夏 お豆のかほり

「まめまめまん~め、ケツ豆、ままん~め、めめめ」

 廉太郎の父であり村の執行役員でもある泰さんは、ズボンを半分おろしながら楽しげに口ずさんでいた。よほどうれしいのか、毛の生えた汚らしい半ケツをフリフリしながら、汗だくでスキップしていた。

「まんめえ~よう、まめえ、ケツのまめえ、あ~んたのお豆があ、ああ~ん、や~ん、ふんふんふん」

 調子よく唄っているのは、泰さんの母親であるソノ婆さんだ。言っていることは意味不明だが、どことなく淫らなニオイが漂っていた。

「もう、家の前で恥ずかしいからやめてよ、お父さん。おばあちゃんも」

 廉太郎の姉は呆れていたが、努めて止めさせようとはしなかった。ばっかじゃないの、ばっかじゃないのと言うが、じつは本気で嫌がってはいない。それどころか父のズボンを捲し上げながら、「まめよう、まめよう」と彼女自身も唄っているのだ。

 そこに血相をかけた廉太郎の母、久美子がやってきた。

「まめはっ、まめはっ、ケツ豆、ハッ」

 自分が参加していないことに焦っていて、少しばかり声がうわずっていた。底が  真っ黒に焦げた鍋を片手に持ち、腰を無茶苦茶に振り回すだけの粗雑な踊りを披露し始めた。

 たった今、この一家にある知らせが届いた。それは今年になって村で三人目の赤ん坊が生まれたということだ。クリニックにつめていた廉太郎の父が突っ走って帰り、家族に伝えたのだった。

 村で一年に生まれる子供は、多くて一人だ。年に三人以上の赤ん坊が生まれるのは、この小さな村にとっては、おめでたい出来事なのだ。

 廉太郎もうれしくてたまらなかった。まめまめ言いながら姉の尻を蹴りとばした。

「あっひー、まめまめ」と叫びながら、亜矢は弟の顔をかきむしった。

「まんめ~よう」

 ソノ婆さんは、さらに調子が良くなった。皺だらけになった長い乳房をわざと露出させ、ぶるんぶるんと回していた。 

 夫婦は意味不明な踊りに夢中だった。前かがみになった夫が股の間から手を出して、さらに尻のワレメにあてて軽く叩く。久美子がそのニオイを嗅ぐしぐさをする。その行為を何度も繰り返し、頃合いになったところで夫の尻をおもいっきり蹴とばした。「はっひーー」

 廉太郎がクリニックから戻ったときにはすでに陽が落ちていたので、すっかりと夜になっているのだが、泰さん一家の騒動は終わる気配を見せなかった。

 この一家のお向さんは自転車屋だ。横長の看板にピンクのネオンが点っている。主人とおかみさんが妖しい色に染まりながら、やはり、まめまめと叫んで踊っていた。やがて別の家々からも住人が外に出てきた。村の全員が喜びに満ちていた。

 皆がこれほど歓喜するのには理由があった。村に三人以上の赤ん坊が生まれた年には、ケツ豆を栽培する決まりだからだ。

 ケツ豆は特殊な性質をもった豆だ。とびきり美味しくて滋養があり万能の薬にもなる。茹でるとほくほくしているのにしっとりと甘く、舌の上でとろける。泰さんはありえない味と言い、ソノ婆さんは仏の肝だと言い、廉太郎も初めて口にしたときは、そのあまりの美味さにキャーキャー悲鳴をあげながら、豆の粒子がなくなるまでしぶとく噛み続けたものだ。

 ケツ豆は自然に生えてくるものではなくて、人がわざわざ植えて育てなければならない。村の土壌は、いやどの大地も栄養分がほとんどない。毒がまき散らされたために、肥えた土をつくる小さな虫や菌がほとんど死滅しているからだ。やせた土地から収穫できる穀物は、ほんのわずかでしかない。菜っ葉の類などはすぐに茶色に枯れて、芯の部分を細々と食すだけだ。家畜もいることはいるが、たいていが病気もちで痩せていて、肉はひどい味がする。だからとびきりのごちそうであるケツ豆を植えるのは、はかり知れない喜びであった。

 村人は、誰もが万年栄養不足で病気がちだ。とくに皮膚病が多い。泰さんの鼻の下にできているのは、極微の火山のようなおできだ。いつも黄色い膿がじくじくと湧きだしている。しかも火口の真ん中から太い毛が生えているので、汚らしいだけでなく見栄えも悪かった。廉太郎はともかく、姉の亜矢は友達にバカにされるのでかなり嫌っていた。格好悪いから抜いてくれとキーキー言うが、父親は聞こうとしない。ねっとりと膿がついたその毛をいじくるのが癖になっていた。


 村中どんちゃん騒ぎの次の朝、じりじりと焼きつける大地を踏みしめて、クリニックには、村人のほとんどが来ていた。濃い黄色の陽は鋭く長い槍となって、容赦なく降り注いでいる。夏はとくにひどくて、その暑さは誰もが暴力だと思っていた。

「食いもんもロクにねえのに、今年はよくもまあ三人も生まれたなあ」

 三人目の赤ん坊を眺めて、執行役員長の清川がしみじみと言った。

「こいつも、えらく痩せてるなあ」

「ああ、死んだ猿みたいだ」

「猿っつうより、棒きれだな」

 廉太郎の父を含め、四人いる村の執行役員はみな口が悪い。

「ねえ、猿ってなあに」

 廉太郎は猿を知らない。生まれてから家畜以外に見たことのある動物は、数えるほどしかなかった。イボトカゲや血吸いスズメ、狂い兎くらいだ。虫だってロクなのがいない。毒が抜けてしまったサソリが焼けた地面をうろちょろし、台所では屁こきカマキリが嫌なニオイを出しながら残飯をあさっているくらいだ。

「猿はなあ、おまえを踏み潰したようなツラしてるんだ」

 周りにいた村人が笑っていたが、彼らのうちで猿を知っているものは、実は少ない。

「あんた、自分の息子を悪く言うんじゃないよ。夢にでるよ」亭主の手をぴしゃりと叩いて、久美子がたしなめた。

「三人も生まれりゃ、今年はやっぱり、豆まきしなきゃな」

 執行役員長は、いかにも勿体つけた言い方をした。彼がわざわざ口にしなくても、豆まきをすることは村中がわかっているし、役員長本人の身体が喜びにざわついていた。泰さんなどは、すでに腰が踊っている。ほかの村人たちも、例外なく尻を振っていた。これはある種の信仰だった。さしずめ、村の人間は総じてケツ豆信者だろう。

「そういえば、泰ところの息子が十二になったから、今年の豆まきには連れていかねばならんな」

「ああ、そうなんだ。まあ、よろしくたのむよ」

 泰さんは息子の頭を撫でた。うれしそうではあるが、どこか憂いのある表情でもあった。

 豆まきに参加できるのは、男でも女でも年齢が十二歳を超えなければならないし、村の人間であれば、その年齢になったら必ず加わるのが決まりだ。

 廉太郎には疑問があった。あれほど美味しくて栄養がたっぷりあるものを、なぜ毎年ではなくて、その年に三人以上の子供が生まれたときしか作らないのか。たびたび父や母に尋ねてみるのだが、ケツ豆は特殊な遺伝子をもっているのでそんなに簡単になるものではないとか、一度作ると土地が痩せてしまって元に戻るのに何年もかかるとの返答だった。

 しかし、いくら特殊な植物であっても、毎回同じ畑でしか実らないというのはおかしな話だし、ケツ豆畑をけして子供には見せないことも、廉太郎の胸につかえる原因だった。しかも前回ケツ豆を作ったのは二年連続だった。たまたま続けて三人以上の赤ん坊が生まれたのだ。同じ畑に連作していたようだが、とくに数量が減ったわけでもなく味も落ちていなかった。

 二年続けてケツ豆の恩恵にあすかった村は、とても平和で穏やかだった。いつもどこかで起こっている食べ物に関する揉め事や争いが、めっきりと減っていた。執行役員である廉太郎の父も、ケンカの仲裁で苦悩することが少なかった。

 その日の夜、村人総会で正式に豆まきが決まった。子供たちの面倒をみる者以外、村の人間は総出で作業にあたらなければならない。豆まきに出たら数日は家に帰らないので、どの家でも食料や道具類をリヤカーに積みこんでいた。明朝早くの出発となった。

「ほら、ここにあるものを全部持っていくからな」

 家の裏手にある物置で、廉太郎は父のそばについて支度を手伝っていた。持っていくものは鍋や鋤、鍬などだが。思いがけないものもあった。

 巨大なナタや両刃のナイフ、刀、どうしてかわからないが鉄でできた手枷足枷、首輪まであった。錆が浮いてはいるが金属らしい光沢があるので、相当使い込まれ手入れされている証拠だ。

 そして、なにより少年を驚かせたのは銃だった。狂い兎を仕留めるときに何度か見たことはあったが、今回はその銃と違っていた。あれは散弾を使うため筒のような太い銃身だったが、いま廉太郎の目の前にあるのは、長い箱型の弾倉が厳めしい連発式のものだ。

「気をつけろよ。むやみに引き金にさわるな」

 泰さんは息子にそう命ずると、棚にあった木箱を手にとった。中には鋭く尖った黄金色の銃弾がいっぱい入っていた。

「廉太郎や、ひるむんじゃねえぞ。怖気ついたり、ためらったりするなよ。ケツ豆食うためには、しゃあねんだあ。ケツ豆食わせんかったらなあ、赤ん坊にやる乳もでねえんだ。いっつも赤ん坊死ぬだろう。なあ、しゃあねんだって」

 ソノ婆さんだった。いつの間にか背後に来ていた。

「母さん、こいつにはいま言わなくていい。その時になったら、しっかりと教えるから」

 低くこもった父の声に、廉太郎はいつもとは違う雰囲気を感じていた。

「すまんことだあ。でもしゃあねんだって、しゃあねんだって」

 ソノ婆さんは年寄りなので豆まきには行かない。拝むように手を合わせる姿が廉太郎には気になった。


 翌朝、リヤカーを引いて泰さん夫婦と娘、息子が出発した。向かいの自転車屋の夫婦も出るところだった。子供がいないので二人だけだった。

 集合場所のクリニックには、他の家族がほぼ揃っていた。どこの家も、荷物をリヤカーや自転車の荷台に乗せていた。十二歳に満たない子供は豆まきには参加できないので、大人たちの留守中にはクリニックが託児所になる。

 役員長の清川が、ズタ袋を一つ抱えてやってきた。そして壊れ物を扱うようにゆっくりと自転車の荷台に乗せた。種となる豆が入っているのだ。

 清川が、行くぞと号令を発した。皆がリヤカーや自転車を押し始める。すり減ったタイヤが乾いた地面を踏みしめる音が続く。残った子供と老人が並んで見送りをしている。荷物には布が被せてあるので中身は見えない。もっとも気にする子供などいない。ケツ豆のことしか頭にないのだ。

 あれほど豆まきを楽しみにしていた廉太郎は、不安な気持ちを抱いたまま歩いていた。巨大なナタや突撃銃、使い古された拘束具などは禍々しさに満ちていた。それらをどういう目的に使用するのかわからないが、この旅で経験したくもない厳しい現実に直面するのを本能的に察知していた。すでに逃げ出したい気持ちになっていたが、これを通過しなければ村の一員として生きていけない。

 重苦しさは廉太郎だけではなかった。熱く爛れきった荒野を行進する誰もが、つとめて口をきこうとはしなかった。

 何十人もの人間が息を吐きだす音と、乾ききった大地を転がる車輪の音だけが虚しく響いていた。彼らは焼きつける日差しの強さに閉口しているだけではなかった。自分たちが為すであろう宿命に暗澹とした罪悪感を抱いていた。罪というものを、この村にいる人間は、いついかなる時でも意識せざるを得ない。昨日のバカ騒ぎは、これより行おうとする横暴への自虐的な逆説なのである。

 役員長の清川が泰さんの横に並んだ。他の役員も集まってきて、歩きながら豆まきについての打ち合わせが始まった。なんと、この集団はまだ具体的な行先を決めていなかった。

「なあ泰よう、今回はどこにするんだ」

「廃車置き場にいる奴らはどうだ。トロそうなのが多いよ」泰さんではない他の役員が言った。

「あいつらは年寄りばかりだ」

「いいや、廃車のすき間にガキを隠してるんだ」

「おまえ、見たのかよ」

 廉太郎は父のすぐ後を歩いていた。したがって、即席の役員会議の内容をもらさず聞ける位置にいた。子供にとってその内容は、大人の危うさを感じずにはいられなかった。

「少々年寄りでも、おれは廃車置き場がいいと思う」

「おまえは、いつも思うだけだな」

 ハゲの役員のいうことに、しゃくれ顎の役員がいちいちケチをつけていた。

「ジジババはだめだ。ケツ豆がほとんど芽を出さん。くたびれ損なうえに、後味が悪い」廃車置き場案は役員長が却下した。

「フウロ川の上流に工場跡があるだろう。あそこの廃棄タンクをねぐらにしている奴らがいる。ちょうどいい年恰好がいるんだ」

 そう言うと、泰さんは振り向いて顎をしゃくった。すぐに他の三人が振り返った。自分を示された廉太郎はドキリとして、おもわず下を向いた。

「さすが泰だな。ちゃんと目星をつけていやがる」清川は感心して大きく頷いた。徒歩会議は結論を得て閉会した。


 その日の夕方、村の一行はケツ豆畑に着いた。畑といっても、栄養豊かな黒土が敷きつめられているわけではなかった。礫だらけの、焼けた赤土の大地だ。どこにでもある不毛の地だが、ちょっと違うのは、磔に使用されるような杭が、ところどころに立っていることだ。廉太郎はいやな胸騒ぎがするので、あまり見ないようにしていた。

 村人は、それぞれの家庭ごとにテントを張った。泰さん一家も火をおこして食事の支度をした。献立はササクレ芋のでん粉を草茶でといて、狂い兎の干し肉をちりばめた粥だ。狭いテントの中で、一家はもくもくと粥を食べた。いつもとは違う張りつめた空気のなか、食事が終わるころになって、ようやく泰さんが口火を切った。

「明日は川の上流に行ってくる。フウロ川だ。工場のなかに住み着いているグループがある。いいのがいそうなんだ」

「あの川も昔はきれいだったねえ」

 久美子は、どこか上の空でそう言った。その先にあるものに触れたくない様子だった。

「おまえと亜矢は他の連中と一緒に、いつものように柱の準備をしてくれ。次の日の昼までにはもどるから」

 泰さんは息子の両肩に手を置いた。逃れられようもない厳しい目線だった。

「廉太郎、明日は男たちだけで工場跡へ行く。おまえは初めてだから、後ろの方にいて見ていろ。説明はしない。見て、ありのままを憶えるんだ」

「いいかい、あんまり無理すんじゃないよ。父さんにまかせとけばいいんだから」母は心配そうに言った。

「お母さん、そんなあまいこと言っちゃだめよ。どうせいつかはやるんだから」そう言った亜矢は、弟とは目線を合わせないようにしていた。

 翌朝、男たちは日が昇ると同時に出発した。悪臭がひどいフウロ川を遡り、半日以上かけて大きな工場跡へやってきた。そこの構造物のすべてが錆びつき崩れかけているが、かろうじて原型はとどめていた。何かの液体をためていたのか、円柱型の廃タンクがたくさん並んでいた。

 一つのタンクの前に家族がいた。両親はひどく痩せていてのそりと動いていたが、二人の子供は元気に走り回っていた。衣服というよりもボロ布みたいなもの身につけていた。

 次の瞬間、父親は大きくのけ反って地面に仰向けに倒れた。顔が、熟れた果実をかかとで踏み潰したみたいに破壊されていた。続けて、短い呻き声を発して女も倒れた。首の肉が裂けて血が噴き出した。

 一瞬の静寂の後、悲鳴がけたたましく響いた。何事がおこったのかと、他のタンクからバラバラと人が出てきた。斃れた父親のそばで、子供が向こう側を指さしていた。彼らは丘を見上げた。

 清川役員長を先頭に、村の男たちが一気呵成に駆け下りていた。ケモノじみた雄叫びと、胸をえぐるような怒声を発していた。タンクの住人たちは、男らの後に舞う砂煙を見て襲撃であると悟ったが、パニックに陥ってしまい右往左往するだけだった。

 泰さんの初弾は見事に男の顔面を蹂躙し、さらに勢い余ってタンクで跳ね返り、おんなの首筋をえぐったのだ。夫婦は何があったのかを理解することなく絶命した。

 清川がその女の背中を踏みつけて、傍らで泣いている女の子の髪をつかんだ。そのまま地面に組み伏せて、死なない程度に顔を何度も地面に打ち据えた。それから荒縄で手足を縛り、野獣のように吠えた。

「おらあ、一丁あがりい」

 丘を駆け下りた村の男たちは、続々とタンクの中へ押し入った。そして目についた住人をナタや刀で切り殺していた。子供を見つけた場合は、有無を言わさず引きずり出して手足を縛った。住人の多くは、ただ悲鳴をあげながら逃げまどうだけだった。息子や娘を助けようとする者もいたが、非情な刃物によって、その子供の前で切り刻まれた。銃口を喉の奥まで突っ込まれ、後頭部を吹き飛ばされる者もいた。強硬に刃向うものはよってたかって押さえつけられ、嬲られるように手足を切断された。気勢と武力の差は歴然としていて、タンク群の住人は容赦呵責のない暴力にさらされ続けた。大人は黙っていても殺され、抵抗すればするだけ悲惨なやり方で虐殺されるのだ。

「おまえはここに残ってるんだ」

 突撃銃で住人を撃ち殺していた泰さんも、巨大なナタを片手に駆け下りていった。廉太郎は動かなかった。離れた場所で見ているだけで手足が震えた。足元に落ちていた空薬きょうで太ももを強くこすりながら、時が過ぎるのを待つしかなかった。

 ここに来る途中、廉太郎は父からケツ豆について全てを聞かされていた。弱った集団を襲撃するのは、豆の苗床にする子供を容易に捕まえるためだ。ずっと以前、泰さんのじいさんの、そのまたじいさんの頃は、子供をさらってくるだけで他の住人には危害を加えないようにしていた。しかし子供を取り返そうと村に逆襲を仕掛けてくるために、現在は皆殺しにすることとなった。時として残虐な殺し方になるのは、抵抗する気力を喪失させるためだ。

 しばらくして騒乱はおさまった。丘の上に帰ってきた男たちは興奮していた。返り血を浴びた身体から生々しい臭気が立ちのぼり、なれない廉太郎は激しく嘔吐した。

 泰さんが先導して十名ばかりの子供を連れてきた。男の子も女の子もいて、それぞれ荒縄できつく縛られていた。

「ガリガリに痩せてるなあ」

「こいつら、あの工場でなに食って生きてたんだ」

「屁虫でもすり潰してるんだ。じゃなければこんなにひどいニオイはしないさ」

 子供たちは、皆ぼさぼさの髪に申し訳程度のボロを着ていた。下着などないので、性器は丸出しだった。


 一休みしたあと、男たちは家族が待つ耕作地へと向かった。捕えられた子供たちは精神的な衝撃と、きつく縛られているために容易に歩けない。だから男たちが蹴とばしたり殴ったりして先へ進める。手加減などしないので、身体中痣だらけになっていた。

 途中で野宿をして、生き残りが尾行してこないかを十分警戒した。約束通り、次の日の昼前には耕作地に帰ってくることができた。出迎えた女たちは無事を喜び、同時に獲物を値踏みするのも忘れなかった。

 礫だらけの畑には何本もの杭が整備されていた。赤茶けた荒れ地に屹立した棒は、異様な雰囲気をかもし出していた。廉太郎はなるべく見ないようにしていた。だが泰さんは、嫌がってテントにもぐり込もうとする息子を無理に連れ出した。

 杭は断面がH型をした鋼材だ。相当錆びついていたが、しっかりと土中に突き刺さり、多少のことではビクともしない。女たちがそそくさと杭に金具を取り付けた。それは鎖でできた手枷足枷だった。苦労して何本か追加して立てたのに、捕まえた子供の数が少ないと文句を言っている女もいた。

 さっそく少年が連れてこられた。泰さんが最初に顔面を撃ちぬいた男の子供だ。年のころは、廉太郎より二つ三つ幼いくらいだ。

「いいか廉太郎、豆まきはこうするんだ。いつかお前もやるんだぞ」

「ほら、ちゃんと見ておきな」

 廉太郎にとって、姉の声がこの時ほど冷酷に聞こえたことはなかった。

「臭いねえ」と言いながら、久美子が少年の雑巾みたいな衣服をはぎ取って裸にした。そして杭の金具に手足を固定した。もう外すことはないので、締め付けは限界を超えていた。最後に釘を刺して固定した。血がにじみ出し、両方の手はうっ血して紫色になった。少年は悲鳴をあげて泣きじゃくっているが、手加減されることはなかった。一通りの作業が終わったあと、獲物はちょうど杭に抱きついている姿勢になった。

「ほれ、これが今回最初の豆だ」

 役員長が泰さんに手渡した豆は、廉太郎のゲンコツくらいの大きさがあった。熱を加えればホクホクとじつに美味しくなるが、表皮はおろし金のように荒くざらついて非常に堅い。

 久美子が両手で少年の尻を力いっぱい開いている。なにをされるのか、痩せた顔が不安で崩壊しそうなほど歪んでいた。泰さんはケツ豆を、ためらうことなく肛門にぐりぐりとねじ込んだ。

「ぎゃあああ」けたたましい悲鳴だった。小さな穴は裂けてもなお拡がっていた。

「やめて、やめて、やめて」

 ずっと話さなかったのに、少年は唐突にしゃべりだした。言葉を話すと思わなかった廉太郎は、驚いて思わず耳に手をあてた。

「いたいいたい、やだやだやだよう」

 肛門からの鮮血が青白い太ももを伝って、焼けた大地へとしたたり落ちた。そして他の杭でも同じような場面が展開されていた。女の子の悲鳴はもっと悲痛だった。その鼓膜を引き裂くような声を聞くだけで、廉太郎は自分の尻に擬似的な痛みをおぼえた。まだ大人になりきっていない精神には、どうしようもなく堪えるものだった。

 ケツ豆は、生きた人間の子供の直腸でしか育たない。温かな体内で発芽して根をのばし、充分力を蓄えてから痩せた土地へと定着する。成人でも芽を出すことはあるが、葉っぱばかりで実をつけることがない。一説には子供の腸内の菌が成長を促すというが、たしかなことはわかっていない。

 ケツ豆は、発芽してからしっかりと根づくまでに日数かかる。子供たちの肛門に入れて二日目に、たくさんのヒゲ根がでてきた。それは土を求めて外へと向かう。子供の尻の穴に無数のミミズが湧いているようで、じつに気味悪い光景だった。

 廉太郎の少年からも、しま模様のヒゲ根が、肛門からたくさん生え出していた。そのうちの長い数本が地面に達しており、足場を築こうとしていた。

 ケツ豆は、地中にしっかりと根づくまで宿主を生かせておこうとするが、やはり人が多少とも世話をしないと実は大きくならない。

 子供たちは強烈な日差しのもと全裸で拘束されているので、青白かった身体が真っ赤にヤケドしていた。干からびて死なないように、女房連中が度々草汁を飲ませたりしていた。


 夜になると、畑の子供たちは一晩中泣き叫んでいた。豆は陽が落ちてから成長するのだ。もはや肛門だけではなく、尻や太もも、ふくらはぎの柔らかい部分の皮膚を突き破って根がでていた。これが大人だと、肉質が硬くてなかなか成長できない。

 ケツ豆は筋肉だけではなく、内臓や骨の髄、神経までその組織をのばしていく。子供のいたるところから栄養を食いつくして、やがて豆の木に成長する。

「そうなると泣くどころじゃない。痛くて痛くて声も出なくなるよ」亜矢が、さも楽しそうに言った。

「もういいよ。聞きたくない」

 廉太郎は本心から聞きたくなかったが、姉は話をやめなかった。

「そしてね、いろんなところから茎や枝が出てくるの。肘とかヘソとか。顔はね、一番最後。それはもう見ものよ。鼻の穴から葉っぱがこんにちはして、枝が目玉を付けたままぐんぐんのびるんだから」

 明日は村に戻る日だった。ケツ豆はもう定着したので、あとは放っておいても大丈夫である。管理と警備に数名を残すだけだ。二か月後に、たわわに実った豆を収穫しにくるのだ。

 夜になってから、廉太郎は少年の様子を見に行った。ヒゲ根だらけの身体はすごいことになっていたが、首から上はまだ人の形を残していた。両肩の関節から枝が突きだして、卵形の葉が対に並んでいる。触ると瞬間的にちくりとした。するどい刺があったのだ。

 朱色の満月に一筋の黒雲が刺さろうとしていた。廉太郎は、うつむいた顔をそっと覗き込んだ。とび出た瞳に生気はなく死人のように虚ろだった。

「ああ」

 人の気配を感じたのか、それは唐突にしゃべりだした。

「ああ、したいよう、したいよう」

 葉っぱが擦れ合うような声だった。廉太郎は何がしたいのか訊ねてみた。

「おしっこ、した、したいんだ。だけどな、でんよう」

 干からびた小さな身体に水分を出す余裕などないし、貴重な水分の浪費はケツ豆が許さないだろう。尿意は植物の組織が膀胱を刺激しているためだ。

 それは、たどたどしくではあるが話し続けた。誰かに話しかけるというよりも、一人でつぶやいているといった印象だ。

 内容は、あの工場跡での生活である。水草をつかってタンクに溜めた水をきれいにしていることや、その水草にたかるエビを食べていると言った。エビは頭がヘンになってしまうほど美味しいので、仲間でない人間が盗みにやってくるらしい。だから子供はエビのありかをしゃべらないように、なるべく口をきかないのだ。

 少年は最後に「かあちゃん、かあちゃん」と言った。廉太郎が聞き返すと、かすかだった息遣いがなくなっていた。

「えびくいてえなあ」

 熱く乾いた闇に、小さな子供の念が消えていった。

 あくる朝、村人はそれぞれのリヤカーや自転車に荷物を積んだ。そして、役員長の号令で出発した。

 廉太郎がケツ豆畑を通りすぎるとき、あの少年は杭に固定されたまま天を仰いでいた。野太くかたい茎が口から突き出し、熱くたぎった太陽を求めて卵形の葉がたくさん繁っていた。 

 廉太郎は亜矢の背中を叩いた。振り向いた姉に、ケツ豆はエビ味になると言った。亜矢はエビを知らないし、知らないものの味を想像する能力は、栄養失調気味の少女にはなかった。

 廉太郎は想像できた。エビは身体中から根が生えたあの少年の味で、たぶん、あの子のかあちゃんの味でもある。

 廉太郎はケツ豆を食べないと告げた。

 収穫した豆は村人全員へ平等に分けられる。豆を食べないものは村にはいないし、村の一員であることを許されない。

「ばっかじゃないの」亜矢が弟の頭を叩いた。

「ばっかじゃないの」姉は、もう一度言った。

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