習作『日記が書けない人のお話』(約3,300文字)

 いつかの助手席と同じ匂いがした。

 ふたつ年上の大学生の恋人との、いま思えばなんとも初々しいドライブデート。すっかり日も暮れたその終わり、あとは車を降りるだけ、というその最後の一歩が、でもどうしても踏み出せない。降りたくない。自分でこの夢みたいな一日にお別れを告げろだなんて、そんなのいくらなんでも残酷すぎる。だからってそこに居座り続けてもどうしようもないのに、それでも時間に気づかないふりして延々粘ってしまう、あの名残の夜と同じ空気がそこにはあった。


 ハイラルの大地は広く美しくて、この旅がずっと終わらなければいいのにと心底願った。


 ようやく購入の決心がついた名作ゲームソフト、『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』。そこにいた。このふた月の間、およそ現実のすべてをなげうって、私はあの広大な世界を駆け巡っていた。おかげで事実上の蒸発状態になっていたSNS、そこに久方ぶりに顔を出してみれば、なんかみんなで日記を書いて盛り上がっているのが見えた。ずるい。私も混ざるー、と反射的に思ったものの、でも日記だけは書ける気がしない。苦手だ。SNSの百文字ちょいでさえ毎回「何を書けばいいの……」と固まる私に、日記というのは文字通りの無理難題だった。


 架空のお話であればなんとかなる。いや、客観的評価として〝書けている〟と言えるレベルかどうかはさておき、とりあえずまとまった量の文字を吐き出すことはできた。日記は無理だ。なぜ、どうして、なんのために——書く動機というか文の存在理由というか、まず「日記って何」という次元で、基本的な作法をつかめていない実感がある。


 ——一体、何を書けというのだろう?

 その日一日の記録である以上、すでに書くべきことは全部確定してしまっているのに。


 例えば、話者たる『私』にこれから何が起こるのか。その出来事を前にどういう感想を抱き、そしてこいつはどういう人間なのか。それを発掘して固着させるために〝書く〟という工程が必要になるのに、しかし日記の場合、その辺がもう完成されてしまっている。

 こうなるともう書く理由自体がない。ただ忘れないようにするための記録でいいなら、たぶん箇条書きっていうか買い物メモみたいな感じになると思う。例えば『ゼルダ』『楽しい』『最高』『シド王子の声が性的。とても興奮した。神獣攻略戦の「行けェーッ!」がいい。でも一度クリアしちゃうともう聞けないので寂しい。また聴きたい。もう一度彼と一緒に戦いたい。あの大きくて広い背中の頼もしさが忘れられない。抱いてほしい。優しく私のことを慰めて、嫌なこと全部忘れさせてほしい。逢いたい。神様。彼に、逢いたい』で済む。急に助手席とか言い出す必要はなかったし、その助手席の彼の顔が私の脳内、シド王子で再生されちゃうことだってなかった。


 時の流れというのは残酷だ。大事な思い出を丸く曖昧にぼやけさせて、あとには露骨に美化されたその名残りばかりが残る。あの中古のダイハツ・ミライース、いま思えばいかにも大学生らしい小さな車の、その車内があの日の私の世界のすべてだ。そう思った。書いてるうちになんかだんだんそんな気がしてきた。実際にはそんな言うほどでもなかったというか、そも私に大学生の恋人がいた記憶などなくて、なにより「誰、この『私』って」と思いながら書いている。誰こいつ。どこのどちら様でいったい何者。その答えを知るための唯一の手段、それが〝書く〟という行為であり、そして私はその他に〝書く〟というものを知らない。


 恋をしていた。あれこそ恋だったといま私の指が決めた。果たしてそんな一夜が現実にあったか、それはさておき少なくとも〝助手席〟は嘘だ。無い記憶は連想しようがない。ここだけは本当に本当の本音を言うけど、最初に私の脳内に浮かんだのは、

「ゼルダすごい。やめどきがなくて、もう無限にずるずる続けちゃう……きっと私がマイクラ不倫部屋にいたらこんな感じ」

 であって、それじゃあんまりだからと急遽生み出された過去、それが「助手席から降りたくない瞬間ってあるよね?」という翻案だ。ずるずる先延ばしにしたところで時間が無限に伸びてくれるわけじゃないのに、平気で夜中の二時三時と延々車内でイチャイチャこいてた、あのアホの十代の可愛らしい思い出に変換してやる必要があった。だってマイクラ不倫部屋では同意も共感も得られそうにないし、そも「何、マイクラ不倫部屋って」という話になる。知らない。なんだろうマイクラ不倫部屋って。ちょっと前にSNSで見かけて、あまりにも力強い単語だったので忘れられないだけだ。だからってありもしない過去を日記に書くな、という話かもしれないけれど、でもそれを言ったらマイクラ不倫部屋だってただの勝手な想像だ。実質どっちも大差ないと思う。ていうか本当に何マイクラ不倫部屋って。


 ちょっと昔、確か一年くらい前のこと、私は『花束みたいな恋をした』という映画を観た。名作だった。主人公のカップルが同棲中、ふたりで漫画『宝石の国』を読んで一緒に泣いて、なんとそれを美しい思い出にしてしまっていた。とんでもねえなと思った。確かに『宝石の国』も名作には違いないけど、でも一緒に泣いて感動した作品のチョイスとしてはなかなかパワーがありすぎるんじゃ——なんて、おおよそそんなことをSNSに書き残しちゃった記憶があるけど、それも半分くらいは自傷みたいなものだ。

 ドロッドロの鬱ストーリーでも綺麗な涙にしてしまえるのが若さというもの。現に彼とふたりで『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観て顔中ぐしゃぐしゃにして泣いて、それを綺麗な思い出どころか拠り所にしちゃってる人間の言っていいことじゃない。ボロ泣きする彼の綺麗な横顔、その白い歯がきらりと光るのが見えて、つまり彼はまだシド王子のままだ。仕様がない。もとより存在すらしない、即席の思い出ならそれも詮ない話。


 ハイラルは美しくて、夏のデートの終わりのような去り難さがあって、でもそれこそが私の何より欲した幻想——それはきっと、物語で一番美しい瞬間だ。

 いまだ日記は書けない。できて架空の物語がギリギリだ。あの日、まだ花束みたいな恋に生きていたあの頃、あるいは出せずじまいだったかもしれないラブレターには、ありもしない夢と願いばかりが綴られていた。見栄と嘘で固めた都合のいい『私』。ただ募る想いだけが本物で、しかしそれも大人になればきっと変わってしまうのだと——否が応でも〝本当〟しか書けなくなるのだと、そんな思い込みもまた若さゆえのこと。


 私はまだあの地平の先、広い虚構と幻想の庭を駆け巡り、野生動物を狩ってキノコ全部採って、そしてライネルやガーディアンをボコボコしばき回して生き肝を獲ったりしている。思い知れバカが。よくも序盤で散々怖がらせてくれたな。

 やめられない。もうやれることあらかたやり尽くしちゃったせいで、いよいよグリッチ(バグ技)による床抜けまで始めた。もうだめだ。いや違うのだって反応があるのにどうしても取れない宝箱があるから、なんて、そんなの言い訳にもならないって自分でわかる。


 文字を書く行為は地面を掘るのと似ている。大地の当たり判定をメリメリ突き抜けてその下、本当なら絶対に手の届かない秘密の宝箱を暴くのと同じだ。嘘もつき続けると本当になる、なんてことは残念ながらないけど、身の周りに何ひとつ〝本当〟がなくなるくらいならできる。


 生きるのに大事なこと全部かなぐり捨てた私は、こうして今日もまた恋をする。

 この広く美しいハイラル、ありもしない幻想の箱庭に、嘘と知りながら居座り続ける。


 デートじゃない。もう一緒に出かけたりビョークのミュージカル映画を見ていやああもうやめだげでえええって泣く彼はいなくて、もちろんシド王子だってあの共闘以来ずっと姉の石像の前で物思いに耽るばかりで、でもそれだって別に寂しくない。

 恥ずかしながら、知らなかった。出不精のせいで、この歳まで、こんな簡単で大事なことを。


 この広く美しいハイラルの大地が、今日も私に教えてくれる。

 人が旅をするのはきっと、世界に恋をしているからなのだ、と。




〈日記が書けない人のお話 了〉




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