第3話 偽悪者は少女に相談する

 いつの間にか歯が軋む程に強く噛み締めていたみたいだ。ゆっくりと力を抜いてから気分を落ち着けて周囲を確認する。時代的にはやや近代に足を突っ込んだくらいの文化だろうか。建ち並ぶ建物は三階建てくらいまででわりとしっかりした作りだ。道も石で舗装されている。道行く人々の服装は中世ヨーロッパを思わせるものもあれば、ジーンズにワイシャツという現代的な服装のものもいた。見上げると太陽が一つ輝いていた。地球と同じであれば位置から考えて午前中か。

 これからどうしようか。なんのあてもないこの状況ではまず間違いなく死ぬ。なんとかして情報を集めなくてはいけない。

 ゆっくりと歩きながら視線をあちこちに飛ばす。色々な店が並んでいることからこの当たりは商業区画なのだろう。

「お兄さん櫛はいかがですか? 夜の蝶にプレゼントすれば機嫌よくサービスしてくれますよ」

 ちょっとした広場に入ったとたんに少女に声をかけられた。十二才くらいだろうか。籠のなかに木製の櫛が入っているので売り子なのだろう。このくらいの歳でこの売り口上はどうなのかと思うがここは異世界だ、常識が違うのかもしれない。

「いや、……」

 断ろうとして思い止まった。これはチャンスだ。

「実は外国から来たばかりでこの国のことに疎いんだ。よかったら色々聞かせてくれないか」

 少女は無言で右手を突き出す。意味がわからずその右手を凝視した。

「あのね、お兄さん。こっちは商売をやってるの。時間をとらせるなら渡すものがあるでしょ」

 もっともな言い分であり、聞きたくないアドバイスであった。

「金はない」

 あっさりと白状した。誤魔化しても仕方ない。

「はあ? 無一文ってお兄さん家出でもしてきたの? 貴族の息子とか?」

 さっきまでの営業スマイルは欠片も残さず消えさって、少女はうろんげな表情になる。

「貴族じゃない、家出みたいなものだが」

「家出ねえ」

 少女は値踏みするように俺の頭から足までを見て盛大に舌打ちした。

「面倒なのに声かけちゃったわね。まあ、いいや。その腕に巻いてるの時計でしょ? 売ればいい値段になるから後で櫛を買ってね」

 彼女の話しによればこの世界の時間も地球と変わらないようだ。時計は少し大きめの懐中時計が主流でそれも貴族や富豪が道楽で所持する程度、俺がつけているような小さな腕時計はなくはないが非常に希少であるそうだ。

「それで何を聞きたいのかな」


 まず現在僕がいるのは城塞都市ルガンド。マニアス聖国の東端に位置し、隣国に対する防衛拠点として機能している。

 通貨は上から白金貨、金貨、銀貨、銅貨、小銅貨となる。日本円で言えば上から百万円、十万円、一万円、千円、百円くらいの価値となる。

 よそ者が出来る仕事はない。あるとすれば冒険者くらいだ。

「でもねえ、冒険者ってすぐ死んじゃうし」

 強い冒険者は憧れのまとだ。毎年冒険者になる少年少女は多い。しかし、そのほとんどは死に僅かに生き残ったものは夢破れて田舎に帰ることになる。

「やっぱり危険なのか」

「そりゃあねえ。魔物を倒して魔石を売るのが基本だし。雑魚相手でも死ぬこともあるらしいよ」

「でも、他に仕事にはつけないんだよな」

「まあね。あっ、死ぬ前に櫛買ってよ」

 他にも色々聞いてから少女と別れる。目指すは少女に教えてもらった宝飾店だ。言われた通りに歩いて小さな店に入る。上品な店内に場違いだなと気後れしたが、どうでもいいことだと思いなおす。俺は俺のやりたいようにやるだけだ。

「すみません、時計の買い取りをお願いしたいのですが」

 近くにいた男性店員に声をかけて腕時計をみせる。

「少々お待ち下さい」

 男性店員は奥に引っ込むと初老の男性を連れてきた。

「おまたせいたしました。支店長のクリフです。時計の買い取りをご希望ですね」

 初老の男性、クリフは腕時計を受け取って興味深そうにしている。

「なかなかの一品ですね。金貨三枚でいかがですか」

 高いのかやすいのか基準分からなかったが、店に並んでいる時計の値段からして買い取り価格としてはそんものだろう。俺は素直に頷いて金貨三枚を受け取った。

 一度広場に戻ったが、さっきの少女はもういなかった。櫛を買うのはまた今度でいいだろう。

 すでに日が傾きつつあったので急いで冒険者ギルドに向かう。

 冒険者ギルドの建物は想像していたよりも普通だった。隣にある喫茶店と外見上の違いはほとんどない。本当にここが冒険者ギルドなのだろうか。

 迷っていても仕方ない。木製のドアを開けて中に入る。中はがらんとしていた。簡素な鎧をつけた冒険者らしき男が数人、カウンターで受付嬢と話している。

 空いているカウンターで受付嬢に声をかける。

「冒険者登録はこちらで宜しいですか」

「あ、はい。まずこちらに記入をお願いします」

 応対してくれたのは三十代前半くらいの女性で中々の美人だった。ちょっと冷たい印象の顔立ちだが丁寧に説明してくれる。

「名前以外は記入義務はありませんけど、できるだけ書いて下さいね」

 渡された用紙には名前や出身地、職業欄などがある。特技欄はスキルを書くところだろうか。あのいまいましい自己犠牲とかいうスキルを書く気にはなれなかった。となると名前ぐらいしか書くことがない。

「レイさんですか。あー、まあ名前だけでもいいんですけどねえ」

 家名は貴族の証だと櫛売り少女に言われたので書いていない。

「ではこれがギルド証になります。ただの木札だからってなくさないで下さいよ。ちゃんと身分証として使えますからね」

 渡されたのは小さな木札。俺の名前と冒険者ギルドの紋章が書かれている。

「ざっと説明しますね。冒険者にはランクが設定されていてAからFまであります。レイさんはF階級ですね。F階級は見習いみたいなもので他の街だと冒険者とは認められません。必ず当ギルドで仕事をして下さい。冒険者の仕事は大別して二つ、魔石の売却と依頼の達成です。依頼はあちらの掲示板で確認して下さい。ランクによって受けられないものもありますので注意して下さいね。他の細々したことは二階の資料室で調べて下さい。さて、何かご質問はありませんか?」

「俺でも稼げる仕事はありますか」

 問題はそこに集約される。普通に働くならともかく、冒険者として出来る仕事はあるのだろうか。

「F級だと依頼はほとんど受けられません。となると魔物を倒して魔石を売るしかありませんが、どの程度戦えますか」

 武道の経験なんて学校の授業くらいしか経験がない。まったくの素人だ。

「戦ったこともありません」

「ではリトルボア狩りですね。草を食べているところを後ろから近づいて首にナイフを突き刺すだけで倒せます。簡単な獲物ではありますが魔物は魔物です。油断してはいけませんよ」

 さらにいくつか質問してから冒険者ギルドをでて武器屋に向かう。受付嬢さんに聞いたお勧めの武器屋のドアを開くと中から言い争う声が聞こえた。

「このくっそ親父ぃー‼ 剣ばっか叩いてねえで店番をやりやがれー!」

「わしは鍛治師だ、店番なんぞやってられっかー!」

「作ったもん売らなきゃ意味ねーだろうが!」

 若い娘といかつい男がにらみ合っていた。若い娘の方には見覚えがある。というかついさっき合ったばかりの人物だ。

「さっきぶりだな、櫛売り娘」

「変な愛称でよぶな‼ てかさっきのお兄さん? なに、つけてきたの」

 少女は自分を抱き締めるような仕草をして後ずさる。

「違う。武器を買いにきただけだ」

「え、お客様? まじで? ちょっとお父さん引っ込んでて」

 少女は男を遠慮なく蹴って奥に無理矢理押し込んでいく。

「おい、父親にたいしてなんだその態度は! 痛いぞこら、けるな!」

 父親を店先から追い出した少女は満足そうにカウンターに戻ってきてにっこりと微笑んだ。

「お客様、本日のご用向きは」

「嘘くさい笑顔だな、櫛売り娘」

「うっさいわね。こちとら商売で笑ってやってんのよ感謝しなさい。それと私はソフィアよ、今度櫛売り娘なんていったらぶとばすからね」

 営業スマイルは一瞬で消え失せてややけんのある表情があらわになった。どちらかといえばソフィアはこちらの雰囲気のほうが似合っている。

「ソフィアだな。俺はレイだ」

「そういや名前聞いてなかったわね。レイね。うん、覚えたわ。それで何が欲しいの?」

 冒険者登録をしたことも含めて、ひととおり説明するとソフィアは腕をくんでうんうん唸る。

「リトルボア狩りねえ、上手くいってもその日暮らしよ。そのくらいじゃあ」

 それは冒険者ギルドでも忠告されている。

「他に仕事もないし仕方ない」

 ソフィアは真剣な顔で少しカウンターから乗り出した。

「レイさあ、何があったか知らないけど、この世の終わりみたいなしんきくさい目付きしてるよ。適当に死のうとか考えてない?」

「そんなつもりはない」

 即答したが内心ではかなり動揺した。もしかしたらやけっぱちになっていたかもしれない。進んで死のうとは思わないが死んでもかまわないぐらいの気持ちは確かにあった。気概があればクラスメイトやあの女神に復讐しただろうが、俺にそんなつもりはまったくない。というかあんな奴らなんてひたすらどうでもいい。関わりたくもない。

 では俺はこの世界でどうしたいのか?

「まあいいけどね。どうせお金ないんでしょ? なら防具は買えないだろうし、リトルボアならこのナイフで充分でしょ」

 思索の海にはまりかけたところで無理矢理引き戻してさしだされたナイフを確認する。特徴のない普通のナイフである。

「中古品だけど整備しなおしてあるから綺麗でしょ? これで銀貨五枚でいいわ。いっとくけど、これより安くてリトルボア狩りに使えるのはないからね」

「これをもらうよ」

 ちょっとは疑いなさいよとソフィアは小声でいいつつも、ナイフの整備に必要な道具や消耗品をおまけでつけてくれた。

「聞いてるだろうけど、リトルボア狩りは競争よ。朝一で狩りに行きなさい。今から行っても無駄だから今日は宿をとって早く寝るのよ」

 年下のくせに母親みたいなことを言う奴だ。でも忠告はありがたい。今日は宿屋でさっさと寝てしまおう。

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