死闘

 平助はいさぎを舐めているわけではなかった。


 自分についてくるスピードを持つレベルまで達している身体強化の神通力『神足通じんそくつう』を持ち、世にも珍しい、強力無比な力を身体に宿しているのは知っていた。

 五年前から成長曲線だけを見れば自分にも匹敵すると、そう感じていたのだ。現時点でどれ程強くなっているかが未知数だった。彼にも計り知れない、底の深い才能だったのだ。自分の戦闘のブランクも気になる。


 だから反撃を恐れ、不意打ちを選んだが失敗した。いや、完璧だったが辛うじて対応されたのだ。しかしながらわずかな油断は確かにあった。確実に殺傷できる技を用いていればと、後悔していた。

 吹き飛ばした後で追い討ちをかけなかったのは、最強と呼ばれた自分の、気配を殺した不意打ちにも反応する程の、彼女の底知れない力を警戒したからだ。追い込むと何をしてくるか分からない怖さがある。

 そして怖いと思うと同時に、心が楽しく疼いた。

 軍人の応援が来る前に、何としてでも全力を引き出したい。そう思ってしまった。殺し合いに塗れた半生、そしてその殺し合いにおいて最強だった彼には、戦いを愉しむ心が染み付いてしまっていた。そして、人を殺すことにも慣れてしまっていた。


 "もし本気でかかれば、この子は何を見せてくれる?"


 だから自分を殺すように焚きつけた。平助が自分のうちに普段は仕舞い込んでいた、"朱路"の本気の側面を図らずしも、いさぎは簡単に呼び起こしてしまっていた。それがどれ程難しいかを彼女は知る由もない。




「いくぞ」



 平助はこの左右に動くにも窮屈な路地で颶風ぐふうを巻き起こした。両側の建物の敷地を守る石壁が崩れ落ち、視界を惑わしながらも、いさぎを巻き込まんとする。



「らぁッ!!」


 その時、いさぎの気迫のこもった叫びと共に、巨大な氷塊がどこからともなく顕現し造形されていった。完成した氷のスロープに乗り、暴風が天空へと霧散していく。

 いさぎが宿す氷の力が為せる技だ。


 ────地上からの視界を遮ったか。上空からの接近を誘ってるのか?


 何かを狙っていると勘づくが、あえて彼は向かっていった。平助は二メートルはある透明な風の刃を造形し、氷塊を直接突きにかかって質を確かめるが……。


「……ッ!?」


 氷塊には破壊の手応えが無く、カケラの一つも出ない。刃を打ち付ける軽々しい音が鳴るのみだった。彼の作る刃は貫けない物の方が遥かに少ないため、驚嘆に値する硬さだ。以前会った時のいさぎがこんな氷を出した憶えはない。知らない質感だった。

 ────何だ?

 嫌な予感を覚え、咄嗟に彼は風に乗って宙高く、屋根の上まで逃げおおせる。その瞬間、氷壁がけたたましく爆ぜた。

 否、内部から新たに造形された無数の氷の槍が、先ほどまで平助がいた場所を埋め尽くしていた。それがあまりの速さで爆発したように見えたのだ。

 そして、空中に溶けるように氷壁と槍は霧散する。半身で刀を氷壁に突き立てているいさぎが見えた。どうやらいさぎは刀身を氷壁に巻き込んで、神名『于琉ウル』の力を送り再度コントロールしていた様だった。


「……怖すぎるって」

「あなたがいいますか……!」


 月光を背に冷や汗を拭って笑い、見下ろす平助。余裕の無い歯噛みするような表情でいさぎは吐き捨てた。

 かかれば確実に殺せる技を準備したつもりだった。人間なら反応できない速度での、実質予備動作無しの攻撃だ。平助ほどの実力の持ち主なら見ただけであの氷壁の怪しさに気づき、攻めてこないのが普通だが……どんな反撃も平助にはかわす自信があったのだと思わされた。自分からあえて罠にかかるなんて……。


 次元が違う気がする。おそらく常に想像の上をいかれる。今の攻防で、いさぎは確実に実力差を把握した。彼女とて決して弱くは無い。むしろ、八上国やかみのくにの道士と名乗る者の中でも最上位レベルに君臨する程の力を持つ。なのに絶望的な力の差がそこにある。


「俺を本気にさせてんだ、君みたいなのは滅多にいない」


 彼は舐めているとは思われたくないのか、両手を振って突如語らった。


「余裕か…………」


 よく言う───絶望感にも似た笑みが漏れた。だが、何もせずに死にたくはない。


「ッ!」


 いさぎは上空の英雄に向けて、剣を凪いだ。剣から音もなく氷の弾丸が、視認できないスピードで射出されるが、予備動作を見て平助はかわした。初見殺しすらさせてもらえない。

 そして。


「………!?」


 直感した。平助が背後に回り、風の刃で自分を貫こうとしていることを。

 ありえない、先程まで目の前にいたのにまだ追えなかった。そう思いながらも、そうだとしたら間に合わない事をいさぎは悟る。


(コレだけは使いたくなかった……けど!)


 負けた。

 仮に直感が外れていても負ける。確信するには充分な動機だった。故に彼女は最後の手段に賭ける。



 ***

 ***

 ***



 眩く青い光が、突如として平助を包む。


「あ!?」


 間違いなく虚を付いたはず。ありえない、と思いつつも一瞬で先ほどよりも空高く舞い上がった。

 身体を確認するが外傷は無い。だが、あまりに眩い光は夜の街でも一際目立っていた。鬼道の出鼻にしてはあまりにも長い時間の発光、そして彼女の常軌を逸した反応速度に、困惑を隠せないでいた。彼の言えたことではないが、まるで人間業ではなかった。


「…………目眩し、いや……そんなんじゃないな、分からん」


 光が止み始める。するとそこには人間がすっぽり入る様な、無色不透明とも言うべき不思議な氷塊が横たわっていた。


「いや、まさか…………バカなことを」


 実際確認もしていないし、仕組みも理解できないが、彼は直感で悟った。いさぎはあの氷の中にいる。


「まいったな、どうすりゃいい」


 思わず頭を抱え、独り言を放つ。

 先程強度は確認している。あの氷は人智を超えている自分の力を以ってしても決して砕けないだろう。そして、彼女自身を絶対防御の氷で包む不可解な鬼道にはまだ、何かあるように感じた。少なくとも彼女はあの技を死ぬつもりで放った訳ではないと、彼の勘が告げていた。


「…………持って帰るかぁ」


 街の一部を破壊するほどの戦いをしたため、かなりの騒ぎだ。瞬く間に街の軍人が編隊し包囲しにかかってくるだろう。その前に逃げなければ。

 幸い、氷はかなり重いが動かせるようだった。何が起こるか分からないが危険を承知で持って帰ることにした。




 ***

 ***

 ***



「………何じゃあれ!?」


 軍の各自編隊を終え、屋代隊と共に問題の地点へと向かう源太郎は空に一筋の光を見た。流星ではあり得ない、斜め上に向かう軌道の薄く青い光だ。


「どうかしましたか?」

「空見ろみんな!なんかいる!」


 源太郎の指差す先の光は、みるみるうちに遠ざかる。屋代隊は何も言えず、しばしその光を見つめた。


「……何あれ、問題の地点から伸びてない?」


 やっと口を開いたのは牡丹だった。その声音からは少し緊張が伝わってくる。


「知らん……が、良い感じはせん」

「ふむ……とにかく、問題の地点に行くのが先決です。彼女なら死なない。少なくとも一日は命の保障があります。そうでしょう?」


 ツバメは嫌な汗が額に光る源太郎をみやり、柔らかく微笑んむ。目を合わせた源太郎は罰が悪そうに俯いた。


「何かあったら……すまない隊長」

「最初から責めてませんよ、私はむしろ感謝してます。正しい判断でしたから」


 これ以上ないフォローに、源太郎はほっとしたように笑う。だがその瞳にはいつもの快活さは無く、不安で満ちている。


「隊長は優しいのう」

「そうでしょう?いつでも自慢してくださいね」


 その時、不意に牡丹が源太郎の肩を思い切り叩いた。


「あだ!?つーか近い!」

「耳貸して……」

「……?」

「好きな子が危ない目に遭うのって心配よね」

「!???」


 目を丸くして源太郎は飛び上がる。身体強化の神通力のせいで、周囲の建造物の屋根位まで飛ぶ勢いだった。いつ頃知られたのだろう。まるで自覚がなく、戸惑った。


「アイツは簡単に死なない。あんたが一番知ってるはずでしょ?」

「…………まあ、そりゃそうじゃが」

「でしょ、なら早く行こう。隊長、ペース上げよう!」

「賛成です。行きましょう!」

「あ、ちょ、待て待て!」



 動揺から源太郎はつまづきつつも追いかける。

 他の二人も決して落ち着いているわけではない。内心ではいさぎの身を案じている。いさぎと戦闘をしていた相手の正体について考えざるをえず緊張が止まらない。



「そういえば、さっき何をひそひそしてたんです?」

「隊長には秘密」

「そんな……」


 牡丹にはぐらかされ、ツバメは残念そうに項垂れた。

 このような会話でもしておかないと、緊張で空気がおかしくなりそうだ。

 心なしか、源太郎の走るスピードはまた上がった。

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