第1章 サポーターの本質 -1-
もう少し寒かったら霙にでもなっていそうな雨だ。試薬の下準備があと30分早く終わっていたら、当たらずに済んだのに。ひとり言ちりながら、学内にあるカフェテリアへ足を向けた。道行く女達は季節感をものともしない顔で、惜しげもなく白い脚を晒して歩いている。見ているこっちが凍えて死んでしまいそうだ。厚手の綿パンを適当に穿いている冴えない男共の方が、この場合は遥かに賢いと思える。そういえば、どこかで中国メディアの観察者網が、日本人女性は冬の寒さを恐れているのではなく実際に寒くはないのだ、とかいう訳の分からない主張をした記事を読んだことがある。確か海洋性気候の特徴が強い日本では気温が湿度に比例するから、全体的に体感温度が低すぎることはなく、短時間であれば生足でも耐えられる、とかなんとか。何でもかんでも論理的に説明したがるのは分からないでもないが、とりあえず初冬の日本で山から吹き下ろしてくる風に当たりながら、もう一度その記事の内容を推敲してみればいいと思ったものだ。
くだらないことを考えているうちにカフェテリアの入り口が自分を通り過ぎて行った。LINEで、待ち人へ到着の旨を知らせる。室内の暖房が心に染みる。日本人女性が冬でもスカートを履くことが許されるのは、間違いなくこの充実した暖房設備のおかげだろう。待ち人からの返信を知らせる携帯電話も、徐々に温かみを取り戻して嬉しそうにしている。どうやら奥のボックス席を陣取っているようだ。サシで話すだけなのにまた豪華な席を押さえたものである。スペースの無駄だ。悪い気はしない。
「お待たせ、待った?待ってたとしても謝る気はないんだけどね、社交辞令やんな。」
適当に声をかけて、待ち人の対面に座る。
「待ったに決まってるんだよなぁ、30分遅刻だよ、別に良いんだけど、呼んだのこっちだし。」
待ち人、もとい茅守は既に冷めて物憂げな味がしそうなコーヒーを啜りながら、手をヒラヒラと振った。
「なんでわざわざこんな死ぬほど忙しい時に呼んだん?楽譜の打ち込みとか絶対手伝わんからね、C譜読むのだりぃとか言ったらしばくよ?」
適当にホットミルクを注文しつつ、そして適当に悪態をついてみた。議題は分かっていたが、何の為に自分が呼ばれたかとうに察しはついていたが、茅守の出方を伺いたいが故に、敢えて論点をずらして踏み込んでみた。要領の良い茅守の事だ、楽譜の打ち込みくらいとっくの昔に終わっているだろう。勉強熱心が祟って、B♭譜とF譜くらいはスラスラと読めるようになっているかもしれない。
「烏藤にC譜打たせるほど忙しくないよ、楽譜の打ち込みならほぼ終わってるから、後で適当に確認しといて欲しい。Googleドライブにデータあげといたから。」
どうやら予想していたより、この男は遥かに暇を持て余していたようだ。数時間がかりの実験が後に控えている身としてはまったくもって羨ましい限りである。目の前に座っているのが吹奏楽団の人間以外であったとしたら、適当にあしらってラボへ蜻蛉返りしているところだ。しかしながら数少ない大事な同期からの呼び出しとあっては、無下にできないのが悔しいところである。
「それで、本題なんだけど。」
茅守が言う。人と話をするスイッチを入れる。
「近いうちに57期の団長を決めなきゃならない。それについて、君と一度、一対一で話しておきたくてね、それで呼んだんだ。」
どうやら、当ては外れていなかったようだ。まだ熱々のホットミルクが入ったカップに手を添えて、茅守の目をまっすぐと見据える。
「そうだろうと思った。制限時間は1時間弱ってとこかな。付き合うよ。」
こういう込み入った話は、短期決戦に限る。ホットミルクが冷めない内に。温もりが消えて無くなる前に、片をつけよう。
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