで追いかける。

 街のあちこちから叫ぶ声が聞こえる。当然軍人がこの事態を見逃すはずもない。だが、分かっていても追いつけない。それほどの速度で飛来する。


「ぎゃああああああばばああばば!!!」


 鉄二は旗のようにはためいて、風圧でひしゃげた顔で、恐怖のあまり叫んでいた。ただの行商人を運ぶには、この方法はあまりに荒すぎる。命綱無しのジェットコースターだ。


「すみませんしばしの辛抱です!!!」

「ぜっってえ憶えとけよおおおおおおお!!」



 その時だった。



「待たんかいお前ェ!!」

「!!?」



 上空である筈の背後からに叫び声が響き渡る。

 思わず止まって振り返ると、そこには見覚えのある男が飛んでこちらに刀を振りかざしていた。自分のように強力な鬼道を使って飛んでいるわけではないと一目で判別できる。普段考えられない状況に困惑して、一瞬反応が遅れた。



「いさぎを返さんかい!」

「うおお!??」



 宇僂ウルの力が込められた豪快な太刀筋一閃、しかし平助はなんとか風に乗り、横に移動してかわした。源太郎は空中に止まれないため、そのまま落下していく。



「くそが牡丹早よせえーー!!」

「何尺飛んでんだあいつ……」


 まだまだ自分の知らない化け物もいるものだと、平助は冷や汗を拭い、再び飛翔しようとする。その時、視界が光で弾けた。そして左足の腿に激痛が走る。遅れて激しい爆音が耳をつんざく。あまりの激痛と爆音により、頭がくらんで鬼道が解けかけた。


「づっ……!?」

「なんだ今の音、平助おい、どうした!?」

「……わからないけど、やられた」


 尋常ではない痛みだ。確認すると、袴を貫通して左脚を傷つけているのが分かった。出血も多い。だが、戦えないほどじゃない。逃げられないほどでもない。並の兵士なら戦闘不能の傷でも、この男にとっては継戦可能と判断できるものだった。


「油断してた……師匠、ぶん回すから覚悟決めてくれ。出血で時間が限られてくる」


 鉄二は先程までのアトラクションを思い出して吐き気を催す。

 平助は、いさぎ以外は恐らく大したことがない。そう思っていた認識を改めた。




 ***

 ***

 ***



「へ?嘘、動くの?」


 巫女は屋根上で伏せつつ、戸惑いを隠さないでいた。人間であれば普通なら血液を撒き散らし、激痛で気絶するか行動不能になる。が、朱路は耐えていた。彼が人外であることを感じ、牡丹の背筋を冷たいものが伝う。彼女はこの時代にそぐわない、所謂を用いて狙撃したというのに。動揺を抑え込みスコープを覗いたまま二発目をお見舞いしようと試みるが……。


「──────ひっ」


 さっきとそこまで変わらないスピードで飛翔を再開した朱路を前に、戦意を削がれる。


 800メートルほどの距離があるものの、彼女はライフルを式紙シキガミの術式内に仕舞い込んだ。もたもたしていれば逃げる間もなく殺されると感じていた。そして屋根を降りて逃げ出す。

 さっき、朱路とは明らかに目があった。その目は鋭く光り、直後にコチラに接近しつつ建物の影に姿を消している。牡丹を危険と認識したのだろう、確実に潰しにきているとしか思えない。

 この国の兵士の中でも化け物レベルといえるいさぎを無傷で追い込む化け物に真正面から挑んでも死ぬ。牡丹は今、背を猛スピードの死に追われているようなものだった。彼女は鷹に狩られるウサギはこんな気持ちかと思わされた。

 圧倒的な重圧に直面して、空回りする脚と呼吸。遠ざかる逃げ道……。

 豪風の破壊の音が、すぐ背後まで迫り来る。


 そして、けたたましく金属を打ち付ける音と共に、牡丹は風で宙を舞って地面に叩きつけられて呻いた。終わりかと思えた、その視界の端で確認できた。風の刃を片手に待つ朱路と、それと鍔迫り合いをする透明な盾で身を包んだ源太郎の姿を。 



 ***

 ***

 ***



「速いな君は……それにその神名…………」

「………」


 驚愕に目を丸める朱路に源太郎は冷ややかな目で応え、黙ってニの太刀を振り下ろす。剛力に押されて朱路は飛んで後退した。源太郎は同時にチラッと、朱路が脇に抱えている、泡を吹いて気絶している男を見やる。


「へっ、人質のつもりかよ。英雄が呆れるわ」

「浅慮だな。何も知らない三下が」

「そりゃあ悪かったな、死んどけ!!」


 源太郎の啖呵たんかと同時に、朱路の眼の色が変わる。明らかな殺意を灯した風の太刀筋で、向かってくる源太郎を突き刺さんとする。だが彼は気にせずに体を傾け、太刀筋を見切って盾と左肩でその刃を受けた。英雄の武器は防げずに背中側まで貫通し鮮血が噴き出すが、源太郎は止まらない。

 この男は自分の担当する区画に偶然逃走してきた。このチャンスを無駄にはできない。いさぎを助けたい。その強い想いが、肉を絶ち骨を断つ英断をさせた。正攻法の戦いではまず朱路に勝てるものはいない。それを源太郎も理解している。肩から先が痛みもなく、痺れる様に感覚を失ったが、最早気にしていられない。


「くっ…….!?」


 予想外の前進に気圧され、朱路は空高く離脱する。その瞬間、彼はこの戦いに付き合って、ワンチャンスの一発をもらう危険を背負う必要もないと感じ、改めて逃亡する意思を固めた。目の前の男はいさぎとは別の意味で、何をしてくるのか分からない。何より失血が心配だ。そして、最も消しておきたかった、自分に傷を負わせた巫女の姿が消えている。そのため、またどこから攻撃されるか不明だ。あの攻撃をもう一度受ければ、自分といえどもう立てる保証がない。


「汚ねえな!チョコマカと逃げんじゃねえよ!」

「優先順位があるんだよ。さようなら、こうぞ一族の末裔」

「いさぎを置いてけよ、くっそー!!」


 朱路の背後から土塊の砲弾が迫り来るが、難なくひらりと交わして、空高く舞って遠ざかる。後ろに目玉でもついているのだろうか。


「源太郎くん、牡丹さん、無事ですか!?乗り遅れてすみません」

 ツバメは路地裏から息を切らしつつ飛び出すと、遠ざかる氷塊と朱路を悔しそうに見つめる。彼は源太郎と朱路のスピードに置き去りにされ、合流が遅れてしまったのだ。


「本当におっせーよバカ隊長!逃げちまう!!」


 目の色を変えて源太郎は怒鳴る。ツバメの神足通の強度では自分達に追いつくのは無理だと知っているはずなのに、焦りがツバメの能力を認めなかった。感覚でそれを悟り、ツバメは状況確認に徹する。


「見ればわかります、申し訳ない!それより牡丹さんは!?」

「戦意喪失じゃ!どっかいったわ」


 牡丹はいつの間にか通りから消えていた。大方、恐怖で尾を巻いて逃げたのだと想像はつく。


「仕方ない、諦めずに攻撃しますよ!」

「当たり前じゃ!」



 とはいえ、源太郎に遠隔攻撃の手段は無く、拳を握りしめて身上げることしかできない。懸命なツバメの遠隔攻撃に釣られた周囲の部隊も、空に攻撃的な鬼道を放つ。その様はさながら空に上る流星群の様だったが、すでに見えないほど高空にいる朱路には届かなかった。


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