没落王女、海に吐き散らす
「あ〜ん、このままだと
私は思い切り
強い風が髪を掻き乱し、私の操る銀色の新型
ちなみに私は12歳、本来なら自動車の運転はまだできない年齢だ。けど、王女である私は王室特権で特別に運転を許されている。
穏やかな青い海、雲一つない空。潮の香り。
気持ち良すぎて、このままずっと車を走らせていたい気分だが、目的地が見えてきた。
美しい南の海を一望できる高台のホテル、そこで催される晩餐会に、私は招待されているのだ。
ロータリーに車を停めると、最新鋭車の斬新なフォルムに来客者の注目が集まった。
「これはこれは、王女様。ようこそ我がホテルへお越しくださいました」
支配人が直々に、私を最上階のロイヤルスイートへと案内してくれた。
広々とした部屋で、夕暮れの美しい景色を眺めてくつろぐ間もなく、ドレスに着替え、会場へと急いだ。
「今宵は、私の進学祝いにこんな素晴らしい晩餐会を開いてくれて、皆さんありがとう!」
集まった貴族たちに軽く挨拶を済ませ、真紅のドレスを
王女ならば、まずは最高級の美酒と洒落こみたいところだが、未成年だと王室でもこればかりは許されていない。
堅苦しい法律なんて変えちゃえばいいのに、なんて時々思う。
潮風で乾いた喉に、南国の果実を搾った清冽なジュースが染み渡る。
眼前では、次から次へと
どの料理も美味きわまりないが、私が待つのは最後に出される究極の逸品だ。
それは、海鮮料理の最高峰。
筆舌に尽くせぬその珍味は万人の舌を
我慢できず、人目も
私、王女だし、それは流石に遠慮しないと――。
でも、我慢できないし……。
よだれも垂れてきちゃって、逆にはしたないし、この際いっちゃおうかな!
「うう……、なんだか異様に生ぐさいし……。それにクソ暑い……」
顔が
どこかに寝ているのか、背中に硬い感触を感じる。
向きを変えようと、少し身をよじった途端、吐き気が込み上げてきた。
◇◆◇
「うぉろおろ、おろっ……」
口に酸っぱいものが込み上げて来て、セフィールは思わず吐きそうになった。
「おい、セフィール! ここで吐くなよ! 吐くなら海にしてくれ!」
強い力で引き起こされ、立ち上がる。
その男の小脇に抱えられ、数歩動いてから、高く掲げ上げられた。
「よし、セフィール、吐いていいぞ!」
「うぉろおろ、おろ────────!」
男の威勢のいい声がするやいなや、海に向かってセフィールは思い切り吐いた。
少女の口から溢れ出る汚物が、キラキラと輝きながら南国の美しい海に消えていく。
「セフィール、これで口をすすいどけ」
黒髪の浅黒い男から水筒を受け取り、そうしたところ、やっと一息ついた。
濡れた口を手の甲でぬぐい、肩にかかったセミロングの金髪を振り払う。
「クソ暑いし、生臭いけど、ここはどこなの?」
セフィールは周囲を見回した。
彼女がいるのは漁船の上らしく、魚がつめられた木箱がそこかしこに散らばっている。そう広くもない甲板の上は箱でいっぱいだ。
「あれ? 今日は
「なに寝ぼけてるんだ。暑さと船酔いで気絶して、夢でも見たんだろ。それより、さっさと働けよ。ルフィールはちゃんと仕事してるぞ」
浅黒い男が、筋肉質の腕を振り上げ、少し先の木箱の横にいる少女を指さした。
「ふふふ、お姉様。働かざる者、食うべからずですわ」
ふわふわした金髪の少女が、澄んだ碧い目でにこりと微笑みかけた。
着ている服は質素なワンピースなのだが、ちょっとした振る舞いにもどことなく優雅さを感じさせる。
セフィールの妹、ルフィールである。
エラの張ったいかつい顔に、薄汚れた白シャツ一枚の中年漁師が近寄って来て、なれなれしくセフィールの背中を叩いた。
「双子のくせに、お前さんは全然ダメだなあ。ちょっとは妹さんを見習えや」
その妹はというと、テンポよく器用に網から魚を取り上げている。
「威勢だけはいいんですが、不器用なんですよ、こいつは。親方、一つ勘弁してやってください」
浅黒い男がセフィールの頭をポンポンと叩く。
「こら、キース! 何、その言い方! それじゃ、私がまるで役立たずみたいじゃない!」
セフィールは、浅黒い男こと、キース・ゴドフリーの腕を払いのけ、
「みたいじゃなくて、実際、ちっとも役に立ってないぜ」
キースは白い歯を見せつけ、垂れ気味の目で意地悪そうにニヤリと笑った。
「こ、この! キース、覚えておきな……、おきな……、なぉろおろ、おおおろっ!」
再び込み上げてきた強烈な吐き気に、船べりまで駆け寄り、またまた盛大にリバースした。
吐き終わった彼女は、息をするにも肩を上下させ、とても苦しそうだ。
「おやおや、ろくろく食べてないのに、どこからこんなに出てくるのでしょうね?」
誰かに背中を優しくさすられ、横を向くと、背の高い牧師姿の男がいた。
銀髪の超イケメンが、優しそうな緑色の瞳でセフィールを見下ろしている。
ルフィールの
「ピートはこんなに優しいのに、それに引きかえキースは鬼みたいじゃなくて、鬼そのもの……、おにょろおろろろぉ!」
再三のリバースに、甲板で作業中の漁師たちからも声を上がった。
「この姉ちゃんがいれば、撒き餌も要らねえし、助かるよなあ」
「お姉様のゲロを食べた魚なんて、前線で捕虜になって飢えても食べたくありませんわ」
魚を網から取り上げながら、ルフィールがぼそりと独りつぶやく。
そんな妹のつぶやきを知らないセフィールは、海面に向かってまだ吐き続けている。
ピートは相変わらず、彼女の背中をさすり続ける。
と──、生気を失っていたセフィールの目が突然輝き、波間の先を指さした。
「あ、あれ! あれ! 見て! ニジイロタカアシガニじゃないの?」
いかつい顔の漁師が見向きもせず、馬鹿にしたような声でそれに返す。
「ニジイロタカアシガニはこんな近海にはいねえよ、嬢ちゃん」
「だって、あれよ、あれ! こんな海にあんなきれいな虹色の生き物って、ニジイロタカアシガニしかいないでしょ!」
「嬢ちゃん、ニジイロタカアシガニはな、南大深度海にしかいねえんだよ。ここより、もっともっと南の海さ」
「だからぁ、あれだって! あれ!」
あまりに必死な身振り手振りでセフィールが訴えるので、面倒臭そうに漁師も波間を覗き込んだところ、その顔つきが瞬時に変わった。
「あの輝き……、ま、間違いねえ! ありゃ、ニジイロタカアシガニだ! なんてこった! こりゃ、ボヤボヤしてる場合じゃねえ! 大儲けじゃねえか! 何やってんだ! お前ら、急いで網を打て!」
甲板の漁師たちは皆色めき立ち、船べりに駆けつけ、次々と網を放った。ニジイロタカアシガニは一匹ではなく、一群が海面近くをゆらゆらと漂っていた。海面は光り輝くような虹色に覆われている。
「なして、こんな近海にニジイロタカアシガニがいるんだ? しかも、こんなにいっぱい?」
獲物を網に捕らえながら、漁師たちは一様に首を傾げる。
そんな、漁師たちをよそにセフィールはご機嫌だ。
「今晩は豪勢にニジイロタカアシガニの料理づくしね。楽しみすぎじゃん!」
「カニ! そこのカニ! 一匹も逃さないで!」
セフィールの指示で網は徐々に引き寄せられ、あと少しという頃──、
漁船の後方から、体全体で振動を感じるほどの爆音が聞こえてきた。
何事かとセフィールたちが、そっちを向いた途端、灰色の巨大な影が横切り、大波が漁船を襲った。
「うわあああぁぁぁ!」
セフィールたちは波の直撃を食らって、甲板に勢いよく流し戻された。大波はすぐに引いたが、甲板上は箱がひっくり返り、収めた魚が大量に散らばってひどい有様だ。
「こりゃ、ひでえな」
ずぶ濡れになったキースが、むくりと起き上がる。
「水もしたたる、ひどい有様ですわ」
大の字に倒れ、着衣が乱れたルフィールの金髪には青い海藻が絡みついている。
「そんなことより、ニジイロタカアシガニは大丈夫なの!?」
いち早く立ち上がったセフィールは、一目散に船べりに飛びついた。が、どうやら網ごと波に流されたようで、ニジイロタカアシガニの姿はどこにも見えなかった。
「親方、今の船は何なのでしょう?」
大波をかぶった割に綺麗な身なりのピートが、漁師に尋ねる。
「ああ、ありゃ、海軍の高速艇だな」
「海軍の高速艇?」とセフィールが小首を傾ける。
「もうすぐ、この国の王女様の結婚式があるんだ。それに色んな国の王様や大臣が来るのさ。それで海上を
セフィールたちの視線の先、その高速艇は既に洋上はるか彼方に停泊していた。高速艇から立ち昇る黒い煙をぼんやりと眺め、セフィールはため息まじりにつぶやいた。
「はぁ……。夕食のニジイロタカアシガニが……、高級ディナーが……」
紺碧の空の下、高速艇の汽笛が「ボー」と低く重く響いた。
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