追跡

 今回は珍しくも異国、西洋をイメージした装飾の定食屋に入った。そこでいさぎと源太郎は、スパゲティが美味いだの諸々一時間ほど他愛ない話を続けていた。こういった食事会自体は二人にとって何回も繰り返した、やり慣れた状況だった。そのはずだった。


「お会計お願いします」



 と、一人の若い男の声が彼らに聞こえるまでは。




「……いさぎ?」


 明らかに源太郎から見ていさぎの反応は異常だった。ガタッと椅子の音を立てて背筋を伸ばしている。大きな目を見開き、その男を凝視していた。彼女は心底仰天した様子だ。

 ……その男は錆びれたゴーグルを付けていた。そして中背で引き締まった肉体をしているように見えた。あちこち色落ちした、行商協会の地味な茶色い制服を身につけている。男にしては長めの黒髪は落ち着いた柔らかい印象を人に与える。男はいさぎの気配に反応して見つめ返す。然程気にしていないようで、微笑んで「何か?」と首を傾げた。


「……あ、あー、えっと」


 ギクッとして、いさぎは余裕を失ってしまう。アワアワと視線と手が宙を泳いだ。


「ちょっといさぎ……!すみません何でもないす!」

「ギャァいったいわ!このバカ!」



 引きつった笑みで源太郎が頭を押さえつけ、怪力で座らせた。その拍子にいさぎは椅子から転げ落ち、机の足の装飾に太腿を痛打して激怒する。彼女は思い切り源太郎のすねを蹴った。



「ギャース!!」



 脛を硬い靴の底で蹴られて、源太郎も転げもんどりうつ。その男は呆気に取られたようだが、会釈をして店の外へと向かって行った。それを見ていさぎは「やらかした」と自覚してようやく冷静になった。

 だが………。


 その男が完全に店を出て行ったのを見計らう。いさぎはびっこをひいて、未だに立ち上がれずに伏している源太郎に近づき耳打ちした。


「おい、今から尾行する。お前にツケとくわ。お前のせいでももに青タンできたし……分かんないけどできるこれは」


 ビクッと源太郎は顔を跳ね起こす。聞いてねえぞ、と言った顔だ。


「え、なんでだよ。青タンはともかく、ワヤヤバいじゃろお前それは……集合時刻は?何かあんなら一旦戻って隊長に話してみぃ」

「急で悪いけどさ、本当の本当にこんなチャンスは二度もあるとは限らない」


 そう言われてやっと源太郎は勘づいた。彼女が見た男が何者であるかを。

 いさぎの表情は少しばかり真剣だ。伊達に長い付き合いではない。源太郎は落ち着きを取り戻して尋ねた。


「……本気?」


 敢えてぼかした聞き方しかできない。簡単に任務の根幹に関わることを公で語るのは憚れる。


「うん」

「確証あんの?」

「ふーん疑う気?」

「あ……そうじゃな、お前は分かるもんな。いいよ、はぁ……」



 一度決意した後、いさぎはテコでも動かない。それを源太郎は知っていたので、早々に引き留めることを諦めた。止めようとして何度も氷付けにされかけた記憶しかない。



「さぁ、行っちまえ。後で漏らすほど怒られちまいな」

「……ま、私を行かせたお前も怒られるんやで…………」

「………………あれ、じゃあワシも漏らすじゃん……」



 緊張に満ちていたいさぎの瞳が、小馬鹿にした笑みを浮かべる。そして彼女は席を立ち、源太郎の恨み言を背に受けつつ店の外へと駆け出す。


 いつの間にか空は茜色に染まっていた。



 ***

 ***

 ***



 世界の魔法には様々なものがある。

 この極東の大陸では、神通力じんつうりき鬼道きどう、もしくは呪術が魔法の代わりのようなものになる。


 いさぎが特殊なのは、物を凍結させる体質や髪の色だけではない。一般的に用いることが不可能と呼ばれる、そのような特殊な神通力を幾つも身に宿していた。


 彼女の眼は四つある。


 左右二つの眼は人と同じように、ただ景色を脳に移すレンズとしての働きしかしない。

 だがもう二つの眼は違う。普段仕舞い込んでいるその眼は、生ある物全ての輪廻転生りんねてんせいを見通した。


 つまりどれだけ形を変えて装おうと、彼女の前では無意味になる。前世の姿や輪廻転生の行く末はこの世界の神でも変えられないからだ。



 ────いさぎはその男と短い間だが共に旅をしたことがあった。そして彼の前世の姿を直に見た。この世に二つとない、あまりにも強大な彼の前世の正体を知った。彼の前世はこの"日の本"の大陸を造ったと、伝説の中にのみ存在すると語られてきた"神"だった。



 それがかえって、追跡においていさぎの絶対的な優位を作る。"神"の姿は、俗世ではあまりに存在が眩しすぎる。

 彼女が極秘任務に抜擢された理由のひとつが、それを見抜く眼力──『宿命通しゅくめいつう』の存在だった。彼女の特殊な眼は他にも異能を持つが、先述の理由より専ら使うのは『宿命通』になる。



 実は先程の飲食店での顛末で、彼女は一瞬だけ宿命通を用いて確認していた。

 結果から言えば"本物"だった。



 あの男が朱路シュロだ。




 ***

 ***

 ***




 …………尾行されている。



 朱路は早々に勘づいていた。漏れそうになるため息を抑えて、裏路地からの遠回りを繰り返していた。時折屋根の上まで"跳んで"少し本気で引き離そうとはしてみるものの、まるで尾行を剥がせなかった。

 油断していた。まさか自分のスピードについて来れるとは思わなかった。あからさまに剥がそうとしたことで、もうこちらが尾行に勘づいていることはバレている。


 朱路はわざわざ人気のない、月の光も入らない路地裏で立ち止まってみせる。これは一種の意思表示だ。尾行している相手の正体。その想像はついている。


「そろそろ出てきなよ……!」


 尾行していた人間は簡単に屋根上の影からひょっこりと頭を出した。予想通りだ。先程、店でこちらをみていた女の子だな、と夜目でも判別できた。

 なぜなら彼女の髪が屋根上の月明かりで青白く輝いていたからだ。そして、朱路は一つの確信を持つ。思い出した彼女の名を呼んだ。


「久しぶりいさぎちゃん。美人になってたからびっくりした」

「お久しぶりです!嬉しいこと言ってくれるじゃないですか」


 いさぎは屋根上から飛び降り、音も静かに着地してみせる。朱路は数々の人を救ってきたものの、これほど印象深い女の子はいなかったので憶えている。五年前の出来事だが、まだ鮮明に思い出せるほど。


 いさぎは確かに美しくなっていた。不思議なことに背丈は五年前と何ら変わりないがとても垢抜けていて可憐だった。


「朱路さんずいぶん変わりましたね……こりゃ私じゃなきゃわかんない。というか商人になってたんですか」

「まあ、ね…………朱路は捨てた名だ。誰が聞いてるか分かんないし、今は平助ヘイスケと呼んでほしい」

「分かりました平助さん……私は」


 話したいことは沢山ある。だが、それは彼を連れ帰った後でいいといさぎは判断して、話を進めようとした。が、平助は首を振って遮る。同時にゴーグルを外してみせた彼の顔は朱路そのものだった。その優しげな目が細まった。


「懐かしい隊服だ。軍人になったのか。なら、任務で俺を捕らえる必要があるんだろう?」


いさぎは黙って頷いた。表情は変えず、だが毅然きぜんと平助は応える。


「探しにきてくれたのにごめんな。戻れない。やっと自分の人生を生きているんだ。今更、軍には戻れない」


 若干分かりきった答えに驚きはなかった。だが、逃がすわけにもいかない。いさぎは話題を変えた。


「そうですか……話変わりますけど………なぜ、軍をおやめに?」

「ごめん。この身の上だし詮索されるのは極力避けたい。理由次第では答えるよ」

「分かりました……私は、あなた命を救われたその日から、あなたのような軍人になりたかった。でも、突然いなくなってしまった。やっと一緒に働けると思ったのに……。それに、人望も名誉も全て捨てて、何を得られるというのか想像つきません」

「そうだったのか」


そう一言いい、平助は瞳を揺らした。少しだけ心が揺れているようだが、それは一瞬だった。真っ直ぐいさぎの目を見て答える。


「ハッキリ言って、君が憧れたその人は俺であって俺じゃない」

「……?ごめんなさい、少しよくわかりませんね」

「要するに……俺は自分の意思で自分の人生を生き始めた、みたいなこと言ったと思うけど。それまでがそうじゃなかった」

「…………」

「人並みの自由に憧れていたんだ。ずっと憧れてた。普通に生きたかった。そのために朱路の名を捨てた」

「そうなんですか?」

「ああ、本当だよ」


もやっとした違和感が、彼女の脳裏に走った。


「分かりましたけど…………それはそれで困ります。勝手に消えてしまったので、皆あなたを探してます」

「……そりゃそうだな」

「あなたの力は強大すぎる」

「それは、もちろん、そうだ」

「それが急に消えるんですから、皆不安でした」


 自分の夢を追うことは悪くない。平助にもその権利は平等にあるのはわかる。だが、彼は自分に与えられた役割を放棄した。そしてその軽率な行動により国全体を多少の混乱に落とし込んでしまった。その事実がある。


「とにかく、急に消えてしまうのは困ります」

「それは、ごめんな。返す言葉もない」


 表情も変えずにあっさりと謝る平助。

 拍子抜けで少し呆ける。そしていさぎの心の奥底に苛立ちが湧いてくる。雰囲気があまりに軽い。まるでこちらの説得を聞いている様子ではないからだ。──その時だった。


 猛烈な颶風が路地を駆け抜け、いさぎの体が浮いて吹き飛んだ。その華奢な体は錐揉みして、身体強化の神通力を使うも、中途半端なままで地面に叩きつけられる。あまりに完璧な不意打ちだった。


「ガ……ぁッ……ッ!?」


 受け身を取ったが石畳の硬さの衝撃は半端ではない。背中を打って息ができず、もがくしかなかった。もし風に巻かれる寸前で自ら飛び、ある程度姿勢を制御できなければ死んでいたかもしれない。


「今のを反応するのか、想像以上に……」

「ぐ……」

「……悪いな、俺は。しがない商人だ。悪いけどもう朱路には戻らない」

「し、朱……路さ…ん」


何がしがない商人だ、と叫びたかった。揺らぐ意識、ピントの合わない視界。だが明確な殺意がそこにあった。平助から、人を殺すことに躊躇いを感じない。

──怖い。

心の底から悪寒が湧き上がり、そして、いさぎは恐怖感に背を押されるように立ち上がる。肌が粟立つ感触があった。じわりと出た汗が平助を取り巻く風で冷え込んでいく。


「君が正しい事を言っているのは、俺も分かってる。だがもう正しさの奴隷はまっぴらだ」

「な……に、言ってる……んですか」

「独り言だ。悪いが死んでもらうよ」


視界が戻り、平助の眼を見た瞬間に悟った。これから死ぬ自分に対する憐れみの感情を。

逃げよう──と思ったが、まるで隙がない。先程の不意打ちでも感じたが、夜の風属性の『鬼道』は見えにくい。そして、彼の動作はあまりにも速過ぎる。背を向ければ格好の的になる。

僅かな闘志を燃やし、いさぎは平助を睨みつけた。


「……舐めるな」

「………」

「死にたくない……から!それにあなたを、連れ戻すの、が仕事……!」

「……もっともだが、それじゃあ結果は同じだ」

「………っ」

「ここからは本格的な殺し合いだ。俺を生かして連れ帰るなんて……三下さんしたにそんな余裕あるのか?」



震える手で、いさぎは剣を抜いた。

今日死ぬかもしれない。恐怖で頭がいっぱいになるのを、何とか剣を握りしめる事で抑えていた。


于琉ウル!!」


彼女が叫ぶと、『神名しんめい』と呼ばれる神の文字が剣に浮かび上がる。そして仄かに全身が白く光り始めた。全ての攻撃を強化する為の神名だ。

本気になった伝説の英雄を相手に出し惜しみすれば、一瞬で死にかねない。


「いいね」


英雄は、とりまく風の殺意をそのままに、優しく微笑んでいた。その微笑みが何よりも恐ろしかった。

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