残耳

蕪 リタ

耳に残したい声

 暑くなってきた日差しに起こされ、チリンと呼ぶ風鈴の音のもとに足を向けた。庭の木のおかげですこし日陰になっている縁側に、ふたり腰かける。

 あい間を抜ける風が、肌を撫でるように進む。涼しいな。


 ……ねえ。


「なあに?」


 何か話してよ。


「どうしたの?」


 君の声を聞いていたいんだ。


「もう、またそんなこと言って。まだ若いのに、ボケたの?」


 ああ。まだボケるわけにはいかないから、君の声を忘れたくないんだ。


「もう、仕方ないわね。じゃあ、旅行に行ったときの話でもする?」


 ああ。そうしてほしいな。


「結婚する前に行った最後の旅行は、沖縄だったよね」


 ああ。せっかく沖縄に行けるからって、プロポーズしようとカッコつけようとしていたんだ。


「そうそう! カッコつけてプロポーズしようと思って、がんばって準備してたのにね。あなたってば、いつものデートと変わらず忘れものをしたのよね」


 そう。せっかく準備した指輪が入ったのポーチだけ、カバンに入れ忘れたんだよ。


「『早く行きたいのはわかるけど、やっぱり忘れものしたのね』って、開口一番に言ってしまったわ。だって、あの時のあなた、見るからに落ち込んでいたんだもの」


 呆れられたと思ったんだ。でも、君はやさしいから何を忘れたのかまで聞きはしなかったね。


「あんなに落ち込んでいたんだもの。あなたには『何を忘れたの?』なんて、聞けなかったわ。なんとなく、気づいていたから」


 何に?


「プロポーズよ」


 気づいてたの⁉︎


「もちろん。何年いっしょにいると思っているのよ?」


 ……君が引っ越してきてからだから、十年くらいだったかな。


「小学生の頃に引っ越してから十年、お隣さんだったものね。高校生になってから付き合って。旅行へ行くときには、十五年幼なじみしてたわ」


 そんなに経ってたんだ。


「ええ、そうよ。だから、なんでも知ってるわ。困ったことがあったら、左の親指の爪をいじり出すとか。怒ってないのに『怒ってる』って言うときは、だいたいねてるだけとかね」


 ……バレてたんだね。隠せてたと思ってたんだけどなぁ。


「バレてるに決まってるでしょ? だって、初めて会ったときに一目惚れしてたんだから。ずっと、あなたしか見てないんだもの」


 カッコ悪いなぁ、僕。


「カッコいいわよ。私の一番だもの。そんな一番のあなたと、初めて近場以外での旅行よ? 何か、あると思うじゃないの」


 ……ちょっと、暑くなってきたから何か淹れるよ。何がいい?


「もう、すぐ話そらすんだから! ……じゃあ、冷たいレモンティーお願い」


 わかったよ。レモンティーだね。君は、本当にレモンティーが好きだねぇ。


「そうよ。だって、あなたが初めて私に淹れてくれたのが『レモンティー』だったんだもの。それ以来、ずっと好きよ」


 じゃあ、とびっきり美味しいのを淹れなきゃね。


 彼女をひとり残し、台所で湯を沸かす。

 そういえば。起きてすぐ縁側に行ったもんだから、何も食べていなかったことに気づいた。

 テーブルの上や冷蔵庫、戸棚を順番にのぞいてみる。おや、こんなところに水ようかん。彼女も好きだし、お昼には早い。これにしよう。

 水ようかんを見つけた僕に、湯が沸いたと主張するやかん。呼ばれて行く手に、紅茶の茶葉と昨夜はちみつで漬けておいたレモンの輪切り。

 ささっと急須へうつし、蒸す。僕のレモンティーは、茶葉といっしょにレモンを入れる。湯呑みに氷を入れるのを忘れずに。

 お盆の上に急須と湯呑み、水ようかんをスプーンといっしょにのせ。ぶかっこうなレモンティーたちと、彼女のもとへ戻った。


 おまたせ。


「あら、水ようかんあったの?」


 君、レモンティーといっしょに食べるの好きだろう?


「ええ! あんこの甘さとお砂糖を入れないレモンと茶葉の苦味が、口の中でちょうどいい甘さになるからね」


 お昼には早いから、しばらく水ようかんとレモンティーでお茶にしよう。


「旅行の話も続けて、でしょ?」


 ああ。お願い。


「じゃあ、いただきながらにするわ! えっと、どこまで話したかしら」


 ……忘れものした僕が落ち込んでる、ってところで脱線したね。


「ああ、そうだったわね。でも、脱線じゃないからね! アレも、私にとっては大事な思い出よ」


 そうだね。照れるけど、そう言ってくれてうれしいよ。


「ふふ。あなたって、本当に。もう」


 ……なんだい?


「な・い・しょ! じゃあ、不貞腐れたままのあなたと飛行機に乗ったところからね」


 ああ。不貞腐れたまま飛行機に乗っちゃって。君の話も聞かないまま、いつのまにか寝ちゃってたんだよね。


「そう。私が一生懸命あなたの気分をあげようと、旅行の楽しみなところをいっぱい話してたのに。あなたってば、気づいたら寝てたのよね」


 ごめんって。あまりにもショックすぎたのか、気落ちどころか寝落ちしてたんだ。


「もう! 『何うまいこと言えた!』みたいな顔してるのよ」


 あはは、ごめんよ。


「続けるわよ? で、寝落ちしたあなたの横で。私はずーっと窓の外の景色を観ながら、パンフレット開けて。あなたが起きたときに、何か気をひくいいところがないか探してたのよ」


 ……知らなかった。


「そりゃそうでしょ? 寝てたんだから」


 ソーデスネ。


「……怒るなら、寝てたあの時の『あなた』に怒ってね。それで、沖縄へ近づいたときにあなたが目を覚まして。すぐ、目に入った沖縄の海に見いっちゃって」


 だって、起きたらキレイな海が見えたんだよ? 君でも見るでしょ?


「まあ、私でも見るけどね。あなたはそのまま目をキラキラさせて、空港に降り……よ」


 そして降りた先で、また驚いたんだよね。


「ええ。荷物を受け取って、空港の入り口に出たら――びっくりするくらい、人がたくさん並んでてね。近くの人に何の列か聞いたのよね」


 まさか、アレがレンタカーを借りる列だなんて思わないじゃないか。


「そうね。だから、ビックリしてすぐ旅程表を見直したのよね。鞄ひっくりかえしながら。そしたら、受付は空港の中って書いてあって。ふたりで急いで戻ったのよね」


 十分後くらいには無事に受付がおわって、外のレンタカーを借りる場所に行く列へ並んだんだったね。


「海に見惚れてる場合じゃなかったわね、あの時は。レンタカーを無事に借りれて、やっと『あ、沖縄についてたんだ』って思ったわ。あ、今日のレモンティー。はちみつ入れたの?」


 いや、はちみつ漬けのレモンをいれたんだよ。


「そう? いつもより甘い気がするんだけど……」


 愛情たっぷり、だからね。


「ふふ。愛情の甘さなのね。それで、えっと……あ、沖縄についてレンタカーを借りて。時間も時間だったから、そのまま泊まるホテルに直行したのよね」


 すでに疲れていた僕たちは、眠い目をこすりながら行ったんだよね。居眠り運転にならなくてよかったよ。


「あなた疲れてたのに、がんばって運転してくれて。あの時は、ありがとうね」


 いいんだよ。君に、一つはいいとこを見せたかっただけだから。


「ふふ、そっか。そんなあなたのがんばりのおかげで、夕食前にはホテルに着いたのよね」


 飛行機の到着が15時過ぎてたから、必死だったんだ。


「それで私は、ヘトヘトのあなたを部屋へ連れていくはめになったんだけど」


 ……君に肩をかしてもらえて、役得だったよ。


「何言ってるのよ。で、部屋について。荷物の整理してすぐにごはん食べに行ったのよね。あ、そろそろお腹すいてきた?」


 そうだね。そろそろ、何か作ってくるよ。


「いってらっしゃい」

 

 まだ話していたかったが、お盆を手に重い腰をあげて台所へ戻る。急須は、あとで片付けよう。

 

 台所で何かを探す。彼女には言ったが、正直お腹はまだ空いていない。

 どうしようか。暑いせいか、食欲もあまりないんだが……。

 とりあえず冷蔵庫へ手をのばし。あ、昨日買った特売の刺身があったな。刺身と……たまには、昼からビールでもあけようか。

 刺身とビール、醤油とわさび。すこしにぎやかになったお盆へ箸をのせ、彼女のもとへ戻った。


 刺身があったよ。せっかくの休日だから、缶ビールでもあけようか。


「あら、ステキ。じゃあ、乾杯しましょ!」


 缶ビールをあけて乾杯をする。

 あ、わさび。


「なあに? もしかして、蓋開けたら『干からびたカス』が出てきたとか?」


 ……なんで、わかるんだよ。

 

「言ったでしょ? なんでも知っ……て。あ、雨」


 降ってきたね。窓、閉めるかい?


「雨もか……よくないから、このままでいいわ。さ! 食べながら続きよ! ホテルのバイキングだったけど、和洋中だけじゃなく『ザ・沖縄料理』もあって意外と満足したのよね」


 ああ。僕は海ブドウもよかったけど、ジーマーミ豆腐が気に入ったなあ。

 

「そういえば、あの時もビールあけてたわね。沖縄のビール」


 沖縄フェアとかやってないと、こっちでは買えないからね。沖縄料理ともいっしょに味わえて、美味しかったよ。


「飲めない私には、あなたが美味しそうにしている顔だけで酔えそうだったわ」


 ……ノロけ?


「ノロけじゃなくて、あなたが『かわいかった』って話」


 ノロけじゃないか。


「他人に話してるわけじゃないから、いいじゃない。それで、バイキングで満足したその日は――お風呂入って寝たのよね。次の日に備えて」


 うん。その時には、朝のことなんてもう忘れてたよ。


「そうよ。あなた、あれだけ気にしてたのに。まあ、楽しめそうでよかったと思ってたわ」


 心配してくれてありがとう。


「ふふ。次の日、朝起きても引きずってなくてよかったわ」


 寝てスッキリしたから、この日こそいいところを見せよう! としか思ってなかったよ。起きたときにはね。あ、この貝。甘いよ。


「そういえば、沖縄でお刺身も食べたわね。ブダイ、だったかしら? 白身が弾力あって、ずっとモグモグしてた覚えがあるわ」


 たしか、沖縄名もあったけど……忘れちゃったなぁ。歯ごたえがあって美味しくて。君が嚙みきれなくてモグモグしてるのが、かわいかったなあ。


「あら、恥ずかしいわ。見てたなんて」

 

 せっかく、旅行で二人っきりだよ? かわいい君を見るのは、僕の特権でしょ。


「もう! 続けるわ。えっと、ブダイ? を食べたのは、二日目の夕ごはんね。外へ出かけたのよね」


 ああ。二日目の朝から少し遠出して。古宇利島こうりじまで海を見ようと思ったのに……あの頃は、まだ橋が架かってなくて。フェリーだったんだよね。


「そう! フェリーで古宇利島じゃあ時間がかかるって、ホテルの人に聞いて。オススメしてもらった万座毛まんざもうへ行ったのよね。海が見える場所まで、駐車場からすこし散歩道になってて」


 日陰がなくて、急いで日傘を出してたよね。


「ええ。日陰がなくて暑かったわ。あなただって、おでこに汗いっぱいだったんだから」


 うん、暑かったね。でも、こっちのむわっとした暑さとちがって。カラッカラの暑さの中で、たまに通る風が気持ちよかったね。


「あの風は涼しかったわ。そうして歩いた先に、真っ青な海と岩場近くのエメラルドみたいな水色の海がグラデーションのように続いてて。とっても綺麗だったわね」


 ああ。暑い中、行ってよかったよ。僕、泳げないし。


「ふふ、そうね。あなた、泳げないのに『海が見たい』って行ったところよね」


 だって。せっかく沖縄に行ったんだから、『沖縄の海』が見たいじゃないか。


「もちろん。だから、行ったじゃないの。晴れて、綺麗に見えてよかったわ。あ、の……った?」


 あ、空っぽだね。何かおかわり取ってくるよ。何がいい?


「本当? じゃあ、あったかいお茶がいいかな」


 やっぱり、寒くなってきたんじゃないか。窓閉めよう。


「ううん。開けておいて。上着を羽織るから」


 ……わかったよ。淹れてくるから、ちゃんと着ててね。


「ええ。いってらっしゃい」


 先ほど残しておいた急須をにぎやかだったお盆にのせ、彼女のもとを離れた。

 やかんに水を入れ、火にかけている間。先ほど使った急須の中身は、ここでご退場ねがう。

 たしか、戸棚にお茶葉ちゃっぱがあった……あった、あった。これと、この下に……あった。この塩せんべいも持っていこう。

 探している間に沸いた湯を、洗ったばかりの急須にそそぎ。湯呑みはあとで洗おうと、新しいのを戸棚から出した。

 

 戻った彼女の先に見えているのは、すこし傾きはじめた真夏の象徴。

 ジリジリと日陰が奪われていくので、丸めてあったすだれをおろした。


 ほら、温かいお茶だよ。


「ありがとう。おせんべいも持ってきたの?」


 口もとがさみしいかと思ってね。


「クスクス。そうね、さみしいわ」


 熱いから、ゆっくり飲むんだよ。


「ええ、そうする。えっと、どこまで……たかしら」


 万座毛に行った話だよ。


「ああ。あなたが、泳げなかった話ね」


 ……そっちじゃないよ。


「クスクス。わかってるわよ。万座毛に行って、お昼は何を食べるかって話しながら駐車場に戻ったのよね」


 ああ。せっかくだから、沖縄そばがいいんじゃないかって言ってね。結局、古宇利島近くまで行くことになったんだよね。


「ええ。それに、私たち少し遅すぎたのか――いっぱい並んでいたのよね」


 お昼時だったしね。すこし待って、待って、待って。すこしじゃないね、一時間くらいは待ったかな?


「そうね、一時間くらいだったかしら。暑い中待ってたけど、日陰が心地よかったわ」


 そうだね。そうしてやっと中に入ったら、満席。当たり前か、待ってたんだもんね。


「いっぱいの中で、沖縄そばとソーキそばを頼んだら。思いのほか、すぐ出てきたのよね」


 ああ、驚いたね。それに僕たちが観光客だってわかると、お店の人が「じゅーしーがうまいから食べて‼」って出してくれたんだったね。


「あのご馳走ちそうになったじゅーしー、美味しかったわね」


 ああ、美味しかったね。周りの人たちももらってたけど、地元の人たちばっかりだったのにも驚いたね。


「それだけ、地元の人にも身近なんだろうね。おそば」


 だから、ガイドブックにも載るんだろうね。


「ええ。おかげで満足したわ、おそばもじゅーしーも美味しくて。お腹いっぱいで眠くなりそうな中、今度はホテルに戻ったのよね」


 ああ。レンタカー置きに行って、国際通りを散策するのにね。


「お土産いーっぱい買わ……って、散策したのよね」


 途中で電池切れちゃって、エネルギー補給にカフェでお茶したっけ。

 

「そうそう! まだ何も買ってなかったから、手ぶらで行けたのよね」

 

 あ、お茶のおかわりは?


「あ、ほしい! お願いしていい?」


 いいよ。じゃあ、もう一度沸かしてくるね。


 湯呑みたちを引きあげて、流しへ直行した。一度、全部洗っておこう。

 先ほど残した湯呑みとともに、引きあげてきたのを洗いだす。あ、お湯沸かしてない。

 急いでやかんに水を入れ、火にかけた。

 待ってる間に続きを洗う。塩せんべいはまだあるから、お茶だけでいいか――なんて、思いながら。

 洗い終え、水分を拭きとる。まだ沸かない。

 綺麗になった湯呑みたちを使う分だけ残し、戸棚へと片づけた。

 戸棚を閉めると、ガラス戸にオレンジ色の光が差してきた。あ、もうそんな時間か。


 ピー……。


 しばらく見つめていたせいか、たった一瞬かわからないが。わりとボーッとしていたようだ。

 お湯が沸く音で現実に引き戻され、急須と湯呑みを準備する。

 さて、お茶を淹れに戻るか。

 湯気立つ急須と湯呑みといっしょに、暑い日差しに見送られた。


 お待たせ。


「あ、おかえり。あったか〜い。ありがとうね」


 いいんだよ、これくらい。さて、どこまで話したっけ?


「国際通りで、早々に休憩したところよ」


 ああ、疲れたやつね。休憩したところのジュース、美味しかったなあ。


「たしか、赤――じゃないね。赤みがかった紫の、何だっけ?」


 ドラゴンフルーツ。


「そう! それ!」


 色見て酸っぱいのかと思ったけど、バナナも入ってたから優しい甘さで美味しかったんだよ。


「うん。美味しかったね」


 ジュース飲んで、あれ? ケーキも食べなかったっけ?


「ええ。私が頼んだ紅いものチーズケーキ。あと、ブラックコーヒーも」


 ん? ドラゴンフルーツのジュースって、僕だけだった?


「そうよ。あなたが頼んだのを、私が勝手に飲んだのよ。あなたがトイレに行ってる間に」


 うっそ。気づかなかった……。


「で、帰ってきたあなたに『ちょうだい?』ってもらったのよ」


 あ、だからいっしょに飲んだと思ってたんだ。


「そうよ。それで休憩した後に、やっとお土産を選びに出たのよ。国際通りに」


 えっと、何買ったっけ?


「定番のちんすこうを買おうと思ったら、美味しかった紅いものお菓子を見つけてね! いろいろ目移りしながら、結局両方買ったのよね」


 どっちも焼き菓子だから、持って帰りやすかったしね。


「あと、シークワサーのジュースとパイナップルのお酒は配送してもらって」


 君が他にも見たいからって、重たいものは送ってもらったんだったね。


「気づいたら夕方だったから、その日は早めにごはんにしようって入ったのが沖縄料理の居酒屋だったのよ」


 そこでイラブチャーのお刺身、あ『イラブチャー』が沖縄の名前か。ブダイのお刺身食べたんだったね。


「そうよ。思い出した?」


 うん、思い出したよ。それで、君が嚙みきれなくてモグモグしてる横で――せっかくだからって、泡盛とハブ酒をチビチビ飲んでたんだよ。思ってたよりも強いお酒だったから。


「ええ。あなた、倒れないようにってちょこっとずつしか口に入れないで」


 だって、君と夜の沖縄でもデートしたかったんだ。でも、沖縄のお酒を沖縄料理で食べれるのはその日しかなくて。


「ふふ。がんばったのね?」


 ……そうだよ。悪い?


「いいえ。うれ……のよ」


 ……そっか。


「次の日には帰るし、名残惜しかったのも――あるわ」


 名残惜しい?


「あなたとのデート旅行がよ。終わってしまうのが、もったいなくて」


 嬉しいことを言ってくれるね。


「あの時は、照れて言わなかったけどね」


 言ってくれてもよかったのに。


「そうね。今度デートするときは、てれ……うわ」


 ああ、楽しみにしてるよ。


「それで、続きだけど。早めに酔ったあなたと、日の落ちた国際通りを散歩したのよね」


 ああ。薄暗くなる中、煌々こうこうと光る国際通りが――また、すごく神秘的で。綺麗だったね。


「お土産袋を持っていたから、カシャカシャ言わせながら歩いてたのよね」


 酔っぱらってたし?


「それは、あなただけでしょ?」


 そうだった。


「お土産は買ってあったし、あなた……てたし。のんびり歩いて帰ったのよ。幻想的な景色につつまれて」


 で、ホテルに着いた。


「そう。部屋へ行くとやっぱり、すぐ寝ちゃったのよ。あなた」


 やっぱり、飲みすぎてたか。


「私、もう少し話していたかったのにね」


 ……ごめん。


「クスクス、いいのよ。私もはしゃいで疲れてたし。で、そのまま寝ちゃって。最終日は、早くに目が覚めちゃったの」


 たしか、4時ごろには起きたんだよね。僕。


「私もそのすぐ後に目が覚めたのよ」


 それで、朝早くから帰る準備してたのか。


「あなたは起きてもボケーッとしてたわ」


 ……寝起きだったし。


「ふふ。帰る準備してる私……時すぎかな。急にあなたが『見て見て!』って窓辺へ連れて行ったのよ」


 ああ。ボケッとしてたら、朝日が差し込んできて。ホテルからは遠かったけど、窓の奥の方に見える沖縄の海がキラキラしてたんだ。だから、君に見せなくちゃ! って、呼んだんだよ。


「あなた必死だったから、何事かと思ったわ。行ってみれば、海だもの。ビックリしたけど、たし……いだったわ。」


 で、しばらく寄り添って。朝日が昇るのを見ていたんだったね。


「おかげで、朝ごはんの時間を忘れるところだったわ」


 僕も、名残惜しかったんだよ。君との旅行が終わってしまうから。


「そうね。あなた、朝ごはんのバイキングで沖縄料理食べ収めの勢いでたくさん食べていたしね」


 いや、沖縄が名残惜しかったのもあるけど! 君との旅行が終わるのが‼


「ふふ。わかってるわよ」


 ……ならいいけど。


「朝ごはんの後は、飛行機午後の便だったからまだ時間あるって言って。海中道路に行ったのよね、暑い中」


 僕は食べ過ぎたのと、緊張で汗やばかったけど。


「あれ、緊張の汗だったの?」


 そりゃそうでしょ⁉ 一世一代の告白しようとしてたんだから! ……忘れものしたけどね。


「ふふ。窓を開けて、風が流れていく中。海のど真ん中を走りに行って」


 道路の途中にあるロードパークで休憩して。一息ついてから、君に言ったんだよね。


「『忘れものしたり、酔っぱらって情けない僕だけど。結婚してからも、こうして手をつないでくれる?』って」


 手をつないだままね。僕、手汗酷ひどかったけど……。


「手汗ひどくても、あの時の私は気にしてなかったわ。『結婚してからも』って言ってくれたことが嬉しくて、それ以外頭に入ってこなかったのよ」


 ……返事くれるまで、長かったもんね。


「仕方がないでしょう? いくらプロポーズされるのがわかっていても、照れるものはて……よ」


 僕的には、OKもらえないのかと思って焦ったよ。


「あら。そんなかわいい顔、じっくり見ておけばよかったわ。照れてる場合じゃなかったわね、私」


 その後すぐ返事をもらえて、僕は……今度は舞いあがりすぎてね。


「そう。返事のあと、舞いあがりすぎて。空港まで引き返す間、何度事故しかけたか」


 いやあ、それについては本当にごめんとしか……。


「舞いあがって注意力落としちゃあ、ダメでしょう? せっかく、これから結婚に向けてスタートしたのに」


 ハイ。ゴメンナサイ。


「わかればよろしい! な~んてね。で、無事空港について。レンタカーを返したのよね」


 返して、荷物預けて。すこし早めのお昼を空港で買ったんだよね。


「お弁当と、ブルーシールのアイス食べたんだよね」


 最後まで沖縄満喫したよね。


「うん。それで、飛行機乗って」


 帰って、電車に乗り換えて。


「あなたの家に直行したのよね」


 だって、どうしても指輪を渡したかったんだ。

 

「まあ、う……たけどね」


 家に着いて、玄関開けたら――まさか、靴箱の上に置きっぱなしだったなんて思わなかったよ。


「ええ。指輪に出迎えられるとは、私も思わなかったわ」


 直ぐに渡したかったけど、一人暮らしで借りたアパートだったから入口狭くて。中に入ってもらったんだよね。


「そう、とりあえず中に入って。おなじみのレモンティーを淹れてくれて」


 一息ついてから、君の左手にはめたんだよね。

 

「『遅くなってごめんね』って言葉つきで。私としては、その日のうちにもらえたから……はなか……けどね」


 僕の気持ち的には、遅いと思ったんだもん。

 

「その後、遅くならないうちに家まで送ってくれたのよね」


 大切な君を、一人で帰すわけないだろう?


「それは、昔からそうね。あなた、必ず送ってくれていたもの」


 そうだったかなぁ。


「なあに、とぼけてるのよ? あ、照れてる?」


 ……ノーコメントで。


「ふふ」


 ひときわ強くオレンジ色に染まった日が、簾で避けていたはずの僕たちを照らす。

 僕の耳が赤いのは、きっと日が差して暑くなってきたからだ。

 

 僕たちの間には、心地よく、緩やかな時間だけが過ぎていく。

 

 僕は、すこし濃く出過ぎたお茶を口に運ぶ。


「雨、や……ね。帰り、だい……?」


 大丈夫だよ。折りたたみ傘、持ってるから。


「さむ……?」


 寒いのは君だろう? ほら、やっぱり窓を閉めよう。


「ふと……から、あけ……」


 わかったよ。じゃあ、布団かけるよ。


「あり……う。まだ居れ……」


 まだ時間は大丈夫。次は、何の話しようか?


「そう……。あ、明日のて……?」

 

 明日? 明日は晴れるらしいよ。ゆっくり、外で散歩でもしようか。


「ええ。そ……ょう。お弁当も……」


 いいね! お弁当持って、木陰に行って。ああ、レモンティーも忘れずに! だよね?


「うん。そう……しいから」


 せっかくだし、おめかしでもするかい?


「やだ、はず……わ」


 僕は……綺麗にする君の姿、好きなんだけどな。


「あら。今は、き……ないって?」


 そんなことないよ! かわいい君が、綺麗にするからいいんじゃないか!


「もう! はず……リフ、言わな……。私がはず……わ」


 そんなところも、かわいいよ。


「もう!」


 不貞腐れた表情の彼女だけど、やっぱり……顔色は、よくなかったな。

 必死で、何か話そうとしたけど……必死になればなるほど、言葉が出てこなくなって。

 しとしと降る外の雨が、僕の代わりに泣いているように見えたんだった。

 

 ずっとそばにいたいけれど……同じ時の中に居れるのは、あとすこしだ。と、チクチクうるさい時計の針に告げられているようだった。

 

「あ……。風が、つめ……てき……わ」


 ああ、涼しいね。


「もうす……、はな……いけど」


 ……ゆっくり、休んでいいんだよ。僕は、まだここで涼んでいるから。


「うん。手、つ……?」


 ほら、ここに。ずっと、つないでてあげるから。ゆっくり、おやすみ。


「……ん。あり……う」


 僕のシワが増えた手とつないでうれしそうにする彼女を思い出し、自分の手に手を重ねた。

 

 今日も僕に暑い日差しのプレゼントをくれた日も、雲一つない空に漂う時間はあとすこしだろう。

 縁側でのんびりする時間も、そろそろ終わり。さみしくなったお盆の上も、片づけてあげなければ。

 イヤホンをはずした僕は、手にしていた小さなラジカセをそっとポケットにしまった。

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残耳 蕪 リタ @kaburand0

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