第1章 サポーターの本質 -3-
言わずもがな、人間社会で最も重要な資産は人間である。豊かな社会を維持する為には十分な人材が必須であり、花めく団体を運営する為には優れた人材の育成が求められる。史実を改めれば、かつて国々を治めた英雄達は多くの優れた人材に恵まれ、その腕達者の数々を従えることができた智将が、即ち天下統一をなし得た事は明らかである。逆に言えば、智将は優れた人材を以って智将たり得、それを獲得できなかったのだとしたらそれはもはや智将ではないと考えることもできる。即ちそれは智将に成りきれないのである。
「全然関係ないけど。」
一呼吸置いて、茅守に問う。
「有名なお話、三国演義ってあるじゃん。中国の昔話の。魏・呉・蜀の三国に分かれて、曹操と孫権と劉備が天下を争う話。なんでかわからないけど、蜀の劉備とその臣下の諸葛孔明っていう軍師にさ、スポットライトが当てられて物語って進むんだよ。劉備が人望に厚いみたいな、有名な設定があってストーリーの中心に据えるのにお誂え向きだったのかね、知らんけど。…それなのに、その劉備が治めていた蜀は、結局その後天下を取れないんだよね。史実では最終的に、魏にルーツがあった司馬一族が晋っていう国つくって三国統一するんだけど。なんで蜀が勝てなかったか、知ってる?」
「マジで全然関係ない話だな。確か、劉備が亡くなった後、孔明が実質的な指導者になって北伐(要は魏の領地への遠征)に行くんじゃなかったっけ。それで、何回も繰り返している内に国力が衰えて、北伐完遂する前に国が立ち行かなくなった的な。そのまま魏に取って喰われたみたいなストーリーだった気がするけど。」
「おお。意外と詳しいじゃん。大筋はそんなもんで合ってるよ。まあ北伐が上手くいかなかった理由は色々あるんだけど、その時によって。なんせ7回だか8回だかやってるからね。その内孔明も亡くなっちゃうし。」
でも、と、茅守の曖昧な回答に難癖をつける。
「蜀の国力が疲弊した本質的な理由はそこじゃないんだよね。北伐は蜀が天下を取る上で必要な行為だった。蜀の優秀な頭脳である所の諸葛孔明もそう判断したから、何度失敗しても、時を改めて何度も強行したんだよ。つまり、『北伐したから、国力が衰えて蜀は天下を取れなかった』んじゃないんだ。」
この男には、本質を理解してもらわなければならない。吹奏楽団が、この未熟そのものである団体が進化する為には、この男にもっと未来を視て貰わなければならない。
「国力が衰えたのは、劉備が赤壁の戦いで手に入れた荊州(魏呉蜀のちょうど中立に存在する広大な土地)を死守できなかったから。当時の中国において特に豊かな土地だった荊州を、天下統一の鍵を守りきれなかったから、蜀は天下を取れなかったんだよ。」
当時の地球は寒冷期を迎えており、「部下を食わせること」が時の君主に求められた重要な役割だったと言われている。肥沃な荊州の大地の重要性は当時の智将らにとっては周知の事実であり、だからこそ魏の曹操は多大なる犠牲をも厭わず荊州へと南征したのだと思っている。これを劉備と孫権の合同軍が撃ち破り、結果として劉備が漁夫の利的な成り行きで荊州を手に入れる事になるのだ。その後、この荊州は劉備の義兄弟で、側近とも言える関羽という人物によって治められる事になるが、政治家としては三流だった関羽は呉との関係性を良好に保つことが出来ず、最終的に荊州全土は呉に掠め取られる事になる。確か史実ではこのような流れで荊州が蜀の手から落ちた筈だ。
「荊州を守れなかったのは関羽のミスだ。そしてこれは、関羽を荊州に一任した劉備、もとい諸葛孔明のミスであるとも言える。ここがこの話の肝だ。本質なんだよ、茅守。」
これから未来を視て貰うことになる男の目を、真っ直ぐに見て、告げる。
「劉備の治める蜀は深刻な人手不足だったのさ。関羽だって劉備にとっては信頼のおける、いわば優秀な部下だった。関羽一人に任せられるほど荊州は軽い土地ではなかった、それでも、関羽に任せるしかなかったんだよ。人手が足りなかったから。寧ろ、最大限リソースを投じた方だったろうと思う。直属も直属の部下を懐(蜀の本拠地であるところの益州)から遠く離れた土地に派遣した訳だからね。」
きっともう、茅守には、これから自分が言わんとしている事が伝わった筈だ。もう十分過ぎる程に伝わった筈だ。茅守は何も言わない。黙って、その先の言葉を、その意味を真摯に呑み込んでくれる様子である。
「第57期吹奏楽団も、同じだ。」
豊かな社会を維持する為には十分な人材が必須であり、花めく団体を運営する為には優れた人材の育成が求められる。現状、我々が所属している吹奏楽団は、団体として致命的な欠陥を背負った「衰退が約束された」団体なのだ。
既にホットミルクは無くなっていた。カップの中身は空っぽだ。代わりに、この無駄に広くて真新しいカフェテリアのボックス席は自分で満たされている。虚ろな音は聴こえない。完全に自分が、烏藤が、この二人だけの世界を獲っていた。
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