DAY4

「みっすずー。みいすず。すずりん。すずすず。みっみー」

「いろんなレパートリーで呼ばなくていいから。ちゃんと聞こえてるから」

 美鈴は苦笑いしながら同僚の菜々子ななこの顔を見上げた。

 二人は金融会社の事務の仕事に就いている。お互いにアラサーで未婚者ということもあって、気が合うところがあった。というよりも、ほぼ一方的に菜々子のほうがつるんでくる。美鈴は一人で過ごすことが嫌いではないので、今の状況にとくに悲観しているわけではなかったが、職場の中では菜々子と同じアラサー未婚女子グループに分類されている自覚はあった。男性社員たちは美鈴たちよりも新入社員や入社年数の浅い女子たちを飲みに誘い、あぶら顔の年輩上司からは無愛想にこき使われる日々。

 いや、今はそんなことは重要ではない。

「ねえ菜々子。こんな話あったら信じる?」

「マジっすか? それは大変っすね。ご愁傷様」

「まだ何も言ってないけど?」

「言わなくたって、私たちテレパシーで通じてるじゃん」

「そうだったっけ? いつから?」

「ねえそれよりランチ行こランチ。先月駅前にオープンしたお洒落カフェ。私たち売れ残りにはもう食べるという行為しか残されてないんだ。たんと食い荒らしてやろうぜ」

「私今日牛丼食べるつもりだったんだけど」

「やっめろー! アラサーOLが一人牛丼とか、やっめろー! 今にオヤジになるぞ」

「べつにならないから」



 深夜。

 結局、美鈴はここ数日自分の身に降りかかっている出来事を誰にも話すことができなかった。まあ話したところで、誰が信じるというのか。

 自分だけが、日と日の間に隠された「謎の5分間」を過ごしているということを。

 初めは一体何が起こったのかわからなかったが、これまで三度経験してきたことで、それは自分の気のせいなどではなく確かに現実として存在する時間であることを確信した。

 おそらく今日も、あの時間はやってくる。来るタイミングがわかっていればあらかじめ対策を立てることもできる。

 ここのところ美鈴は外で一人飲みをしていることが多かったが、今日は家に待機した。ベッドの上で布団にくるまり、日を跨ぐ時間が来るのを待っている。時間が来たら目を瞑ってやり過ごしてしまえばいい。自分以外の人間がのっぺらぼうに変わる様子を目にして恐怖に駆られる必要はない。

 美鈴はベッドで横になりながら、枕元のデジタル時計を眺めていた。もうすぐ時刻が11時59分になる。

 美鈴は掛け布団を頭まで被り、目を閉じた。体を丸めてじっとする。

 ある瞬間を越えると、周囲の様子が変化したように感じた。もともと静かな室内だったが、風の音や冷蔵庫の稼働音など、微かな音が聴こえるものだ。それらの些細な音すら消えて、無音になった。

 美鈴は怖くなり、布団の中で耳を塞いだ。このまま5分やり過ごしてしまえば日づけが変わるはずだ。

 ドン! ドドドドドドドドドドド!

 部屋の窓ガラスが連続で叩かれる強烈な音が響き渡り、美鈴は飛び起きた。

 ドドドドドドドドドド!

 カーテンの引かれた窓の向こうに何か、がいて、窓を叩いている。

 恐怖に耐え切れなくなった美鈴は部屋から飛び出した。玄関に向かい、靴も履かずにドアを開ける。

 左右を見て、自宅前の通路に何もいないことを確認する。美鈴は通路を走り、それからマンションの階段を裸足のまま駆け下りた。

 5分だ。5分逃げ切ればいい。

 から。

 エントランスを抜け、住宅街の道に出た。

 月は雲に隠れている。街灯の明かりはどこかぼんやりしている。

 の視線を感じた。近くにいる。逃げなければ。

 路地の先に、黒い影が見えた。その姿をしっかりと捉える前に、美鈴は視線を逸らして逆方向へ走った。

 あれの姿を見てはいけない。直感がそう叫んでいる。

 5分はまだか? 早く過ぎ去ってくれ。

 美鈴は足の裏を傷つけながら走った。

 迷子犬の張り紙のある電信柱の横を通過したところで、音が戻った。

 美鈴は息を切らしながらその場で茫然と立ち尽くす。

 雲が風で流れ、夜空に月が現れた。

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