第3章 コントローラーの本質 -2-
『夜分遅く失礼します。吹奏楽団二回生の貴志と申します。この度は来たる演奏会に向けて当団の編成の幅を広げるべく、新しい楽器の購入について提案させて頂きたく連絡申し上げました。弊団はこれまでブラスバンド編成を原型とし、金管楽器及び打楽器をメインに据えて活動して参りました。屋外での応援演奏を第一の目的と捉え、少人数でそれを成立させる事に置いてこれは至極理に適った編成であった事と存じます。しかしながら近年弊団を構成する学生数は増加傾向にあり、活動範囲もメインの応援演奏に加え、演舞演奏会や激励会などの屋内演奏まで拡がりつつあります。つきましては、この機会に弊団にて扱う楽器の種類を増やし、その演奏に奥行きをもたらす事は一考の価値がある物と思われます。…………』
貴志からの連絡は、個人宛に送られたものでなく吹奏楽団全体の連絡用LINEに投下されたものだった。正直、長文駄文乱文のそれで、頭が痛くなりそうだったので途中から読むのを辞めた。ようやく昇ってきた太陽が部室の窓ガラスを通り抜けて、チリチリと、髪の毛のその先を燃やしているような感覚を味わえそうだった。そのまま、このメッセージと徐々に増えていく既読ごと、燃えて無くなってしまえば良いとも思った。身体は沸るように熱いのに、背中を流れる汗は冷たい。小刻みに震えたままの指先は机の上に置いてあるスコアの端を無意識になぞっていた。さながら華氏451度の空間で勝手に燃え始めた書物のように、その心と身体は曖昧に不透明に、燻んだオリーブグリーン色に染まっていくようだった。そうして、これ以上時間をかけて自らの思考回路がショートする前に、その指は携帯電話の発信ボタンに触れていた。ほどなくして通話口に現れた声の主に向かって、その唇は冷淡に、酷く大人びたような口調で、集合の令を命じた。
「今すぐ、部室に、来て。なるべく早く、来て。」
「どうせ、今日9時から練習だから、そのうち行こうと思うけど。急にどうした。」
「良いから、早く来て。話したい事があるの。」
「良いからって、こっちさっき起きたところなんだけ….」
みなまで聴かず、その親指は再び通話ボタンの上に置かれていた。これ以上、電波の上で会話を続ける気には到底なれなかった。
少しメタ的な話題になってしまうのかもしれないが、もはやこの考え方がメタ的思考である事は間違いないのだが、怒りという感情を言語化するという事は非常に難しいのだと思う。自分が何に怒っているのか。何故怒りという感情に縛られているのか。それをどうやって自分の中で消化していくのか。改めて説明してみろと言われると非常に難解な問いである事に気づかされる。そもそも、怒りという愚かで取り留めのない感情を自分自身がしっかりと理解して自分のものにしているのかどうか、それすらも怪しいところである。即ちそれが正であるとするならばその言語化がままならないのは当然の事で、言語化が容易にできない得体の知れない感情に取り憑かれたままでいる事程愚かしいというのは言わずもがなであろう。詰まるところ、今の自分は非常に愚かで、どうしようもなくて、救いようが無い馬鹿野郎だという事だ。でも、この救いようが無い馬鹿野郎であるところの自分という人間は、自分が本当に愚かで馬鹿で間抜けであるということに、本当の意味で気づく事が出来ないのである。だからこそ、自分は愚かで、その愚かな自分にとって、怒りという感情を言語化するのはとても難しい事なのだ。
とどのつまり、自分は怒っているらしかった。怒りに打ち震えていた。どうしようもない、感情のやり場に困って、困って、困り果てていた。まるで、自分が精神的に向上心のないバカである事を友人に突きつけられた時のように、腑の底が煮えくり返っていた。それだとまもなく自分は遺書を書いて自殺してしまう事になってしまうが、現実的な向上心に事欠かない強靭なメンタルが祟って、その必要はなさそうだった。寧ろ、友人Kは貴志の方なのだから、遺書を用意するのは先方なのかもしれない。そんな戯言を弔いつつも少し泣き出しそうになるのをグッと堪えて、その元凶が部室のドアを開けてやってくるのを今か今かと待ち構えた。
ふと、一際強い硝煙の匂いが鼻に触った気がした。一瞬我に返って、いよいよ位置が高くなってきた太陽を下から覗いてみた。特に可笑しな様子は確認できない。大方現(うつつ)の中で、何か大事なものが燃えでもしたのだろう。世間一般的には、これを「堪忍袋の緒が切れる」と表現するのだと自身が理解できるようになるのには、まだ時間がかかりそうだった。
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