LOSS TIME
さかたいった
DAY3
右手首に巻かれた腕時計の盤を見ると、時針と分針が11時59分の時刻を指していた。夜の帳の下りた深夜の刻。秒針は淡々と時を刻み続けている。
しんと静まり返った、鉄道高架沿いの飲み屋街。路上まで客席がはみ出し、飲兵衛たちがわんさか集まっている。
酔いどれ集うこの場所が静まり返っているはずがなかった。それなのに今、
逆さにしたビールの空箱に座っている客たち。席の合間を縫ってジョッキを運んでいる居酒屋の店員。彼らは今、まるで石像になったかのようにそのままの格好で停止している。美鈴だけを残し、全てが立体的な静止画と化した。
それだけならまだよかった。
美鈴の周りにいる人間たちから、顔が失われている。首から上が無いわけではない。顔の輪郭は存在するが、目鼻口などの表情を象るパーツが根こそぎ消えてしまっている。動かない、のっぺらぼうたち。
急激に酔いの醒めた美鈴は、尻をのせていたビールの空箱から立ち上がった。
これで三日連続だ。この不可思議な現象に遭遇するのは。
時を止めているのは人間だけではない。建物の隙間を練り歩く野良猫。疲れ切ったサラリーマンたちを運ぶ高架上の快速列車。それらも中途半端な状態で動きを止めている。
美鈴だけが、この時間を生きていた。
腕時計の秒針が12に到達し、1分の経過を示した。しかし分針は12の位置にある時針に重ならず、いまだ59分の状態を保っている。秒針は再び周回を始めている。
この状況が何分続くのか。もし今日も同じようになったら、美鈴は確かめるつもりだった。11時59分から0時へとなる間に挿まれた謎の時間。昨日と一昨日は戸惑うばかりだったが、今日は決意をして臨む。
あれから逃れるために。
2分が経過。分針はいまだ動かない。
今日はまだ終わらない。
気配を感じた。何かが見えたわけではない。音が聴こえたわけでもない。
それでも、ゆっくりと何かが近づいてくる気配があった。
動かなくなった世界で、美鈴とあれだけが時に取り残されている。
今日に取り残されている。
街の喧騒はおろか、大気が循環する風の音すら響かない世界で。
美鈴は高架沿いの路地を歩き出した。パンプスがアスファルトを踏みしめても、足音は響かない。彼女の息遣いだけが虚しく宙を彷徨う。
あれが何なのか、美鈴にはわからない。それでも潜在意識が発する恐怖の警告が、彼女を追い立てる。捕まってはいけない。姿を目にしてはいけない。あれの声を聞いてはいけない。
この時間を、生き延びなければ。
たった一人で。
駅のほうにやってきた。改札から排出されたのっぺらぼうたちが歩行の体勢のまま停止している。邪魔な彫刻たちの合間を縫って、美鈴は進む。あれの気配から遠ざかる方向に向かって。
3分が経過した。
駅の北口に出て、バスのロータリーを進む。駅前の広場にはギターを抱え地面にあぐらをかいているのっぺらぼうと、それを取り囲む数人ののっぺらぼうが見える。
美鈴はさささと背筋を撫でられるような不快な感触を感じた。あれが近づいてきている。
美鈴は振り向かずに走り出し、商店街に逃げ込んだ。
交差点を左に折れ、次を右に曲がり、帰路に就く者たちの横を駆け抜ける。
4分が経過した。
洋食屋の前を通り過ぎるところで美鈴は地面のでっぱりに躓き、手をついて何歩か四足歩行の動物のような格好でたたらを踏んだが結局耐え切れず地面にダイブした。体のあちこちが悲鳴を上げる。
美鈴が通ってきた道から、あれの気配が迫ってきた。美鈴はもがくようにして動き出そうとするが、焦るあまり手が空を掻いて立ち上がれない。
視界に黒い影が差した。
あれが美鈴に覆い被さってくる。
もう駄目だ。
その時、音が蘇った。
コツコツと鳴る足音。中年のサラリーマンが路上に横たわっている美鈴に怪訝な目を向けて通り過ぎていった。
美鈴は上半身を起こし、腕時計を確認した。
時刻は0時。
どうにか無事、明日を迎えたようだった。
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