第2章 プロモーターの本質 -3-

 以前、久遠に言われた事がある。応援部は人でできている。部員だけでなく、その活動に携わっている全ての人のおかげで、応援部は走り続けられる。だから応援部を運営する我々は第一に人を大事にしなければならない。人との関係、つながり、コミュニケーション。常に全力で、それだけは疎かにしてはいけないと。それに失敗した時、我々の足は止まってしまうと。そう、言われたことがある。

 久遠という人間は、そういう意味で応援部になくてはならない存在だった。端的にいえば、コミュニケーションがうまい人。側から見たら、お友達が多い人。人を大事にしなければならない団体において、「人を大事にする事の重要性を理解した上でそれを実現できる」人間だった。勿論、自分にも人並み以上のコミュニケーション能力は備わっているし、友人も少なくない。ただ彼のその特質は、我々一般人のそれとは確実に一線を画した才能であった。その本質を看過する事は、分析して理解する事は、それはもう容易な事ではなかった。

 何故彼は、コミュニケーション能力に長けているのか。それを理解する為には、まず彼のコミュニケーション能力が「どのように高いのか」を考えなければならない。一般的にコミュニケーション強者とは、対人間における情報共有や意思の疎通をスムーズに行う事ができる者の事を指す。これは単に社交的、外交的であるということではなく、コミュニケーションが双方向の物である事を理解し、自分と相手との距離感を適切に保つ事ができるということである。ただ単に社交的な人間とコミュニケーションが上手な人間というのは、本質的にその価値が違うという事を我々は理解しなくてはならない。勿論、件の久遠は後者に該当するわけで、相手の気持ちを察したり、言葉のキャッチボールをしたりするのが上手であり、第一者・第二者間におけるコミュニケーションのクオリティーが非常に高いのである。

 肝心なのはここからである。彼のコミュニケーション能力は第一者・第二者間におけるそれに留まることを知らず、第三者としてのコミュニケーション、ひいては集合体の内部における個としてのコミュニケーションにおいて発揮される。具体的に説明するとすれば「久遠が参加している会議や議論は必ず短時間で成果をあげる」という事になる。何故か彼がコミュニケーションの歯車となった瞬間に、その物事は良い方向に進みだす。信じ難い事実だが、これを言語化するなら、久遠はその場にいる全ての人間の間に存在しているコミュニケーションを、全てコントロールできるという事になる。そんな事が果たして1人の人間にできて良いのだろうか。それが本当だとすればその能力は、もはや神の御技、我々が感知できる範囲外の領域に位置する代物だ。

 「どうしてそんなに、みんなの事がわかるの?」

自分達がまだ一回生だった頃、初めて応援部で学年会議を設けた際に、不思議に思って久遠本人にそのわけを尋ねてみた。本質を他人に訊くというのは、もはや御法度と言ってもいいような禁じ手のそれだったが、考えても考えても、どうしても視えなかった為、恥を忍んで本人に訊いたのだった。

「ああ、烏藤には全員のコミュニケーションを全部操ってるように視えちゃうかな、なんでそんな事ができるか、どうしてもわからないって感じだよね。」

その時の久遠の返答は衝撃的すぎて今でも忘れられない。

「本人にきくのは本当はダメだけど、でもどうしても知りたい、本人に尋ねるしかしかそれを知る術はないってそういう風に考えたから、僕に訊いてきたんでしょ。」

全部、見透かされていた。背筋が凍る思いだった。当時はまだ、常に仮面をつけて、自身の本質を曝け出さずに、同期と接していた自分にとって、ここまで仮面の下のそのさらに裏側まで見透かしている人間がいるという事がもう自分には信じ難い事実だった。

「これが答えみたいなもんなんだけど、」

久遠はそう続けた。

「僕、結構相手の気持ちとか何考えてるかとか、そういうの深いところまでわかっちゃうんだよね。表情とか仕草とか、使ってる言葉とか抑揚のつけ方とかそういうの、よく見るとその裏に透けてるその人の本質が視えてくるんだよ。」

ここまで言ったらわかるかもしれないけど、といった具合に彼は肩をすくめた。

「そうするとさ、その時その人がどういう結果を求めてるかとか、自分が何を言ったらその場が丸く収まるかとか、そういう『ハッピーエンド』への道のりみたいなのが逆算出来ちゃうわけ。それを順番になぞっていってるだけなんだよね。そんなに難しい事じゃないと思う、烏藤も一対一とかだったら無意識的にやってるんじゃないかな。」

どうやら、そういう事らしかった。そして、「一対一とかなら」という彼の言葉を裏返して考えてみるに、彼はそれを何人も参加している話し合いの中で、平然とその全員のバックグラウンドを覗き見しているという事らしかった。さながら照魔鏡のように、彼からみた我々の背後には、その本質を映しだす何かが存在しているのであった。そうして、その事実を目の当たりにした自分の顔が徐々に引き攣っていくのが、彼にバレない筈はなく、その恐ろしい特質の絡繰のヒントを、久遠はもう少しだけ口にしてくれたのだった。

「これだけ聴いたらエグい事やってるように見えるかもだけど、僕マルチタスクが苦手だから、全員というか、全体の流れを一度に把握する事はできないんだよ。だから烏藤には『全員のコミュニケーションを全部操っている』ように見えるかもだけど、実はそうではなくてね。例えばこの会議の中心に居そうな人だったり、ゴールに近そうな人だったり、自分が干渉しやすそうな人だったり、まあその辺りは場合によるけど、誰か一人に狙いを絞って、そこからゴールへの近道を見つけるんだ。だから、大人数の中でそれが出来るのはある程度彼らと知り合って時間が経っていないと難しいし、会議の内容とか方向性とか、その辺も把握してないと厳しい。烏藤にはわかると思うけど、準備にめちゃくちゃ時間がかかっちゃうんだよね。ちゃんと代償を払った上でこうなんだ。」

そう言って、彼は自分のことを夕食へ誘ってきた。なんとなく納得してくれたでしょ、この話は終わり。うまい飯でも食って楽しい話でもしようと、その時彼の目はそう言っているように視えた。

 後に風の噂で、久遠のバックグラウンドやルーツを知る事になった。やはり人間は幼少期から思春期にかけてそのライフハックを培う場合が殆どであるらしく、つまり彼もまた「他人の顔を伺う」術を身につけなければいけない境遇に長期間置かれていたという事なのだった。「他人の顔を伺う」だけではなくて、「本音を透かしてその実現までの最短ルートまでを視られる」彼の能力は、裏を返せば過去に彼が居た環境がどれほど凄惨で過酷なものであるかを物語っていた。それでも腐る事なく、曲がる事なくここまで自分を立して生きてきた久遠が「応援部は人でできている」と、そして「人との繋がりを疎かにしてはいけない」と言うのだから、その説得力には有無を言わさぬ何かがあるという事は言わずもがなであった。

 今思えば、彼は自分と二人きりの時にそれを言っていた。その時の彼には、何が視えていたのだろう。どこに辿り着く為の言葉だったのだろう。私の何を見透かして、そんな事を言ったのだろうか。 

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