九条院家の存亡

天川一三

プロローグ:2017年

リバース、リバース(REVERSE、RE-BIRTH)

 ざわざわと辺りが妙に騒々しい。

 あまりの騒がしさに目が覚めた。

 背中にひんやりとした地面の固い感触がする。僕はどうやら倒れてるようだ。

 とても長い眠りから覚めたように、頭がひどくぼんやりとする。

 体を起こそうとしたら、手首に激痛が走り、よろけた拍子に肘を打ちつけ、思わず声が出た。


「おい、大丈夫か?」


 誰かが駆け寄ってきて、僕の顔をのぞき込む。
 その顔を見返すと、その男は額から流血していてかなり痛々しい。

 血に染まった顔で人相がわかり辛いが、なんとなく見覚えのある顔だ。

「そのままでいいから答えろ! お前は誰なんだ? レイなのか?」

 流血男が声を荒げた。


 レイだって?

 なんだかすごく懐かしい名前のような気もするけど、僕の名前じゃない。

 とにかく彼は僕の名前を知らないようだ。

 じゃあ、顔見知りだと思ったのは、僕の間違いだろうか?

 でも、すごく頻繁に顔を合わせていたような気がしてならない。


「俺は誰なんだ? 俺の体は誰のなんだ?」

 流血男は怪我で混乱でもしているのだろう、わけのわからないことをまくしたてている。


「いい加減、状況把握しなさいよ。あなたは──、いや、あなたの体は彼のものよ。そして──、私の体はあなたのものよ」

 声のほうを見ると、流血男の背後に、もう一人、とても背の高い男が立っていた。


 流血男が振り向き、素っ頓狂な声をあげた。

じゃないか! お前・・は! お前・・は誰なんだ?」


 僕には、この人たちの言ってることがさっぱりわからない。

 考えるのは混乱するだけのように思い、痛む手首と肘をさすることに専念した。

 もしかしたら、足も痛めてるかもしれない。

 すぐに足のほうを見てみると、バックパックを背負った男たちが遠巻きに、パシャパシャと携帯カメラで撮影していた。

 何なんだこいつらと思いつつ、足を確認すると──、

 とてもきれいなすらりとした生足が見えた。

 僕の足にしては細すぎる気がした。

 誰かもう一人、僕の横で倒れてるのだろうか? 

 試しに自分の足を動かしてみると、その細い足が動いた!

「この足! 誰の!?」

 妙な違和感に思わず声が上ずる。


「それは、私の体よ。よかったわ。私の体がストーカー男じゃなくて、あなたで」


「ということは、お前がレイなのか?」

 流血男が立ち上がり、後ろに立つ背の高い学生服の男を見上げた。


「ほんとに理解が遅いわね。状況把握能力ゼロなんじゃないの? こんな洞察力のない一族に私たちの企業が負けたなんて、腹立たしいというか、くやしすぎ!」


「やっぱり、お前がレイか!」


「そうよ。このストーカー男! 過去まで追いかけてくるなんて、なんて粘着質なの! それより、あっち行け! この変態男ども!」


 背の高い男が携帯写真を撮っている男たちを蹴散らした。

 未練がましそうに振り向きざまに僕に携帯を向けながら、男たちが散っていった。


「あのー、よければ、僕にもその状況というのを教えてもらえませんか?」

 おそるおそる、背の高い男に声をかけた。


「もう! かおるったら、そんなだらしない格好で寝てないで早く起きなさい!」

 男が僕の腰のあたりを指さした。


 さっきから変なしゃべり方をする男だな?

 と思いつつ、自分の腰を見てみると──。

 スカートがあられもなくはだけていた。


 うん。確かに、これじゃみっともないかもね。

 いや……、なんか違うよな……。


「ええ〜! どうしてスカートが!?」


「郁もストーカー男に負けず劣らず鈍いわね。その声でおかしいことにとっとと気付きなさいよ」


 オカマ言葉の背の高い男がスカートのめくれを丁寧に直しながら、僕を抱き起こしてくれた。


「大した怪我はないようだけど、手が痛むのね。頭を打ってるかもしれないから、あまり動かないほうがいいんだけど、ここから早く移動したほうがいいかも。ガソリンが漏れてるし」


 どうにか立ち上がると、非日常的な光景がそこにあった。

 黒い大型ボックスカーが喫茶店らしき店舗に突き刺さっていた。

 車体の半分が店内にめりこんでいる。

 オープンテラスと思われる場所には、ガラスの破片とテーブルの残骸が無残に散らばり、衝突時の衝撃の凄さを物語っている。

 これじゃ、人も集まるはずだ……。


 呆けたように、その有様に見入る僕の手を男が急かすように引く。

「私はれいよ。今はこんな姿だけどね」

 

 レイ…………? レイ……。


 ああ、麗ちゃんか? って、はあ、この男がっ!?

 背が高いせいか、男の歩調は異様に速く、小走りでついて行くのがやっとだった。

 揺れる視界で男の横顔を見上げた。

 どこをどう見ても明らかに麗ちゃんじゃないが、よく見ると見覚えのある顔だった。


「タイムマシン」と男がつぶやいた。


「タイムマシン……?」

 僕はそのままオウム返しをする。


「開発責任者から記憶障害の話は聞いたでしょ? どうやらタイムマシンの弊害はそれだけじゃなかったようね」

 ボックスカーからかなり離れた所まで来ると、男は立ち止まった。


 流血男も慌てたように僕らに駆け寄って来た。

「それで、麗はやはり郁なのか?」

 流血男が訊くと、背の高い男は僕らを見下ろし、ふてぶてしい笑みを投げかけた。


 僕は思った。

 このいけ好かない笑い顔、よく憶えてるぞ。これは、確か──。


 今にも思い出しかけそうな矢先、背の高い男が流血男を指さした。

「ストーカー男! いえ、五稜篤ごりょうあつし。もうわかったでしょ。私の体はあなた──、つまり篤のもので、心は私こと九条院麗くじょういんれい。私の元の体には日々之郁ひびのかおるが入っているの。そして、あなたの体は郁のものよ」


「タイムマシンのせいなのか?」

 その言葉に動じたのか、流血男の目が泳いでいる。


「そんなことくらい、すぐわかるでしょ。それしかないんだから」


「なんてことだ!」

 流血男が頭を抱えこんだ。


 そして、ようやく僕にも今の状況が少しずつ飲み込めてきた。

 そう。僕と麗ちゃんはあの日、タイムマシンに乗って過去に旅立つところだったんだ。

 そこへ、五稜篤が現れて……。


「私たちは過去へ遡り、どうやら一年ほどは記憶喪失のまま、それぞれの人生を生きてきたようね。その記憶はあなたたちにも残ってるでしょ? そして、命を狙われるほどの厄介事にも巻き込まれてるようね。そのおかげで幸か不幸か、記憶がよみがえったわけだけど。それが現在の状況といったところね」


 そう言うと、背の高い男こと五稜篤、いや、僕の麗ちゃんが、またふてぶてしくニヤリと笑った。

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