没落王女、海に吐き散らす

「あ〜ん、このままだと晩餐会ばんさんかいに遅れちゃう!」


 私は思い切り加速板アクセルを踏み込んだ。駆動機関エンジンが小気味良く唸りを上げ、加速した車は一気に海岸沿いのゆるいカーブを滑り降りる。

 強い風が髪を掻き乱し、私の操る銀色の新型高機動車ハイモビルに寄り添うように飛んでいた白い海鳥たちも置き去りになっていく。

 ちなみに私は12歳、本来なら自動車の運転はまだできない年齢だ。けど、王女である私は王室特権で特別に運転を許されている。

 

 穏やかな青い海、雲一つない空。潮の香り。

 先端フロントノーズに輝く女神のエンブレムが陽光を反射して煌めく。

 気持ち良すぎて、このままずっと車を走らせていたい気分だが、目的地が見えてきた。

 美しい南の海を一望できる高台のホテル、そこで催される晩餐会に、私は招待されているのだ。


 ロータリーに車を停めると、最新鋭車の斬新なフォルムに来客者の注目が集まった。


「これはこれは、王女様。ようこそ我がホテルへお越しくださいました」


 支配人が直々に、私を最上階のロイヤルスイートへと案内してくれた。

 広々とした部屋で、夕暮れの美しい景色を眺めてくつろぐ間もなく、ドレスに着替え、会場へと急いだ。


「今宵は、私の進学祝いにこんな素晴らしい晩餐会を開いてくれて、皆さんありがとう!」


 集まった貴族たちに軽く挨拶を済ませ、真紅のドレスをひるがえし、オーシャンビューの席に身を沈めた。

 王女ならば、まずは最高級の美酒と洒落こみたいところだが、未成年だと王室でもこればかりは許されていない。


 堅苦しい法律なんて変えちゃえばいいのに、なんて時々思う。


 潮風で乾いた喉に、南国の果実を搾った清冽なジュースが染み渡る。

 眼前では、次から次へとぜいを尽くした料理が配膳され、テーブルを埋めていく。

 どの料理も美味きわまりないが、私が待つのは最後に出される究極の逸品だ。

 それは、海鮮料理の最高峰。

 南大深度海みなみだいしんどかいでしか獲れない、目を疑うような虹色に輝くニジイロタカアシガニの料理だ。

 筆舌に尽くせぬその珍味は万人の舌をとりこにしてやまない。

 我慢できず、人目もはばからず、素手でカニの脚をつかみ、ガブリと噛みつきたいところだが――。


 私、王女だし、それは流石に遠慮しないと――。

 でも、我慢できないし……。

 よだれも垂れてきちゃって、逆にはしたないし、この際いっちゃおうかな!



「うう……、なんだか異様に生ぐさいし……。それにクソ暑い……」


 顔がけつくように暑いし、まぶしくて目が開けられない。

 どこかに寝ているのか、背中に硬い感触を感じる。

 向きを変えようと、少し身をよじった途端、吐き気が込み上げてきた。


 ◇◆◇


「うぉろおろ、おろっ……」


 口に酸っぱいものが込み上げて来て、セフィールは思わず吐きそうになった。


「おい、セフィール! ここで吐くなよ! 吐くなら海にしてくれ!」


 強い力で引き起こされ、立ち上がる。

 朦朧もうろうとする彼女の視界に映るのは、上半身裸の浅黒い男。

 その男の小脇に抱えられ、数歩動いてから、高く掲げ上げられた。


「よし、セフィール、吐いていいぞ!」

「うぉろおろ、おろ────────!」


 男の威勢のいい声がするやいなや、海に向かってセフィールは思い切り吐いた。

 少女の口から溢れ出る汚物が、キラキラと輝きながら南国の美しい海に消えていく。


「セフィール、これで口をすすいどけ」


 黒髪の浅黒い男から水筒を受け取り、そうしたところ、やっと一息ついた。

 濡れた口を手の甲でぬぐい、肩にかかったセミロングの金髪を振り払う。


「クソ暑いし、生臭いけど、ここはどこなの?」


 セフィールは周囲を見回した。

 彼女がいるのは漁船の上らしく、魚がつめられた木箱がそこかしこに散らばっている。そう広くもない甲板の上は箱でいっぱいだ。


「あれ? 今日は晩餐会ばんさんかいでニジイロタカアシガニを食べるはずだったのに……?」


「なに寝ぼけてるんだ。暑さと船酔いで気絶して、夢でも見たんだろ。それより、さっさと働けよ。ルフィールはちゃんと仕事してるぞ」


 浅黒い男が、筋肉質の腕を振り上げ、少し先の木箱の横にいる少女を指さした。


「ふふふ、お姉様。働かざる者、食うべからずですわ」


 ふわふわした金髪の少女が、澄んだ碧い目でにこりと微笑みかけた。

 着ている服は質素なワンピースなのだが、ちょっとした振る舞いにもどことなく優雅さを感じさせる。

 セフィールの妹、ルフィールである。


 エラの張ったいかつい顔に、薄汚れた白シャツ一枚の中年漁師が近寄って来て、なれなれしくセフィールの背中を叩いた。


「双子のくせに、お前さんは全然ダメだなあ。ちょっとは妹さんを見習えや」


 その妹はというと、テンポよく器用に網から魚を取り上げている。


「威勢だけはいいんですが、不器用なんですよ、こいつは。親方、一つ勘弁してやってください」


 浅黒い男がセフィールの頭をポンポンと叩く。


「こら、キース! 何、その言い方! それじゃ、私がまるで役立たずみたいじゃない!」


 セフィールは、浅黒い男こと、キース・ゴドフリーの腕を払いのけ、にらみつけた。


「みたいじゃなくて、実際、ちっとも役に立ってないぜ」


 キースは白い歯を見せつけ、垂れ気味の目で意地悪そうにニヤリと笑った。


「こ、この! キース、覚えておきな……、おきな……、なぉろおろ、おおおろっ!」


 再び込み上げてきた強烈な吐き気に、船べりまで駆け寄り、またまた盛大にリバースした。

 吐き終わった彼女は、息をするにも肩を上下させ、とても苦しそうだ。


「おやおや、ろくろく食べてないのに、どこからこんなに出てくるのでしょうね?」


 誰かに背中を優しくさすられ、横を向くと、背の高い牧師姿の男がいた。

 銀髪の超イケメンが、優しそうな緑色の瞳でセフィールを見下ろしている。

 ルフィールの聖従者ホーリースクワイア、ピート・ロトシールドだ。


「ピートはこんなに優しいのに、それに引きかえキースは鬼みたいじゃなくて、鬼そのもの……、おにょろおろろろぉ!」


 再三のリバースに、甲板で作業中の漁師たちからも声を上がった。


「この姉ちゃんがいれば、撒き餌も要らねえし、助かるよなあ」

「お姉様のゲロを食べた魚なんて、前線で捕虜になって飢えても食べたくありませんわ」


 魚を網から取り上げながら、ルフィールがぼそりと独りつぶやく。

 そんな妹のつぶやきを知らないセフィールは、海面に向かってまだ吐き続けている。

 ピートは相変わらず、彼女の背中をさすり続ける。

 と──、生気を失っていたセフィールの目が突然輝き、波間の先を指さした。


「あ、あれ! あれ! 見て! ニジイロタカアシガニじゃないの?」


 いかつい顔の漁師が見向きもせず、馬鹿にしたような声でそれに返す。


「ニジイロタカアシガニはこんな近海にはいねえよ、嬢ちゃん」


「だって、あれよ、あれ! こんな海にあんなきれいな虹色の生き物って、ニジイロタカアシガニしかいないでしょ!」

「嬢ちゃん、ニジイロタカアシガニはな、南大深度海にしかいねえんだよ。ここより、もっともっと南の海さ」

「だからぁ、あれだって! あれ!」


 あまりに必死な身振り手振りでセフィールが訴えるので、面倒臭そうに漁師も波間を覗き込んだところ、その顔つきが瞬時に変わった。


「あの輝き……、ま、間違いねえ! ありゃ、ニジイロタカアシガニだ! なんてこった! こりゃ、ボヤボヤしてる場合じゃねえ! 大儲けじゃねえか! 何やってんだ! お前ら、急いで網を打て!」


 甲板の漁師たちは皆色めき立ち、船べりに駆けつけ、次々と網を放った。ニジイロタカアシガニは一匹ではなく、一群が海面近くをゆらゆらと漂っていた。海面は光り輝くような虹色に覆われている。


「なして、こんな近海にニジイロタカアシガニがいるんだ? しかも、こんなにいっぱい?」


 獲物を網に捕らえながら、漁師たちは一様に首を傾げる。

 そんな、漁師たちをよそにセフィールはご機嫌だ。


「今晩は豪勢にニジイロタカアシガニの料理づくしね。楽しみすぎじゃん!」


「カニ! そこのカニ! 一匹も逃さないで!」


 セフィールの指示で網は徐々に引き寄せられ、あと少しという頃──、

 漁船の後方から、体全体で振動を感じるほどの爆音が聞こえてきた。

 何事かとセフィールたちが、そっちを向いた途端、灰色の巨大な影が横切り、大波が漁船を襲った。


「うわあああぁぁぁ!」


 セフィールたちは波の直撃を食らって、甲板に勢いよく流し戻された。大波はすぐに引いたが、甲板上は箱がひっくり返り、収めた魚が大量に散らばってひどい有様だ。


「こりゃ、ひでえな」


 ずぶ濡れになったキースが、むくりと起き上がる。


「水もしたたる、ひどい有様ですわ」


 大の字に倒れ、着衣が乱れたルフィールの金髪には青い海藻が絡みついている。


「そんなことより、ニジイロタカアシガニは大丈夫なの!?」


 いち早く立ち上がったセフィールは、一目散に船べりに飛びついた。が、どうやら網ごと波に流されたようで、ニジイロタカアシガニの姿はどこにも見えなかった。


「親方、今の船は何なのでしょう?」


 大波をかぶった割に綺麗な身なりのピートが、漁師に尋ねる。


「ああ、ありゃ、海軍の高速艇だな」

「海軍の高速艇?」とセフィールが小首を傾ける。


「もうすぐ、この国の王女様の結婚式があるんだ。それに色んな国の王様や大臣が来るのさ。それで海上を警邏けいらしてるんだが、海軍にもタチの悪いのがいるんだな」


 セフィールたちの視線の先、その高速艇は既に洋上はるか彼方に停泊していた。高速艇から立ち昇る黒い煙をぼんやりと眺め、セフィールはため息まじりにつぶやいた。


「はぁ……。夕食のニジイロタカアシガニが……、高級ディナーが……」


 紺碧の空の下、高速艇の汽笛が「ボー」と低く重く響いた。

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