トライトン裸まつり

 高速艇トライトンは南大深度海の中心を目指し、南下を続けた。


 午後に入り、パラパラと小雨が降り始めたかと思えば、徐々に雨足は強くなった。

 甲板に大勢の兵士たちが集まるのを、艦橋の窓から見ていたセフィールがラトリッジ艦長にたずねる。


「おっちゃん、甲板でなにが始まるの?」

「見てりゃわかるさ。男たちの祭りが始まるのさ」


 雨が甲板全体を濡らし始めたころ、男たちは一斉に服を脱ぎ始めた。

 上も下も脱ぎ捨て、艦上に群がる男たちは一糸まとわぬスッポンポンになり、激しさを増す雨の中、踊るように蠢き始めた。

 総勢数十名の男たちの裸踊りである。

 筋骨隆々の浅黒い肌の男たちが、老いも若きも頭を手のひらでしごきながら、うねうねと揺れるように動く。


「なっ、なに! あれ?」

 セフィールは窓に張りつき、眼前で繰り広げられる異様な光景に見入る。


「いい眺めだろう、セフィール」

「だっ、だから! 何なのこれは?」


「風呂の代わりさ。船では水は貴重だからな」

「シャワーがあるじゃない!」

「シャワーの水は海水から生成してるから、塩気があるからな。雨のほうが気持ちがいいのさ」


 男たちは気持ちがいいのか、みんな爽やかな笑みを浮かべている。

 そこかしこで股間を揉みしだく者も現れ始めた。


 男たちの体がうねうねと波のようにうねる。

 男たちの一層浅黒い股間もうねうねと揺れる。

 男たちの熱気で、薄く湯気が立ち昇る。


 また吐き気を覚えたセフィールは、その中にキースの姿を見つけた。

 浅黒い肌なので、混ざっていてもまったく違和感がない。

 なにが楽しいのか、人一倍大きく腰を振ってノリノリだ。


「あっ、あのバカ! あんな所で、なにしてるのよ!」


 隣のラトリッジは孫の姿でも愛でるように目を細め、恍惚の表情を浮かべている。

「セフィールも行って、一緒に体を洗ってくればいい。最高に気持ちいいぞぉ」

「ぜ、ぜったい嫌よ! この船、ほんと大丈夫なの?」


 キースを引きずり戻したい気持ちでいっぱいなセフィールだった。

 だが、あの気色悪い野郎どもの群れに飛び込む勇気はなく、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。


 ◇◆◇


 ピートは艦橋の扉の陰から、うらやましそうにキースを見ていた。


「ああ……、いいなあ。私もあの中に混じって、雨を浴びて体をさっぱりさせたいです」


 その後ろではルフィールが目をつり上げ、ピートの服を引っ張っていた。

「ダ、ダメですわ! ピートはその服を脱いじゃダメです。体をさっぱりさせたいなら、艦内のシャワーにしなさい」

「ルフィール様も一緒に行きましょうよ。ものすごく楽しそうですよ、みんな。あんな表情のキースを見るのは久しぶりです」

「ば、馬鹿なことを言わないの! 私は子どもじゃないんだから、あんな真似できませんわ!」


 ルフィールがまた頭をぶん殴って気絶させようかと思ったころ──、

 ピートはようやく諦め、

「じゃあ、艦内でシャワーを浴びてきます」ときびすを返し、艦内に戻った。

 それにルフィールもついていった。


 狭くて薄暗い通路を歩いていると、前から誰かが歩いてきた。

 ピートが急に立ち止まったので、ルフィールはその背中にぶつかった。


「な、なんですの? シャワーはまだ先ですわ」

「い、いえ、ルフィール様。あ、あれ……」


 ルフィールが前を見ると、素っ裸の女性が間近まで来ていた。

 下着もつけておらず、正真正銘の素っ裸である。

 褐色の豊満な胸が、淡い光の中、妖艶に揺れる。


 ジョアンヌ王女は戸惑うことも一切なく、ピートたちに笑みを投げた。

「あら、ピートさんたちもシャワーですか? とても気持ちいいですよ。私はちょっと甲板に涼みに出ようかと」

 

「は、はあ……」

 ピートが漏れ出すような声で答える。


「じゃあ、ごゆっくり、お二人様」

 そう言うと、きれいな足取りで王女は歩いていった。


 ピートの紅潮した顔が思わず、それを追う。

 と──、彼の頬に衝撃が走った。


 ルフィールが引っぱたいたのだ。


「ピートはあんなモノ見ないで、私とシャワーを浴びなさい!」

 未練が残るピートを引きずるようにルフィールが連れ去った。


 ◇◆◇


 新生マキナリア共和国海軍旗艦、タイクンロードは南大深度海西部の暴風域に入ろうとしていた。


 絶え間なく艦橋の窓を叩く雨。

 巨艦をも揺らす大波。

 艦橋にいる乗組員たちの表情は一様に強ばっていた。


 そんな中、一人、軍需次官のシーナ・エッツだけが自邸の居間にでもいるかのように、深々と椅子に身を沈め、紅茶をたしなんでいた。


自動航儀ジャイロの具合はどうかな? 方角は合ってるのか? 前も見えんようじゃ、その自動航儀ジャイロだけが頼りだからな」


 カイゼルひげの海軍将校がそれに答える。

「はっ、次官殿。今のところ問題はないようです。ただ、この天候では夜でも星が見えませんので、確認のしようがありませんが」


「黒騎士の星か?」

「さようでございます。あの星の直下が南大深度海の中心です」

「まあ、よいわ。この海域は名前のとおり、深い海なので岩礁もない。方角さえ用心すれば、必ず行き着く」


 海軍将校は雨足を気にし、窓の外を見やった。

 いつまでも続く豪雨で、少し先がどんな様子かもわからない。

 まさしく暗中模索である。

 自動航儀ジャイロが壊れ、この海域から離脱できなくなることを考えると、空恐ろしくなる。

 国には愛すべき妻と息子がいる。

 不安が生み出す悪い将来を払拭ふっしょくするかのように、海軍将校は首を振った。


「将校殿、まあ、心配するな。ソナム社が開発した自動航儀ジャイロは間違いない。この私自身が投資した会社だからな。信用したまえ」

 シーナのあまりの余裕に、海軍将校と乗組員の顔から次第に緊張がとけていった。


 シーナはそんな乗組員に渇を入れるべく、杖を真っ直ぐ前に振りかざし声をあげる。


「新生マキナリアの武力の象徴たるタイクンロード。その行く手をさえぎるものなど、なに一つない! 心に留め置け!」

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