無相の朱路〜世界最強の英雄が職務放棄して商人やってた件〜
とすけ
一章:消えた英雄
暁
近頃は首と皮の無い兎を抱いて眠らなければならない。
朝起きれば兎は凍結している。それをいつも、馬車の荷台の中で吊り下げて解凍しておく。
こうして勝手に漏れ出す力、今は便利に使っているものの"
暗闇の中で憐れな兎の死骸を指で強く弾いた。
「朝だよ」
不意に馬車の荷台のカーテンが取っ払われた。鋭い光で目が細まる。そのうち目が馴染むと、いさぎの仕事仲間である
「起きてるの珍しいね」
「まあね、怖い夢見ちゃって」
「へぇ、大丈夫?」
「平気。夢みても忘れる人間だし」
程よい無駄話といさぎの軽い
八上国の都、その郊外の草原に生えた一本の大樹が目印だ。その大樹の下にチームリーダーからの集合令がかけられている。
「寝坊助が珍しいのう、感心したわ」
「うっざいわハゲ、お待たせ隊長」
「まだハゲとらん」
軽口の応酬が少しあった。いさぎは隊長と呼ぶ男の前に座る。牡丹もその隣に座った。
「ごきげんよう牡丹さん、いさぎさん。では始めましょうか」
隊長である
***
***
***
いさぎ達が属する屋代隊は、まだ任務を三回こなしただけの新米部隊だ。しかし重要な極秘任務を受け持っている。この極秘任務こそが本命で、それまでの任務はチームワークを高めるための肩慣らしに過ぎない。
極秘任務とは『
朱路はこの
かつて十年戦争と呼ばれる惨く長きに渡った戦があった。それに終止符を打ったのは、彼だ。
だが、戦争が終わって暫くしてから彼は
戦火の記憶新しい国が最も恐れたのは"朱路"という強大な国防力の喪失だった。当然ながら一騎当千、いや、万とも言える朱路の存在は他国にとってあまりにも脅威だった。行方知れずのまま放っておくにはあまりに危険過ぎる力は、良くも悪くも"無双"という二つ名に相応しい。
実際に、万が一他国に彼が流出し何らかの形で悪用された場合、八上国が手に入れた束の間の平和は脆く崩れ去る。そのため八上国の
なので屋代隊に課せられた任務は様々な意味で重い。
この極秘任務が与えられたのは彼らだけではない。しかし国の命運をかけた一連の任務に当たる者はいずれも前途有望であったり、実績があったりと隙が無いものだ。屋代隊にいるメンバーも無論、成果と成長を期待されて選ばれている。
────出発後、彼らは都を出て初めて違う街へ到着した。ここでは情報収集と物資の補充を行う予定になっていた。
「緊張してる?」
検問予定の時刻を日時計で確認して馬車の手綱を取ったいさぎは、背後の窓で顔を覗かせた牡丹に声をかけられた。この二人で馬車を操るのは交代制だ。
今日はいさぎの番だった。
「慣れないなぁ流石に。私髪の色変だし……」
いさぎの地毛の色はかなり特殊で、空色だった。生まれ持つ力が身体に影響を及ぼす事は稀にある。いさぎはそれが原因で、特に検問では怪しまれることもあった。
「だよねー、私今だけ代わろうか。巫女なだけで結構優遇されるし」
牡丹は紅白で彩られた巫女服をはためかせ、荷台から降りる。そして、そそくさといさぎの下へ向かった。しかしルール上今回の当番はいさぎだ。いさぎは少し後ろめたさを感じている。だが牡丹はそうでもないらしい。まるで躊躇を感じない。
「えー、悪いよ」
「いいから」
とはいえ、逃げられる事に満更でもないいさぎだった。
まず小柄な牡丹に上着の袖をぶら下がるように掴まれる。そして引き摺り下ろされるのに無抵抗だった。大人しいが背の高い馬だったのでいさぎは半ば転落する様に落ちる。
「わっ!」
「よいしょー」
しかし牡丹が抱きかかえることで地に足を付けさせた。そして彼女は入れ替わるように軽々と馬の背に登っていった。
「はい!じゃあ任せて」
「まったく、馬暴れるよそのうち」
そっぽを向き文句を言ういさぎ。だが牡丹はそれを見て薄ら笑いを浮かべて言い放った。
「内心嬉しいくせに。ニヤニヤして」
本音を見透かされ、ギクッと肩が動いてしまった。それを見て大笑いする牡丹に向けて、いさぎは羞恥のあまり紅潮した顔を隠すように、頭を下げて荷台の中へ逃げ込んでいった。
***
***
***
ここ河原の街で屋代隊と別動隊は、自治会の助けを借りて夜に街の会館を使わせてもらえる事になった。その時刻までは自由時間兼情報収集の方針だ。
宿舎前で屋代隊は一旦解散した。
いさぎは源太郎と行動を共にすることにした。彼らは学生時代からの同期だ。久々の休みに二人で食事がてら話でもしないかという話になったため、こうして手頃な店を探して散策を続けている。
「はぁー、わしも巫女服着てたら検問官に詰められず済むじゃろか」
「着てみたら?牡丹なら気兼ねなく貸すはず」
「そんなのムチムチやん」
源太郎は客観的に見て相当な偉丈夫だった。それが小柄な牡丹の巫女服を着てどうなるかは想像に難くない。そもそも着れないかもしれない。
「ぶふっ、ごめんゲン、想像したらヤバくて……」
「そりゃそうだわ」
この様な気の使わない他愛無い話ができる昔馴染みが同じチームにいることがいさぎにとってはありがたかった。それは源太郎から見ても変わらない。
表通りの人混みをかき分け、だいぶ歩いたが会話のおかげで時間は早く過ぎていった。おかげで昼飯と呼ぶには中途半端な時間に飯屋を決めたのだった。
その選択が引き起こす事件を当然、この二人は知る由も無い。
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