第11話



 神結かみゆいヒビキは、まこと悪意に敏感であった。彼女が神社の生まれであることもたたっているらしい。幼いころから、境内けいだいの〝清めの水〟をがぶ飲みしていたからだとか。

 それだけに、人一倍、自分にむけられた悪意というものを察しやすい。ああその点で語れば、さっきの魔法少女育成科の少年は、気持ちのイイぐらいまっすぐな善意だった。


 なればこそ、すぱっと吹き抜ける善意があるからこそ。——底抜けの悪意が、この劇場内でより顕著に感じ取れたのだろう。


「わざわざおびき出すとか、ハハッ……こっち病人だぞっと」

「アァ? ンだお前? なァんか指定されたターゲットとは全然ちげェよォに見えるが……そもそもが、女だァ?」


 劇場外。

 鉄柵に囲われた敷地内の、ていねいに手入れされた林道にて。全長にして一◯◯メートルを凌ぐロザリオ型の鉄柵に、鷹揚おうようと座っている男がいた。


「……どうやって登ったの? チケット入場が基本の劇場内だからさ、観覧チケットを持っていない人は爪弾つまはじきにする結界が張ってある筈なんだけどな」

「アー、いやお前。ホントに無関係の石ころかよ……ッたく。困るんだよなァ、せいぜい善意が働いたぐらいで行動に移すグズ」

「質問に答えてほしいんだなぁ。けっこうな重罪らしいからさ」

「二つ返事するよォにいじッてねェんだよ、俺の頭は」


 ひどく面倒なものを相手にするよう、男はゆっくり首をかぶき、

 死のまぬがれない高高度から、ひょいと降りた。


「……何者?」

「ハッ! 一つ目の質問の回答すら貰えてねェのに質問二つ目ですかァ。ダメだよな、相手のペースを守り自分のペースを配分する——会話のセオリーだろォが」

わかった。その気があるらしいし、無力化してから会話をしようかな」


 空色の毛髪が、ヒビキを嘲笑うようにざわめく。

 はじめから対話の余地はなかったらしい。ヒビキはすみやかにブレスレットを掲げ、男をにらみ据え、スタートアップコマンドを叫ぶ。


「トゥインクルッッッ‼︎」

「あン……?」


 猛烈なかがやきがヒビキを包む。帯状おびじょうの光がその全身を彩り、たちまち誕生するのは、魔法少女ヒビキの姿だ。


 これを、男はきょとんと眺め、


「そォかよ、そッかそォかァ……お前ェ、お前が魔法少女ヒビキかァ!」

「————————っ」

「イイなァッたく……奪い甲斐のありそォな資源エネルギーだッつーの」

「資源⁉︎ まさかあなた、」


 刹那。ほんの一刹那。

 男の周りに数式めいたものが浮かび上がった。


「正体とかうざッてェの、どォでもいいンだよなァ。肝要なのはお互いの敵意・害意、ンでどッちが悪者になッちまうかだ。俺ァ悪党を食い潰すからァ? くくりとしちャあ正義に入ンのかね?」

「……。自分の中に身勝手な持論をもっている人、これだからニガテだな!」


 ヒビキは眉を不快のかたちに歪めるや、走る。さいして、地表は爆発物でも起爆したかのようにめくれ上がった。人間の力量を超えたちからの物証。


 ——ここでひとつ。魔法少女の力のみなもととは?

 決まっている。可愛さだ。可愛ければ勝つ。可愛いければよし。


 つねに装着しているブレスレットが、〝可愛い〟という要素をまるごと規格外の魔力チカラに変換する。あとは、この溢れる魔力によって人間がかかえる無駄をひとつひとつしらみ潰しにしていけばよい。

 魔法少女とはつまり、魔力によって身体能力を底上げしたリミッター解除状態の人間だ。もちろん、人間としてのセーブ機能を外した代償はとても大きい。死は避けられない。


 これをカバーするのが、魔法のステッキの役割である。このステッキ自体が法外な魔力を帯びた礼装れいそうなのだ。攻撃はむろん、手放てばなしたセーブ機能の代わりを担う防衛機能も担ってくれるシロモノである。

 だから、魔法少女は入場チケットによる国民投票がなくとも強い。使用者が可愛くありつづけるかぎり、チカラを獲得しつづけるワケだ。


 だが、


「何のさくがあッてお前らお得意の原理不明瞭な魔法をあつかう魔法少女と、明確な原理のある科学の産物ドールが見せ物ショーにされてると思ってやがる。科学がッ、魔法を元にして作られたもう一つの手段だッて話だろォがァッ‼︎」

「づッウあ……っ⁉︎」


 ゼロコンマ数秒以下。

 これが、男の前に躍り出たヒビキが、端正な顔面をパンチされた秒数だ。


「ハハッヒャハハハハ‼︎ 魔法と並んで便利な科学がッ、他の惑星からッ、資源をごッそり掻ッさらうッ、そのデータ収集のために戦わされる————」

「ァ、う、あア……っ」

「ホント、ゴミみてェなセカイだよここは。侵略戦争のために育成されてる人間兵器(モルモット)と、それを育て上げる実験場セカイ……。だがもッとうンざりなのは、お前ェみてェな魔法少女。

 ————なァ。どれぐらい騙くらかしてきやがッた、その輝きで」


 がっちりと後頭部を掴まれて、ヒビキは地面に鼻面を叩きつけられる。


「分かンだろ光があンなら影があるッつーことぐれェ。お前ェ、いままでどンだけ光でいつづけやがッた」


 がつん。ふたたび地面とキスをするヒビキ。鼻の血管が切れた。ぼたぼた滴る血が、人工芝をべっとりぬらしていく。


反吐へどが出ンだよ偽物やろォ。お前が魔法少女? なァんだ笑い誘ッてんのか? ンな三文芝居で、心ォ動くよォにできてねェよ」


 ごぎり。みたび地面に額付けられた。おでこにひどい裂傷、前頭葉があぶないほど頭蓋骨にヒビが走る。いよいよ意識をうすくさせた。


「……っ、あ、……かふ……ッ」


 もはや意識などあるかどうか。ボロ布とそう変わらないおすがた。

 すると、それこそボロ雑巾ぞうきんのように蹴り飛ばされるヒビキ。もんどり打ち、どさりと重たくなったからだを地面になげだす。


「アー無理に言葉ァ喋る必要ねェよ。どォせ根こそぎ資源奪うだけだ。……ハッ。お前はここで死ぬだけだしな」


 ふたたび、ヒビキの頭蓋をつかむ男。こんどは前髪を。

 悪い夢を見ているかのようだ。激痛はもはやキャパオーバー。神経は痛みを訴えることもやめたようで、全身はふしぜんに脱力している。


 ここで、死ぬのだ。やっと劇場の花形はながたを飾れた本日。ここにて、神結ヒビキは没す。


 いいや、思い上がりがすぎたやもしれない。花形だとか、可愛さを求めるだとか、けっきょくは自分の思い上がりなもので。


「(せめて、)」


 ヒビキはぼうっとした頭で、魔法少女に関係のないことを考えてみる。ほんとうに無関係だ。いっそ不要なものでしかない。

 だけど、新鮮な死が目の前にあるのだから、今ばかりは許されようか。


「(ふつうの女の子らしく。恋とか、したかった、かな……ぁ)」


 虚脱の表情。——にめがけて、ふるわれる穿手。


 それが、がしりと掴まれた。


「…………?」

「————————あン?」


 感ぜるのは巨大な悪意。膨大な善意。


「なんのつもりだよ……魔法少女から可愛さを奪うとか、どういう了見りょうけんだよッッッ⁉︎」

「なンだァお前……? 自分が何言ッてンのか解ッてンのかよ」

「あぁ。魔法少女から可愛さを奪うな。……二度も言わせるなッ‼︎」


 無石むせき能砥のうと。魔法少女志望。

 彼は、男の腕を力強くふりはらった。


「ヒーロー気取りかよォお前? だとしたら満点だろォな。そこの死にかけ、お前に惚れたりしたンじゃねェかな。うン?」

「違う。ヒーローになりたいんじゃない。俺は魔法少女になりたいんだ」

「……ハッ。ヒャハアハハハハハア‼︎ なンだお前。なンなンだお前、面白ェなァ?」


 笑殺せんばかりに、男は腹をかかえた。さぞや面白いジョークでも聞いたような。

 それでも能砥は大真面目だ。大真面目だから、ここにいる。ここに現れた。誰かが死にそうな場所に、自分の後先など考えるまでもなく突っ走った。


「で? お前に何ができンだよ」

「魔法少女を助ける。そのために来たんだ」

「ふゥン。できるつもりでいやがるッてかァ? それとも何だ? このセカイじゃ、魔法少女ッてなァ男でもなれンのかよ」

「なれる、じゃない。なる。……俺は魔法少女に、なる」


 揶揄からかうような口ぶりに、けれど一切引くつもりはなく能砥は応える。その眼差しは熱く敵意を孕んでいた。

 しかしながら、無策。助ける力すら見込めない。しょせん魔術にすこし幅を利かせられる程度だ。魔法はいまだ使えた試しがない。


 ——いや。そうではないのだ。魔法を使える必要があるのだ。男が魔法少女になるという奇跡じみた魔法が。


「頼むぜ。今、この一時かぎりでも構わない。俺は、魔法少女にならなくちゃあいけない。魔法少女を助けるんだ」

「何をワケわかンねェことをぶつぶつと、」

「トゥインクルゥウゥウウゥウッッッ‼︎」


 スタートアップコマンド。

 掲げ上げたブレスレットに、能砥は見よう見まね、変身の呪詛を叫ぶ。


 もちろん、何も起こらないのが定石だ。過去にブレスレットを盗んで、スタートアップコマンドを叫んだ男性の事例が山ほどある。結果はもちろん失敗ばかりだ。

 当たり前だ。魔法少女には極大に〝可愛さ〟たりえる要素が必要なのだ。ブレスレットに認められることも必須ひっすである。なにより、国からの認可を受けねば魔法少女に変身することなど叶う筈もない。


 それだけに、極光がその場を支配したことが衝撃だった。


「————!」

「なンだッてンだ……ッ⁉︎」


 ポップなリボンが能砥をいろどる。学園の制服は光のなかで弾け、代わりに魔力の糸が編み出した衣装に様変わり。


 髪は腰元にまで伸びる朱色のツインテール。

 背丈は、三◯センチ以上も縮んだ一四◯センチへと。

 顔のつくりは幼さを残した女性的なものに。


「土下座させて、後悔させる……魔法少女に傷をつけたことを♡」

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