第3章 コントローラーの本質 -3-

 意外にも被告人は召喚の要求から15分と経たずに部室の扉を叩くに至った。貴志の家からこの部室棟までは、自転車で10分程かかる筈であるから、呼び出しから僅かな時間で家を飛び出してきたことになる。自分に言わせてみれば、犯した罪の重さを十分に理解していると言えよう。ともかく、本当にその自覚があるのか彼に訊いてみない事には話は始まらない。

「なんであんなにデリケートな問題を吹奏楽団全体のLINEに投げた?しかも真夜中に。自分が非常識な事してる自覚あるの?」

部室に入ってきた貴志に何か言われる前に、単刀直入に本題だけを伝える。否、問い詰める。

「ああなんだ、やっぱりその事かよ。お前その様子だと最後まで文章読んでないだろ?」

彼はある程度用件に当たりをつけていた、と言わんばかりに言葉を翻した。

「だからさ、昨日俺が夜ネットオークションでな…」

「だから、じゃなくて、ちゃんと質問に答えろよ。」

真面目に質問に答える気のない彼の言葉を遮って、再度問い詰める。

「真夜中に、部員全体に周知するべきでもない、デリケートで精査が必要な話題を、わざわざLINEに載っけた、その非常識さがお前には理解できてんのか、ってそう聴いてるんだよ。」

「非常識非常識、って煩いな、そんな熱くなんなよ、どうした急に。だから、昨日の夜なる早で情報共有しなきゃいけなかったからLINE使ったんだって。知ってると思うけど、ネットオークションでこれ以上ないくらい良条件のフリューゲルホルン(トランペット・コルネットと管長・音域が同様でありながら、それらより太く柔らかく、深みに富んだ音色を生み出すことに長けた金管楽器)見っけたんだ。各パーツ損傷なしで5万強だぞ。楽器の肌色もウチの団体に合ってるし、これからの演奏に深みを追求する上でもなくてはならない種類の楽器だと思う。オークションっていう形式だからこそあーやって無理やり動かしたんだ。そうでもしないと落札されちゃうかもしれないだろ、こんな良物件。お前の方こそ、こっちの意図汲む気あるか?もっと真面目に思考しろよ。」

どうやらまともな議論にはなりそうもなかった。それでも、この怒りの感情を棚の上にあげて冷静に彼を諭す気にはなれなかった。寧ろ、次期リーダーを決めなければいけないという重要なこの時期にまだこんな事を同期と言い争わなければならないという事実に反吐が出そうで、建設的な議論など交わす気などさらさら無かった。勿論、このまま突っ走ったら間違いなく泥沼だという事くらい分かっていた。でも相手は同期だ。先輩でも後輩でも部外者でもお偉いさんでもない。かけがえのない同期に気遣いなどし始めたらそれこそもう自分達は終焉だ。もしかしたら今の感情的な自分を正当化したいだけかもしれない。でも、そうだとしても、同期とは真正面から当たらなければならない。それが出来ないなら、私はリーダーにはなれない。いいや、自分達の中からリーダーを樹立する事そのものが、出来ない。だから自分は今、貴志と最後まで殴り合わなければならない。この馬鹿同期を分からせてやらなければならない。どんな手段を使ってでも。

 「この期に及んでそんな馬鹿な事をしているから、非常識だって、そう言っているんだ、貴志。」

「まず第一に、貴志が提示した議題の重要性は、よく分かっているつもりだよ。ウチの編成だと人数の割に音圧に欠ける点、活動の幅を拡げる上で避けられない楽団員一人一人の役割の見直し、ひいては役割の拡張、老朽化した楽器の管理。ミクロ的なソフト面の課題が山積みなのは見るも明らかだけれど、その裏にマクロ的なハード面の課題がある事もまた、少し真剣に弊団の未来を考えればわかる事だかんね。」

つまり、我々が所属している応援部吹奏楽団という団体は「応援をする団体」でありながらも「演奏をする団体」であらなければならなかった。そして、深い歴史の中で「応援をする団体」の一部分であった我々は今、「演奏をする団体」としてのアイデンティティを確立する使命を与えられているのだった。「他者を応援する」という行為を真剣に考察した事がある人間がこの世の中に果たしてどれだけいるのか想像もつかないが、「声をあげて他者を応援した事がある人間」は存外少なくないのではないかと思う。中には手を振ったり御守りを渡したり、はたまた間接的に天に祈ってみたり、激励の手紙を書いてみたり、その応援の形は多岐に渡ったであろう。では、その応援に「音楽」が必要だと感じた事がある人はどれくらいいるだろう。本気でその人の為に、その人が勝てるように、その人が成功するように第三者が行う応援という行為に、果たして音楽は要るのだろうか。単純な話だが、答えはノーだ。つまり、応援という行為それ自体に音楽はマストではない。だがしかし、きっと応援される人にとって、そこに音楽があったら、一生懸命音楽を奏でる人が居たら、それは「嬉しい」筈だし、気持ち割増で、その人の背中を押してあげられる存在であれるのかもしれない。応援を生業にする弊団にとって、音楽とはそういう、役割が曖昧に見えながら、その応援に意味を借りて本質を返還する、化学変化における触媒のような存在なのであった。否、そうでなければ存在し得ない儚い存在であるからこそ、その存在を必要不可欠な要素に昇華させる義務が、音楽に生きる我々には与えられている。言い換えるならばそれこそが、応援という一行為における「音楽のレゾンデートルの看破」であった。

「吹奏楽団がこの先その地位を確立して応援部の一角である為に、その演奏クオリティの向上はマストな課題だ。そしてその中で、実働可能な楽器の数と種類が明らかに少ない事は由々しき事態だ。おまけに満足にそれらを買い揃える予算も我々の手元にはないと来た。ではどうするか。我々の手の届く範囲内で、できる限り品質が担保されている安価な楽器を購入していくしかない訳だ。」

楽器の質というのは本当にピンキリで、用途に合った丁度いいそれを選ぶ事自体が非常に難しいが、殊「安価」という項を第一に考えた時に、楽器専門店で新品を購入するよりも遥かに低価格である程度の品質のそれを手に入れられる確率が高いのは「中古品」を購入する事だった。その為、我々吹奏楽団は上回生(幹部・準幹部)を中心に、中古で良品質な楽器を求めて東奔西走し始めていた。そこで貴志が目を付けたのがネットオークションだったという訳である。重要なのは、今が楽器探しを「始めた」頃だったという事だ。

「だから、貴志がネットオークションに張り付いたのは賢い選択だと思うし、良物件が見つかった時に迅速に物事を進めなければならないのもオークションという特性上理解できる。強いていうなら我々が反省するべきは、オークションを利用する上で購入するまでの段取りを予め決めておかなかった事かもしれないけれど。」

貴志は黙ったまま腕を組んで、パイプ椅子の背もたれに寄りかかりながらこの話を聴いている。ここまでは別にどうでも良い。彼は間違ってなどいない。

 改めて一息ついて、前髪を掻き上げて、貴志の目を睨みつけて、そして言い放つ。

「重要な物事を議論する時、LINEを、特にグループLINEを濫用しちゃいけないって。あれ程言ったのになんでそれを軽々しくもやっているんだと、そう言いたいんだよ、貴志」

そんな重箱の隅を突くような、という非難じみた顔色が貴志のそれから窺える。つまり彼にとってそれはたかが重箱の隅的な事象なのである。別にそれは良い。寧ろ世間一般的にも恐らくこれは重箱の隅的な事象だ。懸念すべきはこの重箱の隅がハインリッヒの法則で言うところの300のヒヤリハットにあたるという事で、貴志がその事実を理解していないという点だ。

「何回も説明した気がするけど、LINEがどれだけ団体の膝を折るのに容易な凶器なのかって事をさ。それでも何度だって言う。」

もう、動き出した口は止まらない。

「そもそも議題を提示する側にはそれを回収する義務がある。だから、議題を提示する時にはその議題は回収できる範囲内で、回収できるクオリティのコンテンツでなければならない。要は議題を団体に投げる時には『回収できる算段を裏でつけてから』議論に臨まなければならない。」

議題の提示というのは非常に難易度の高い行為だ。その議論には誰が参加するべきなのか、誰の意見が必要なのか、どの機関の了承を得なければならないのか、それをまず考えなければならない。何故なら議論には賞味期限があって、その賞味期限以内に議題を消化する為には、それに干渉できる人間の数を絞らなければならないからだ。賞味期限が切れた議題というのは、当初想定していたバックグラウンドや他機関との兼ね合い、スケジュールの管理などの観点から議題としての体を失い、ある種「混乱の種」とも言うべきトラブルメーカーになってしまう。干渉できる人間の数が増えれば増えるほど、そこには図らずも各々の損得勘定(感情)やエゴのような物が発生して収集をつけるのが難しくなる上、事態が刻一刻と変化してそれまでに進めた議論の意味がそれを為さなくなる可能性が高くなるという訳だ。従って議題を提示する人間は、必要最低限、そこに関わる人間や団体それぞれの事情や都合を把握した上で、ある程度それらの雑念を管理し、迅速に消化する義務がある。そしてある程度「議論を掌握した上で」、「理想のゴールへ議論を誘導する」事で議題の提示者はその役割を完遂する。

「つまり、今回貴志が持ってきた『ネットオークションで発見したリーズナブルな楽器を購入する』という団体への働きかけとも言うべき議論は、実際に購入までの段取りの中で関係する全ての人間に必要な情報を発信し、迅速に了承を取り付けて購入までの段取りを貴志自身が誘導できれば良いんだよ。その中で購入する事を吹奏楽団ひいては応援部全体に周知する必要性があるという判断があった場合は『その判断を行った人間』が周知に係る議論を担えば良い訳だ。それが今回楽器を購入するというタスクを達成する為の最短ルートだろうと思うよ。」

「それを貴志はさ、はなから吹奏楽団全体に情報周知しちゃったわけ。これどうやって収集つけんの?全員から賛否了承でも取るんか?仮にそこでよくわからん意見なんか出てきた日にはそれ全部君が対応しなきゃいけないんだよ?わかる?」

言うまでもないが、楽器を中古で購入すると言う行為にはしっかりリスクもついてまわる。試奏も叶わないし、楽器の状態も実際に精査しない事には本当の意味では分からない。最悪の場合、修理費が仕入れ値をゆうに超えてしまうケースだって考えられる。つまり、本件について「手放しに購入を推せないと考える人間」は少なからず存在する。勿論、自分自身も精査の必要はあると感じている。だがそれは、「精査する必要がある人間」がすれば良い事であって、全員が全員その議論に参加する必要はないのだ。

「そんでさ、今後の活動展開とか、部の予算とかそういうバックグラウンドを全然把握していない下回生なんかにLINEで、僕はその楽器を購入するのは良くないと思うーとかなんとかかんとか返信来たら、もう収集つかんくないか?それくらいわからん?そっからLINE上で君達議論するの?」

グループLINEを議論のステージに選ぶ事は、愚の骨頂に値するといえる。各々の考えている事を文章化し、その文章から言わんとしている内容を汲み取る上で、コンテンツの純度はどんどん低くなっていく。つまり、意見のすれ違いや、ニュアンスの受け取り方の失敗、議題の本質の消失など、議論を円滑に進める上で起きてはならない事がそこでは頻発する。極めつけに、そこには議論を先導する議長という存在がいないから、議論としての体を為さない。否、為せない。即ち、グループLINEで議論するという行為自体、我々人間の限界を越えた代物であり、つまりはやるだけ時間の無駄で、ただただ新たなトラブルの種を生むだけの愚行であるという事だ。

「だから、怒ってんの。で、聴いてるわけ。非常識な事してる自覚あるかって。」


 今一度、貴志を問い詰める。


「そんな事もわかんないのに、リーダーなんか務まるわけないだろって、そう言ってるんだよ。」


余計な一言であるのは分かっていた。分かっていたけれど、もう動いた口は止まらなかった。言い終わってから、硝煙の匂いとそして背中を冷たい何かが伝う感覚が頭の中を支配した。同じ感覚は数刻前に味わったばかりだ。この部室に人間は二人だけ。存在する心情も二つだけだった。この、張り詰めた空気を丸ごと喰ってしまえるような、そんなおどろおどろしい気配を身に纏って、彼は言葉を発した。

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